職歴(前編)

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こんばんは!なおみち♪です。

土曜日の夜はゴールデンタイム。マリオカートで言う所のスターキノコ。呪術迴戦で言う所の領域展開。アンパンマンで言う所の、バタ子さん「アンパンマン!新しい顔よ!!」

基本土曜日の午前中まで仕事がある私にとって、翌日の起きる時間を気にせず過ごせる唯一にして束の間のオアシス。夕方から缶ビールをプシュっ!
喉越しをこれでもかと楽しんだら、今度は、名だたる顔ぶれが胸を張って整列している棚から、本日の主役である芋焼酎の一升瓶を掴み、だらだらと食事と楽しむ。ロック水割りお湯割り。稀にソーダ割り。割り方によって風味口当たりが全く違うお酒になるのが焼酎の魅力。
至福のひととき。誰も私を止められません。

そうは言ってもきっと、明日の私はぼちぼちの時間に起き、朝から筋トレとランニングをして、コストコの山本珈琲と今日のうちに厳選して購入したパンでモーニングを楽しみ、部屋の掃除をしていることだろう。ルーティーン人間は恐ろしい。

さてさて、3回目のブログを書かせていただきます。このブログは、ココナラを始めさせていただいてまだ間もない私のことをより知っていただきたい為に始めております。

今回は私の職歴について話させていただきます。
平成30年の4月から私の社会人生活がスタートしました。大学受験で2年間浪人をし、薬学部6年間のカリキュラムを終えた私が働き始めた時にはすでに、高校の同級生は社会人4年目、人によっては重要なポジションを任されていました。不器用で心配性、変に真面目でその上繊細な私は、今思えば入社前から前のめりになっていたと思います。

病院薬剤師として働き始めた私は、慌ただしい毎日を過ごしました。慣れない業務の後に、残って勉強。毎週先輩とディスカッション。医師や看護師からは新米とは言え1薬剤師として扱われ泣き言を言う暇もない毎日を過ごしました。

家に帰ってからも仕事の勉強薬の勉強。カリカリしたり、夢でも調剤室にいたり脳からのSOSにも気付かない毎日でした。

学生時代から、いい意味でも悪い意味でも他人に合わせることに長けているであろう私は、病棟配属時に薬剤部の中でも特に癖がある(仕事ができて尊敬できる所も沢山ある)先輩2人と同じ科に配属されました。
配属時薬剤部長から「君ならあの二人ともうまく付き合うことができると思う」と言っていただき、その時は期待されていることに喜びました。
よくしてくださった先輩からは「人がいいから、貧乏くじ引かされたね」と言われました。
それでも私は、他にも抗がん剤の委員会や薬局内の一部の試薬作りを任されたりと、社会人1年目にして同期と比べても歴代と比べても重要なポストを任され嬉しさとより一層の責任感を感じていました。

それからの日々は今思い出そうとしても淡く不透明でありますが、毎日必死であったことは記憶しております。昼ご飯の時間も削って薬を調整したり、不仲な2人の先輩の間を取り持ちながら2人の機嫌をとったり。知識経験が豊富な先輩から何かスキルを得ようと毎日必死でしたが、とうとう限界がきてしまいました。入社して約7ヶ月、今まではなんとか耐えれた先輩からの理不尽な対応をどうしてもその日は流すことができず、業務終了後のミーティングに参加せずに一人挨拶もせず帰宅したことを覚えております。

翌日から、私は仕事に行けなくなりました。次の日もその次の日もベッドから起き上がることができず、薬剤部長に、仕事に行ける気がしませんと相談しました。仕事のことは気にしなくていいが、このままだと減給になるため、心療内科へ受診して休職の診断書をもらってはどうか?との提案を受けました。

私自身は鬱と思っておらず(今も)、少しの間休むために形式上しょうがないと思って心療内科に受診しましたが、中等度以上の鬱と診断されました。びっくらぽん。
3ヶ月ほど、家に引きこもっておりましたが、もうあの職場では働けない、しかし働かなければ食っていけないと思い休職期間に転職活動をしました。

縁があって、私の人柄を評価してくださった調剤薬局を20店舗ほど経営している社長に引っこ抜かれ、社会人1年目の2月から調剤薬局の保健薬剤師として働きました。

病院では薬剤師だけでも数十人おり、医師や看護師等の他の医療従事者を含めたら、 1000人単位の人との触れ合う機会がありました。
一方で薬局の薬剤師では、当然門前のクリニックのスタッフとの関わりもありますが病院薬剤師の頃よりは希薄であり、薬局内の10人にも満たないスタッフでのかかわりが主でした。

転職先の薬局の管理薬剤師は、それはそれは恐ろしい方で、私も入ってから知りましたが幾人もの薬剤師や事務、また患者様とさえトラブルを起こしてきた方でした。
私も理不尽な対応をされてきましたが、前述の通り他人に合わせることに長けている私は、他店舗のスタッフや社長が感動するほど周りから見たら上手くその方と付き合えていたそうです。

転職して半年が経ったころ、上司に飲みに誘われました。そこで上司から、来月から薬局の管理薬剤師をしてくれないか?と打診されました。
聞けば、数々のパワハラ、問題を起こす管理薬剤師に、私以外のスタッフがとうとう耐えきれなくなり、このままだとみんな辞める。というところまできていたそうです。

薬剤師として2年目、保健薬剤師としては半年程度しか働いていなかった私は強く否定しました。

知識経験がないため自信がありません。と

君ならやってくれる。君の人柄は保証する。我々も最大限の手助けをする。
上司に説得され、結局最後は私が折れる形になりました。そうして、社会人2年目にして、私は従業員を管理する立場になりました。

管理薬剤師として働いた2年間は私の人生の中で最も苦痛で理不尽で、それでいて財産です。本当の意味での大人などいなく、皆身勝手で利己的でそれでいて保身的、承認欲求と歪んだ正義感を隠しきれず(私も例外ではない)、それでも皆が私を助けてくださり、優しい言葉をかけてくださり、人間社会の温かさ冷たさ、怖さ優しさを学ぶ最高の経験をさせていただきました。

私は、人に恵まれる能力があると思います。最初の病院薬剤師としての勤務年数は半年と少しでありますが、その時の同期(女性3人)はいまだに定期的に連絡をしていただきます。この前も近々結婚することを伝えたら、お祝いのプレゼントまで用意してくださりました。

管理薬剤師として働いているときは、隣の県で働く他店舗の先輩がわざわざ片道2時間かけて様子を見にきたり、相談に乗ったりしてくださいました。

引っ越しによって今はまた別の職場で働いておりますが、多くのスタッフが私を助けてくださいました。

友達、家族、恋人も私のことを大事にしてくださり、またそれ以上に私も皆のことを大切に思っています。


という言葉が私は大好きです。
あなたとも、どこかでいいご縁があれば幸せです。
まだまだ仕事について語ることは沢山ありますので、とりあえず前編とさせていただきます。最後まで読んでいただきありがとうございます。
ちなみに辛めのコクがある芋焼酎が好きです。
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