コロナなんかまったくなかった数年前の話です。
ケアマネジャーから訪問看護の依頼がありました。
肝臓がん末期のCさん女性。確か・・・80代くらいだったと思います。
腹水がたくさんたまってしんどそうなのですが、「家に帰りたい!」と駄々をこね、
はんば強制的に退院してきたということでした。
退院前カンファレンスを…なんてとんでもない。
いきなり帰ってきたものだから、ケアマネジャーはてんてこ舞い。
訪問看護は特に、サービス開始前には医師の「訪問看護指示書」が必ずいるので、
それを交付してもらわないとサービス開始できないので大慌て!
幸い今まで在宅でCさんを見てくれていた医師がすぐ交付してくださったので、退院直後に訪問することができました。
ケアマネジャーからの情報もほとんどなく・・・。
それもそのはず。
ケアマネジャーも今回が「初めまして」の状態だといいます。
病院としてはとても退院できる状況じゃないので、在宅へ帰るための準備はしてこなかったとのこと。
介護保険の申請も、ケアマネジャーも決まってない状態だったのです。
病院は慌ててケアマネジャーを探し、なんとか在宅後のサービスを入れてほしい、お世話してくれる人を探してほしいということだったようです。
何ともグダグダな話です。
家族は?
この人は独居なの???
Cさんの家族は、息子(ほぼ引きこもり)、孫2人(大学生の女の子と、社会人1年生の男の子。)わんこ1匹のみ。
息子は離婚し嫁はいません。
この家族には介護する家族が孫しかいなかったのです。
息子さんはいい大人ですが引きこもっていて無職。訪問中1度もお顔を拝見することはありませんでした。
中心になるのは、大学生の女の子D子ちゃん。
彼女はけなげに今までも家事をしながら大学に通っていました。
病院にCさんが入院するまでの経過は詳しくはわかりません。
ただ、Cさんが入院することになったのは、おなかが異常に膨れてきたということ、ご飯が食べれなくなってきたということ、おなかが痛いということでした。
病院に行った結果肝臓がん末期。腹水が溜まって、おまけに便秘。
予後は数週間ということでした。
少し認知症もあったCさん。
昼夜逆転状態で、夜になるとごそごそ動き出し、大声で叫んだり、手当たり次第にものを投げつけたりして大暴れ。
病院側もさぞかし困ったことでしょう。
そんな矢先に本人から「家に帰る」と言い出したものだから病院としてはホッとしたものの、
いやいや退院手続きどうしようと慌てて調整したようです。
退院した日の夕方、訪問看護がケアマネジャーと一緒に訪問。
Cさんはベッドで休んでいます。
D子ちゃん、E男君はそれぞれ学校、会社を休んでCさんの退院に付き添いました。
「おばあちゃんにはもううんざりなんです・・・」
D子ちゃんがぽつり。
「でも、そんなわけにもいかないし。お母さんが出て行ってからおばあちゃんに育ててもらったし。
恩返しせなあかんと思っているけど、毎日毎日暴れて、迷惑ばっかりかけるし」
「ずっと病院に入院しといてくれたらよかったのに・・・」
D子ちゃんの本音がぽろりと出た瞬間でした。
E男君も
「D子も、学校ある中、家のことよくやってくれてて。親父も調子のいい日は部屋から出てきて、家事手伝うけど、ほとんどなにもしない。
ばあちゃんも大事やけど、D子のほうが正直心配」
「看護師さん僕たちを助けてください。」
絞り出すような声でD子ちゃん、E男君が次々に話しだしました。
とにかく看護師だけではC子さんの生活は保てないので、ヘルパーを入れて生活するのに必要なサービスを整えよう。
C子さんの病気に関するケアについては、訪問看護が助けるよ。
ベッドも、移動式のテーブルも借りよう。
お父さんにも少しできることは手伝ってもらおう。
ケアマネジャーと、看護師、D子ちゃん、E男君4人でミニカンファレンス。
話が進んでいくと2人に少しづつ笑顔も見られるようになりました。
C子さんは腹水が腸管を圧迫してかなりの便秘があり、そのため「おなかがしんどい」と訴えていました。
排便のケアをしていくと、少し圧迫が取れて「ラクになった」というようになりました。
食事もヘルパーにC子さんが食べやすいような形状で作ってもらい、移動式テーブルに準備すると、自分で食べれるようになりました。
それでも、食べれる量はほんの少し。
夜はサービスは入らないけど、日中毎日何かのサービスが入ることで、
C子ちゃんもE男君も学校や仕事に順調に行けるようになりました。
それでもD子ちゃんは学校の授業の合間にCこさんのお世話をしてくれました。
「今日は午後からの授業やから・・・」と
朝のヘルパーは抜いてみたり、少しでも経済的負担も考えて、
自分たちでもやろうとしてくれていました。
昼夜逆転していたC子さんでしたが、退院してから内服薬の調整を行い、
生活が整ってくると夜はしっかり休めるようになってきました。
夜間にしっかり睡眠がとれる
ということは本人も家族も疲労感がずいぶんと解消できるのです。
人間、夜眠るようにできているんですね。
退院して3週間くらいたったある日。
急にC子さんが「病院に行く」と言い出しました。
何度聞いても「しんどいから病院に行く!」としかいいません。
困ったD子ちゃんは在宅の医師に相談。
往診の結果、病状自体に大きな変化はないように思うけど、
もともとがん末期ということもあり、本人がしんどくてそう言っているのかもしれないということで、
元居た病院に紹介状を書き病院へ入院することになりました。
あんなに嫌で退院してきた病院へまた行きたいって
どういうことなんだろうと
D子ちゃん、E男君、ケアマネジャー、ヘルパー、私たちもさっぱりわからず・・・。
それでも病院は温かく迎えてくださり、「在宅でのケア、お疲れさまでした」とねぎらってくださいました。
その後、数週間後にC子さんがなくなったことを、病院の病棟看護師から連絡を受けました。
病院に入院してからのC子さんは、以前のように暴れたりすることなく穏やかに過ごされていたとのこと。
体がしんどかったこともあるでしょうが、
短くてもおうちに帰れたことで、満足されたのでしょうと言われていました。
最後までC子さんがなぜ「病院に行く」といったのかはわかりませんでしたがきっと、
もうこれ以上、孫たちに世話をかけることはできないと
思ったのではないでしょうか。
もちろん体がしんどかった…というのもあるでしょうが、
夜はしっかり眠れていて、食事も召し上がっていました。
ヘルパーや看護師とも雑談ができるほど穏やかに過ごされていたのに・・・
C子さんが選んだ最期の場は、「病院」でしたが、決して「在宅でなければならない」というわけではありません。
本人が安心して最期を迎えることができる場所なら、どこだっていいのです。
お悔みに行った際、D子ちゃん、E男君、そろってお礼を言ってくれました。
「もっと早くに介護保険や、訪問看護なんてのがあることを知って、相談していたら、
自分たちも、おばあちゃんももっと楽に過ごせたかもしれない。
でも、退院後、いろんなサービスを使って、やっと自分たちの生活もできるようになったし、なによりおばあちゃんが嬉しそうだった。
助けてもらってありがとうございました。」
最初は「もうおばあちゃんの面倒見るのは嫌だ」と言っていた2人なのに、
最期まで一生懸命お世話していたのが印象的でした。
それぞれ学校や仕事もあるのにね。
これからは、自分の人生を大いに楽しんでほしいと思います。
でも、
介護した経験はこの先どこかできっと、2人の糧になるよ。
私が実際に出会ったヤングケアラーは、ある程度の生活力もあり、
何かを判断することもできる年齢だったので
最終的にはSOS を出すことができて、在宅サービスとつながることができました。
世の中にはもっと低年齢の子供が、家族のお世話をしていたりします。
子供には子供の生活があり、人生が待ってます。
介護の経験が無駄とは言いません。でも、
その年齢でしか体験できないようなことが、
介護でできなくなってしまうのは、
とても忍びないです。
子供が自由に夢を描いて、実現できるよう支援していける、世の中であってほしいと思います。