精神科の薬を飲み続けた人の末路

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コラム

西洋医学・中医学・インド医学の違い

中医学やインド医学など、現代の科学では検証されていない目に見えない世界までを扱う医学を学ぶと、過去私がそうであったように、西洋医学が間違っていると考えるようになる場合があります。しかし、実際には病気に対するアプローチの抽象度が異なるだけであり、互いに矛盾している訳でもありません。しかしどの医学も、使い方を間違えると、命取りとなる可能性があります。

例えば、大怪我をして病院に担ぎ込まれたとします。

西洋医学
「OK!私はあなたの過去のことや生活のことは一旦置いておき、今はその吹き出している血を止めることだけに専念します!止まった心臓を再起動しよう!話はそれからだ!」

中医学
「あなたが注意散漫で危機回避出来なかったのは、体質にあった食べ物を摂っていないからです。まずは断食してください。次に、漢方薬と鍼で気のバランスを整えましょう。」

インド医学
「あなたがそのタイミングで致命傷を負ったのは、過去世のカルマのせいでしょう。因果を受け入れ、死をもって学習してください。来世で頑張りましょう。瞑想しましょう、光の方へ進むのです。」

今まさに動脈から血が噴き出している時は、西洋医学だったら止血剤を使ったり輸血したりアドレナリンを打ったり、AEDでショックを与えたりして救命しようとします。
そんな時に鍼打ったり漢方飲ませたりカルマ解析したりしている場合ではありません。
当然、実際の医療現場でこんな極端なことは言われません。イメージの話です。
時と場合によって、それぞれ使い分けが大事だということです。

西洋医学は人生やり直し機

自己治癒力で可逆なレベルの病気や損傷である場合は、中医学やヴェーダの医学が有効ですが、やはり急性期や自己治癒力で修復不能なレベルのダメージを負った人間に対しては、西洋医学でないと間に合いません。
癌や脳梗塞など、鍼や断食療法では間に合わないこともあります。
西洋医学は、人生をやり直すチャンスを与えてくれる、因果や運命に対抗する医療です。生きながらにして病の意味を学習でき、業をはらすチャンスが与えられます。

病から何を学ぶか

生命の操作ができる西洋医学は、現代日本において神です。
西洋医学でチャンスを貰って自分の生き方を見直すことができれば良いのですが、多くの日本人は、西洋医学に依存しきってしまって、本来は禁じ手であることを忘れてしまっています。

医者という命を救う神達もまた、患者に経済的に依存してしまっているので、病の根本的な意味の学習を促すことはできません。予防医療は儲からないのです。
患者が欲に溺れ、どれだけ享楽的に生きようとも、西洋医学で何度でも生き返ることができますから、行き過ぎた医療というのは、生によって業をはらすどころか、業を重ねさせてしまうこともあります。

西洋医学は人類の最後の砦。全て水に流して私達を生かしてくれる優しい医療だと思いきや、そうではありません。
死にたくても死なせてくれない。生は最大の苦でもあるので、延命を選ぶこともまた険しい選択であり、病苦から学ぶことも多くあります。

物質的次元から治療の抽象度を上げる

中医学は、物質的な結果に対し、エネルギーバランスの崩れを指摘します。未病を防ぐというのは、バランスが崩れないように保ちましょうという考えです。そのために食生活や運動、漢方や鍼などを用いて気のバランスを整えます。

インド医学(ヴェーダ)が目指すところというのは、病気にならないことではありません。その人の生まれ持った人体のパフォーマンスを最大化させるための医学です。
そもそもあなたの肉体と精神にはこういう性質があるので、こうやってメンテナンスして、こうやって乗りこなしましょう!と生まれた瞬間から生活指導が入るのがヴェーダです。
完璧に乗りこなせたら寿命は何歳です、しかし過去世のカルマのせいで、なっ歳くらいで重い病気が発生するので、それに間に合うようカルマ解消しましょうね、と言います。
完全にオカルト上級者向けの医療です。

私は看護師として西洋医学の外科系の病棟で働いていましたが、再入院を繰り返す患者を見て、ああこの人は病気から何も学ばないんだな、私の仕事には意味があるのかな、と自分のことは棚に上げて、時々切なくなったりしていたのですが、そんな人間の甘えも愚かさもすべて受容しゴリ押してくれるのが、金のパワーを持つ先進国の医療なのです。その反動は医療者の葛藤と疲弊として現れています。日本の医療体制は崩壊寸前と言われて久しいです。

まとめ

壊れたボディを治すための西洋医学
病気にならないための中医学
完璧に乗りこなすためのヴェーダ

ボディが既に壊れているのなら、西洋医学で凌ぎながら、治療の抽象度をあげる努力をしていくのが良いと思います。
精神は、非物質であり、物質である薬物よりも抽象度が高いので、投薬療法は物質化した結果である症状を抑えることはできても、根本治療の役には立ちません。役に立たないどころか、精神の問題が外在化した症状を投薬によって抑えることは、精神の抑圧をより強力にしてしまうため、希死念慮などの無意識から顕在意識への突き上げはより強力になってゆきます。
結局、西洋医学に見放された重病者が行き着く先は、必然的にスピリチュアルになってしまうのです。特に精神の問題を根本解決したい場合は、ヴェーダの医師や、シャーマン(現代でいうカウンセラー)、僧侶や開悟者に依頼するのが良いでしょう。
保護室送りになった重症患者さんであっても同じです。薬で鎮静をかけ続けては、さらに理性による処理は難しくなっていき、人間としての尊厳は取り戻しにくくなってゆきます。僧侶や神主などが駐在し、暴れまわる患者の魂をお経や呪術で鎮魂させてあげるのが本当の治療であり、優しさだと思います。現代では無理でしょうが。
ですから、精神病者を病院で看ること自体に無理があり、精神病は西洋医学の適応外であることを認めることが医療者や患者の負担を減らす唯一の方法であると言えます。現代では無理でしょうが。精神病ビジネス、薬物ビジネスはドル箱なので。
しかし最近は医療者側も、西洋医学だけではなくて東洋医学の思想も取り入れる人が多くなってきました。
例えば、タクティールケアは靈氣とほぼ同じものですし、産婦人科病棟では産後ヨガが普及しています。最後は全て統合されてゆくのですね。

いずれにしても、全ての医療が、先人達の愛と知恵の上に成り立っています。適度に助けてもらいながら、生を全うできるよう頑張っていきたいですね。

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