年齢を重ねる意味とは、その最適解。

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私たちが歳をとっていく、本格的な高齢者経験はないのですが、年をとっていくといよいよ知性の勝負になるという気がしています。
高校生くらいまではクラスの中に飛び抜けて勉強ができる子がいます。
振る舞いも大人びていて、たいして勉強してなさそうなのに、楽々と東大に合格する。


何か別種の人間のように見えて、近づきがたい。
今にして思えば、こうした傑出した秀才がでてくるのは、学校という小さな社会に押し込められているからです。


しかも、能力が試験の成績という単純な尺度に一元化されている。
他者との違いが量的にはっきりと出てるから、ずば抜けているように見えるだけで、


子どもは子ども、実際には大して差がない。
ところが、70代、80代になると人間のレベルに差がでてきます。よく生きている人と、そうでもない人の違いが露骨に表れる。
長い人生の中で、一方は好循環を、他者は悪循環を起こすので、どんどん差が開いていく。


この差の根幹にあるのは何か。
僕は知性と教養だと考えています。自分を客観化する。世の中での自分を俯瞰して見る。


具体的なことごとの背後にあるものを抽象化して本質をつかむ。
ようするに知性です。


何よりも自分の経験と頭と言葉で獲得した価値観基準を持ち、精神的な自立と自律を保てているか。つまり教養です。
教養とは、寛容さであり、自分自身の客観性という俯瞰力、長期的な目線でコツコツ行動する。



こういったキーワードと密接な関係性があります。
教養がないと、相手の事情に目が向かず、ひたすら自分都合で考える。
自分にとっての目先の利害で頭がいっぱいで、他者に対する寛容さがない。


自分に問題があるのではなく、周囲が悪いと考える。他者依存が強く、自立性に欠ける。精神的に自立していない。
一言でいえば幼稚化です。


これは年間100冊以上の読書する私がおススメする一冊
楠木建著「絶対悲観主義」 からの引用です。


世の中に渦巻く環境は今後さらにさらに狭い世界へと突入し続けます。
そして、
そのように視野が狭くなる仕掛けは世の中にたくさん潜んでいます。ただなんとなく過ごしていては、この幼稚化へまっしぐらへ向かっていくこと間違い無しです。

意識的に生きることが大切な世の中になっていきます。

そのための秘策とは、習慣です。習慣力です。
高齢化に向けて毎日少しでもコツコツ継続できる良い習慣を増やしていきましょう!

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