16歳の渡英 第一話

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私は16歳の時にイギリスに渡英した。家族は行くことに対して最初は反対だったけれど、私の熱意に負けて、渡英を許した。もうそれはかなり前の話である。私は当時から英語が得意な方ではあった。英語は塾には通っていなかったが、学年で常に一番だったし祖父の関係で、アメリカからの交換留学生が来ていたり、子供の頃から海外旅行に何度も行ったせいで、英語を勉強することに喜びを感じていた。

今思うと、私はませた子供だったと思う。私はヨーロッパの街並みが好きで、その当時からヴェルディやプッチーニといったイタリアのオペラを聴き、ヨーロッパでの生活に憧れを抱いていた。私の心はその時すでに日本にはいなかった。そして中学2年生の時にイギリスに語学留学をしたことをきっかけに、この国にすでに魅了されていたのだ。

ただ、異国の地へ一人で行くというのは、想像以上に困難だった。まずは、学校探し、そして宿泊先。行き先の知識が貧しかったが為に、正しい情報を得るには苦労した。その当時にはインターネットはすでに普及していたが、2022年の現在と比べると、あまり多くの情報はなく、行き当たりばっかりで風に任せてただ進むだけだった。

そして、その日は来た。ついに旅立つ日が。誕生日を迎えたばかりの私は既に成田空港に家族や友人といた。そして、別れを告げると期待と不安を抱え、空港のセキュリティチェックへと一人で歩いて行ったのだった。

そして気がつけばすでに飛行機に乗っていた。そこから先はあまり良く覚えていないが、約12時間後に到着したヒースロー空港で待ち受けていたのは、パスポートチェック前の長蛇の列だった。どのくらいの時間が経っただろうか。ようやくのことチェックを抜け、手荷物を受け取った後はあらかじめ予約をしていたタクシーに乗車し、ただただ身を委ねた。

過ぎ去る風景は1年前、自分の目で見たような確かなイギリスの風景であった。そして、傘の下を滴り落ちる水のように、気がつけばホストファミリーの家に到着していた。今でも鮮明に覚えているのは、日本では見慣れぬ厚手の扉だった。

ベルを鳴らすとホストマザーが出迎えた。子供がいる雰囲気だったのに対し、なぜか子供がいなかった。そして、私は二階にある部屋に誘導させられた。見渡す限りピンクの部屋は、彼女の娘の部屋だったという。娘はなぜかその日家にはいなかった。そして、本来私が止まるはずの部屋は、今週末まで空きがないとのことで、私はピンクの子供部屋に二日ほど泊まったのである。

きしむ床を歩き、その部屋から見える風景は教会と墓地だった。私はその時、孤独や不安よりか、むしろ非現実的な世界にいるような気分になった。無理もない。十数時間前は、日本という文化も言語も異なる国にいたのだから。暖かくもあり、まだ肌寒さが残るイギリスの4月に、私は改めて異国にいることを思い知らされたのである。そして、親鳥と逸れた雛鳥のように、無知である私は数々の待ち受けている苦難を知る余地もない。

(第二話に続く)
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