クライアントの闇に飲み込まれないために

記事
コラム
現代社会において、多くの人は悟りを開く必要はありません。
悟りを開いてしまうと、既存社会を構成している要素の大部分が虚であり、本質的には人間存在にとって無意味なものばかりであると気づいてしまうからです。そんな人ばかりの社会になったら、人々のエゴによって維持されている資本主義経済が一気に崩壊してしまいます。

ただし、優先的に悟りを開くべき人は、一定数存在します。
それは人間の精神(魂)を扱う職業についている方々です。

例えば、精神科医、看護師、心理カウンセラー、セラピスト、ヒーラー、僧侶、シャーマン、占い師などが挙げられます。優しく共感力が高い人ほど、優秀な治療者になりえますが、患者の闇を取り込みやすくもあります。

治療者の心身の健康と安全を守るためには、治療者自身が悟っていることが必須条件であると考えています。医療者のたまごちゃん達には病院だけではなく寺院でも研修してほしいと本気で思うほどです。

患者の闇を覗き込んだ時、闇もまたこちらを覗き込んできますから、今まで大人しくしていた自分の中にある闇は冬眠から覚め、無意識下で暴れ始めます。つまり、自らの意識エネルギーを患者の闇に送ると、自分の中の闇にも意識エネルギーが反射し、照らし出されてしまうということです。
その闇に瞬時にサティ(見破り)が入ればすぐに解体できます。その闇が自分の中でも未治療な領域である場合、まずは自ら闇を取り込んで自己治療を行い、次に患者の治療法をシミュレーションして闇を解体するための禅問答の論理を組み立てます。

悟りを開くことは、エゴが脱落することと言い換えることができます。それにより、自他問わず、エゴ由来の思考と魂由来の思考を見分けることができるようになります。人間の精神を扱う職業に就いている人は、患者の心の闇(エゴ)を覗き込まなければなりません。
治療者の中には、患者の闇に共鳴するものが自分の中にあったとしても、それに気づかなかったふりをして、顕在意識によって抑圧する(蓋をする)という人もいます。
病んでいるのはあくまで患者であって、私は病んでいない、正常であるということにするのです。しかし見ないふりをしたとしても、共感し意識エネルギーを送ってしまった以上、闇はもうそこに在りますから、抑圧したとしても、癌や異常行動として顕在化してきます。

これが患者の闇を取り込んでしまうという現象です。開悟者でないものが精神科領域に近づくことは、命にかかわる程の危険を伴うということです。
森田療法家であった精神科医の岩井寛は、患者の闇を無限に取り込みながらも、自分は正常な治療者であるという立場をとり続け、自らの闇を認識・対峙して自己治療をしなかったため、神経内分泌腫瘍という全身がんに侵され、壮絶な最期となりました。
治療者も患者も、対等な人間です。治療者として患者との境界線を強く持ちすぎることは、治療者自身の内部分裂を引き起こします。
転移・逆転移を過剰なまでに恐れるのは、治療者が悟っていないからです。森田療法の創始者である森田正馬は自分の患者を自宅に住まわせ、寝食を共にしながら治療にあたっていました。転移どころの騒ぎではありません。現代の医療ではご法度だと思いますが、本来の医療というのは、そういう仁の心が大切にされた、人間らしいものだったのではないかと思います。

現場の不条理や西洋医学での精神治療に良心が耐えきれなくなり、病んでしまった医師の方々なら可能性はあるかもしれませんが、たいていの精神科医の場合、残念なことに社会的自己が確立してしまっているので、悟りを開けば今までの職場では軋轢を生む可能性が極めて高いですから、エゴからの強い妨害により、進んで精神修養する方や、悟りを求める方はごく一握りであることが現状のようです。

悟りを開く可能性があるのは、巷に溢れる偽教祖やスピリチュアルに疑問や嫌悪感を持ちながらも、幸か不幸か目に見えない世界の存在に気づいてしまった正真正銘の求道者たちです。

根本解決をしようとせずに、お金だけを払って人にネガティブなエネルギーを吐き出したい、という人は沢山います。そのお金でご飯を食べてる人も沢山います。水商売自体は全く悪いことではありません。私も学生時代はとてもお世話になったものです。
しかし、命を削って自らの生命エネルギーを安売りし、ネガティブなエネルギーをもらう、というようなお仕事は、クライアントを依存させればさせるほどお金は儲かりますが、ご自身のオーラの輝きを維持できるでしょうか。
形だけの共感は一時的な安心と快楽をもたらします。気持ちが良いから売れるのです。誰がどう考えても「道」から外れているのに、根拠不在でも、安心さえ与えることができれば、苦しいことに気付いて飛び出そうとしたはずだった幻の世界に、再び戻って酔うことができます。
クライアントの葛藤を解消せずに、本質を上昇させずに、その場限りの癒しを与え、エゴの接待を続けることは、あなたにとって持続不可能なことです。快楽を得たいクライアントは右肩上がりに増え、あなたの生命力は下がる一方だからです。
もう、その兆候は見えているのではありませんか?どうでしょうか。

変わりたい!と自己と対決してもがいている人に、本質への理解が伴わない肯定を与えることは、時に猛毒ともなり得るのです。
そのままでいいんだよ、という言葉がけが、戦意を喪失させ、本体をエゴにまみれさせ、ドロドロに溶ろけさせます。

西洋医学一強のこの世の中では、未だに患者の闇を診ることを避けるようになった腑抜けた人間が先生と呼ばれ、教祖として君臨しています。患者を希望と怠惰の間に閉じ込めておきながら、薬漬けにすることで人間を修復不可能なまでに壊すことがビジネスとして成り立つ時代です。

まずは自分の内面の闇と対決しなければ、悟りや解脱はあり得ません。
「光の方だけ見ましょう」という、闇との対決を過剰に避ける巷のスピリチュアルを、おかしいな、気持ち悪いな、と思っている方は、とても感性が鋭いと思います。スピリチュアルも医療と同じく、玉石混合なのです。
この世界は陰と陽が対になって構成された相対界です。光(陽)だけ見て闇(陰)を見ないということは、世界の半分しか見ないということです。自分の中の闇を見ず、光だけ見るということは自分の半分を蔑ろにすることと同義です。物理的に不可能な教義です。

スピリチュアルが嫌いなスピリチュアリストは沢山います。まさにマーラ軍vs大日如来軍の図式なのです。私は、スピリチュアル界、医療界問わず、大日如来軍側へ全力で加勢いたします。
人を騙したくない、本当にクライアントと上昇したい、見せかけのヒーリング、見せかけのカウンセリングはもうしたくない、苦しくても手応えのある仕事がしたいとお思いの方。極陽の世界を作るために生まれ、今まさに極陰の世界を味わっている方、そんな勇気あるバトルタイプな治療者の方、セラピストの方とお話したいと思っております。
冷静沈着でありながら、情熱をうちに秘め孤独に戦っている、そんな血気盛んな方が私は大好きです。
私も修行を怠らず、解脱に向け日々精進いたします。一緒に頑張りましょう。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す