#25 日々、耳を傾ける。。~“自立”考/“承認”を与える人になる~

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昨日は、“自立”をキーワードに、
色々な困難な状況について、何故そうなるのか?を
解説することを試みてみました。
(怒る上司はなぜ怒るのか? 「勉強しなさい」となぜ言ってしまうのか?)

今日も、引き続き
もう少し、“自立”について考えてみたい。

“自立”という言葉に対して、色々な解釈をしている人がいても、
おかしくはありませんが、
一旦、『自分で自分を満たせる状態』を“自立”と置きます。

なぜか?

以前の自分は、
“自立”というと、“経済的な自立”をイメージしていました。
“自分の力で稼げて、社会人として、役割を果たしている”
そんなイメージです。
割と、一般的には、こういうイメージを皆さん描くじゃないかなぁと、
推察します。

が、どうでしょう?
社会人は、皆、自分ひとりで立っているだろうか?
自分の稼ぎで生活している人は、自分で立っているだろうか?

いや、、、
人は、いつでも、他者からの承認を欲している。

友人に勝ちたい自分
人よりもいい大学に行きたい
名の通った企業に勤めたい
人より昇進したい
モテたい
褒められたい
“イイネ♡”が欲しい

それ自体が、悪いわけじゃないんだけど、、、
(私は、承認欲求を完全否定する立場ではないです)

キリがない

いつまで経っても、満足しない。

いつまで経っても“今の自分”を認められない。

そうなってしまうと、
人から褒められている時は、安心できるけど、
そうじゃない時は、不安になる。

最後には、
承認されていないと、
「自分は、ここに(学校に、会社に、世の中に)居てもいいんだろうか?」
ということになってしまう。

不安で仕方なくなる。

承認が欲しくなる。
(私、ここに居ても(存在しても)いいよね?と)


「認めてほしい」


「自分を認めてほしい」


「もっと自分を見て!」


そうなるとね。
色々な弊害が出てきます。


部下の手柄を横取りする上司
子供から愛されたい親
悪ふざけをして、注目を集めたい子供


。。。。。

まるで、“承認”の取り合い。

他者から“承認”を奪うようだ。

いや、、、

人から“承認”を得ようとするから、
奪い合いが起きるのだ。

一旦、
自分で自分を承認しよう。

「これでいいのだ」


(ん?バカボン?笑)


その時、
〇〇が出来るから、「これでいい」
頑張ったから「これでいい」
人よりマシだから「これでいい」

と条件づけしない。

才能・能力・容姿・経歴・実績

関係ない。

そうでないと、
この「これでいい」は
他者から“承認”を得ようとする行為と変わらなくなる。

ただただ、条件付けなしに、今の自分を「これでいい」と肯定する。

どんなに条件が悪くても、だ。

その“条件”って、
社会から与えられたものじゃない?
「勉強ができない自分」
「運動ができない自分」
「仕事ができない自分」
「モテない自分」
「悪いことをしてしまった自分」
「怠惰な自分」

うん。
他者(社会)からの“承認”は、一旦、横に置こうか。

それは“承認欲求”なんだ。

何もない。
素の自分を認めよう。


あんなに欲しかった“承認”

人に与えてあげよう。

すごく喜ぶって、思わない?


今日も、人の話に耳を傾けよう(承認しよう)♪^^
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