「”現在~老後”のストレス対処云々!💜」🎾🏸🏓⚔️🚴‍♀️🤿⛳😎😍

記事
コラム
💎会社勤めはしなくてはなりません、今の時代も!
忠誠心を持ってしまうと幸せはありません、今現在も老後もです。
時間は、好きな事と子育てのためにあります。
つまり、家族中心ではなく、会社、仕事中心の世の中になっているからです。
故に工夫が必要なのです。心の感覚です。!
それが面従腹背(めんじゅうふくはい)(四字熟語)という事です。
表面は従順で心の中では反対である事。
つまり、魂は売らないという事です。
本来、会社というものは、人間の為に作られているのです。
会社の為に人間があるのではないのです。
現実は、本末転倒になっています。
会社側こそ社員に愛されるために努力を傾けるべきなのが本来の姿なのですから......!
ちなみに、稼ぐということ&株式投資自体は、今も昔とかわらずいい意味で変化はしていません!
やはり投資というものは、誰でも気軽にできるもので、確実にお金が増える
システムでなければ意味がないはずです。
だって、人生の時間は、好きな事(したいこと)&子育てのためにあるからです。

今のポジションに対して「こうなってよかったね!」と思う事です。
それには、やはりそのポジションならではの「楽しみ」を見つけることが必要という事になるのです。

今の時代、インターネットで、どんな情報も手に入る時代なので、
自分で考え答えを出して行動できる時代となっているはずです。
自分が自分を好きになる。
自分を好きになるという事は、「私は、私であっていい」と信じきることなのです。
昔は、
①必要な情報が自然と入る人達
②情報を得ようとしない人達
③情報を得ようとする人達 が存在した時代でした。
故に、差別化というものが存在していました。
今は、いい意味で自分によって生きることができる時代と言えると思います。
しかし、まだ肝心な、「稼ぐ(会社勤め)&株式投資」というもののシステムが変革していないので、難しさは変わっていないと感じています。


💎人間関係では、大いに「貸し作り」の感覚でいることがベストなことだと思っている次第です。
それから「いろんな人間が存在する」ということも忘れてはいけないことと思います。そのいろんな人間の中に自分も存在していることも忘れないようにすることです。
過剰にイラつく反応をすると自分が疲れるだけなのです。
いわゆる癪に障るというものです。
自分も含めていろんな人間が存在するので、
気持ちをコントロールする つまり「気にしないこと」にするしかありません。
その人も故意にしてはいないと思うのです。
”人のふり見てわがふり直せ”です。
仕事に支障をきたすならば、当然報告しなくてはいけないはずです。
スキルの身に着けだけでは、会社勤めはうまくいかないと思います。
「居心地を良くするためにに会社に行く」という事も必要なこととなるはずです。自分の為なのです。
こんなことと語弊があるかもしれませんが、
サービス残業が日常化していれば、残業しなくていいシステムを提案してみるとか、
あるいは、上下の連携が悪く上下間に軋轢が(あつれき)を生んでいる状態であれば、連携をよくするアイデアを提案してみるとか、
つまり、気づいたことで、こういうふうな状態だと居心地が何となくいいなあ!と感じることの案をもつということは、多分、誰もが思っているという事です。
人それぞれにストレス解消法はあると思います。
共通点では、やはり音楽を聴くこまめに.....!、本を読む!
それから、コントロール不能(何かおさまらない)状態が長く続くときは、
心療内科でストレートに症状を伝えて,薬を処方してもらうという事が
ベストのことと思っている次第です。



💎今の時代、意識的に作るべき大事な時間があります!
日本初の鉄道が開通したのは、1872年。
それまで、人と人が行きかう手段は、馬を除けば足だけ。
交通・通信に非常に時間がかかったのです。
鉄道、飛行機、車、電話、インターネットなどが次々に誕生したことにより
今は、その時間が格段に短縮されています。
当然、人々の交流範囲は、広がったし、コミュニケーションもとりやすくなりました。これは、非常に便利な事です。利用しない手はありません。
ただ、「便利さによって手に入れた時間を有意義に使っているか」という点にも目を向けていただきたいのです。
今は、SNSで他人と簡単に繋がれる分だけ(表面上)、逆に他人の事ばかりが
気になり、自分のことがおろそかになっているように思います。
始終、スマホを見て生活している人は、単に「暇つぶし」をしているだけなのでは? 昔で言うと読書!
しかも相手(他人)の今をチェックして、自分の今を伝える行為は、生活を窮屈にします。
一度、スマホを家に置いて、街に出てみましょう!
そういう時間を意識的に作って、自分の楽しみのために使った方が
有意義であり、なおかつ心が豊かになるはずです。
つまり、ストレス軽減です。


💎「悩み」というもの!について。
「四苦八苦」というものが存在します。
それは、
①四苦 「生老病死」とは、人間が生まれて、老い、あるいは病気になり死ん
    で行く。この四つは、すべて苦しみだとしています。
②四苦 「愛別離苦」あいべつりく
    「怨憎会苦」おんぞうえく
    「求不得苦」ぐふとくく
    「五蘊盛苦」ごうんじょうく

「愛別離苦」(あいべつりく)とは、
いくら愛する家族であっても、恋人や友人であっても別れなければならないときはくる。死は確実に別れをもたらします。
離れたくない、別れたくないといっても、思うがままにはならないことです。
別れの時まで精一杯相手を愛し、思いやることはできます。
つまり、この思うがままになるという事をするべきという事なのです。
思うがままにならないことを考えること自体が、苦しみという考え方なのです。

「怨憎会苦」(おんぞうえく)とは、
憎さ百倍の相手に会わなければならないということもあるでしょう。
会う事を避けるという行為は、思うがままになることなので実行すれば
いいことです。
しかし、避けられない時があるのも道理です。
そういう時は、「会うのは嫌だ」「なんとか会わないで済ませられないか」などとあれこれ考えず「ええい、ままよ」とその場に臨むしかないのです。
なぜなら、気持ちの問題だけで現実的には何もないからです。


「求不得苦」(ぐふとくく)とは、
求めるものが得られないという苦しみは、
誰もが常にあじわっているものと思います。
例えば、「あいつが課長に昇進した。俺もなんとか課長になりたい」と
イラついて、悶々とした日を送るなどはまさにこのことなのです。
もっと思うがままになることをやれば苦しむこともないはずです。
時間がもったいないことなのです。


「五蘊盛苦」(ごうんじょうく)とは、
心も体も思うがままにならないから苦しむという事です。
つまり、”ほうっておくという感覚”でいることが
苦にからめとられることもないという考え方なのです。



💎老い方のベスト!
どんなことになっても、どんな状況になっても、
つまり、調子悪くなることが当たり前となるので
とにかく、自分なりに「楽しみ」を見つけて、
さらに「平気」で生きるという事が、
かくしゃくたる老人とはまったく拮抗する
味わい深いしょぼくれ老人の姿があると思っている次第です。
難しくする必要などないと思っている次第です。。
自然体です。



💎「ボケたらごめん」と言う勇気を持ちましょう!
昔の阪神タイガースを例にとりますと、
「ホントに守備はうまい!」
もちろん、放送席の声が選手に届くわけがありません。
本人は、誉められたことなど知らないのですが、内心
「今のは、超ファインプレーやったなあ」という思いはあったのでしょう。
その選手のところに次打者の打球も行ったんですね。
それをスライディングキャッチをしたのです。
普通に前進してとれる打球だったにもかかわらずです.....!
「今のは、ちょっと見せにきましたね。あそこまでやる必要はないでしょう!」そんなコメントをかぶせられていました。
こういうことをやるプロ野球選手は、結構いるんですね。

打球処理の仕方は、三つあると言われています。
①イージーな打球をごくごく平凡に処理する選手
②イージーな打球をわざと難しく見せてファインプレーにする選手
③イージーな打球をファインプレーに見せようとしてミスをする選手

観客は、イージーな打球をファインプレーに見せる選手に拍手喝采を
送るわけですが、
本当の”名人”というのは、イージーな打球をそのまま平凡に処理する選手なのです。
人生もそういうものだと思うのです。
老いの惨めさを微塵もあらわさずに、体面をつくろって生きるのは、
イージーな打球をファインプレーに見せるようなものだと思うのです。
体面を繕っているつもりでも、周囲には、すっかり惨めさを見抜かれている
というのは、イージー打球をファインプレーにしそこねるのと同じことなのです。本物は、イージー打球を平凡に処理する、つまり、
老いの惨めさを惨めなまま生きることだと思っている次第です。
世間の喝さいを浴びるのは、さも立派な生き方をしているかのように
見せている人です。それは本物ではないはずです。
ごまかしの人生です。
惨めにもなれず、悲哀を恐れて、しょぼくれることもできないで
「私はこうして老いを克服した」などと言っている人に対しては
うさん臭さしか感じません。
「そうは言っても老後ボケたりしたら周囲に迷惑をかけるし
まずいんじゃないの⁈」
そうでしょうか?
何もボケたくてボケるわけではないし、
ましてボケたら本人にはわかりません。
ボケない努力とかは、存在しません。
故に、「私は、ボケるかもしれない。ボケたら迷惑をかけることになるけど
ごめんね!迷惑をかけたら許してね!」ということしかないのです。
「ボケたらごめん!」「ボケたら頼むね!」というのが
勇気ある老い方だと思っている次第です。
それにしても、阪神の選手のプレーには、深みを感じます。
プレー一つで老後をいかに生きるべきかを考えさせてくれるからです。
つまり、頭脳プレーをする選手はいくらもいますが
こんな哲学的プレーは、誰もちょっとできないはずだからです。


💎子育て!
子どもができれば、親としては、零歳(ぜろさい)。
失敗しながら悩みながら、傷つきながら、
親と子が一緒に生きていく、という考え方がベストだと思うのです。
親になったからと言って、権威とか威厳にこだわって、親の風を吹かせるのは
おこがましいと思うのですが....!
言うのは簡単ですが、しかし、ここのところがポイントと感じる次第なのです。
子どもが、傷ついて泣くのであれば、親としては、説教をしてしまうことが
多いはずです。
しかし、ここのところなのですポイントは.....!
そっと受け止めていっしょに泣いてあげることなのです。なぜなら、
成人して、パワハラ、セクハラ、モラハラ人間となるのは
ここのポイントとなるところが抜け落ちているからだと感じているからです。
以上です。


💎テレビ!
テレビというのは、受け身で情報を得るものです。
つけっぱなしにしていれば、なんとなくいろいろな情報が目に入り
耳に入ってきます。
特に見る番組のアテもなく、何とはなしにテレビをつけたら
ついそのまま見入ってしまいます。
テレビがついていると、つい気をとられてしまい、物事がなかなか進まないという人もいるはずです。
自分で選んでいるというより、自然に情報が入ってきてしまうのです。
そうやっていらない刺激をだらだらと流し込んでいるものなのです。
これを思い切ってやめてみる!
もしくは、一日一時時間、というようにきめてやるのもいいと思うのです。
毎日の決まったニュース以外は見ない、という取り決めでもいいのです。
その時間が終わったら、パチンと消す。
朝の出社前、子供たちの登校前も、一切テレビはなしにしてみるのです。

さて、こうしてみると生活はどんなふうになると思われますか?
家の中の静けさが新鮮で、心地良いと思う人も多いと思うのです。
テレビ以外に刺激がないという人は困りますが、
今の世の中に生きていて、テレビひとつやめたぐらいで幻覚が出るほど
刺激を求めたくなることはないと思うのですが.....?
テレビを見る代わりに、静かに読書をしたり、音楽を聴いたり、長風呂に入るなどの、自分に合ったいつもと違う時間を少し過ごしてみるということが
新鮮に映るからです。

逆に、あれもムダ、これもムダと、ムダをカットしすぎる性格の人は、
反対の実験をしてみるとよいと思うのです。
見るアテもなく、なんとなくパチンとテレビをつけて、つけっぱなしに
してみるのです。
テレビ欄を見て、見たい番組を選んだりしてはいけません。
偶然出たものに目を向けてみる。
すると、自分では、決して選ばないような情報が飛び込んできます。
自分で選んでいると、いつも同じようなものばかり選んでしまうものです。
本当は、他のものが、必要な時でも、自分の頭ではなかなかわからないものです。そして、どんどん狭い方向に固まってしまいます。
固まってしまっているなと感じた時は、
少し栓を緩めて、いろいろ入れてみるのです。
その中から必要な事がキャッチできるかもしれないからです。

蛇口を拡げっぱなしの人は、少し絞って
きつく締め過ぎの人は、少し緩めてみる。
必要量の刺激を自分で調節するために、いろいろ試してみましょう!
何事もバランスがポイントだからです、人間には!


💎こういう考え方も存在します!
世の中は、「おかげ様」で成り立っていると思うのです。
病気をしたら、病院の役に立っているという考え方です。
つまり、ここで人間は、強迫観念が働いてしまいます。
いわゆるネガティブ妄想というものです。
そのためにもこの「おかげ様」で成り立っているという考え方は
普通だと思うのです。
そのための病院という考え方です。
病気した方が何か罪があるのではという思いが強迫観念です。
病院にとっては、病人がお客様なのです。
ですから、他の事でもそうと思われませんか?
「おかげ様なのです。」「お互い様」という事なのです。
ちょっと極端な例で申し訳ありませんが!

それから、ネガティブ感覚になりやすい時というのは、
やはり、「睡眠不足の時」ということに気づいた次第です。

💎日本は、借金大国です。
国の借金と言うと実感何てありませんよね!
しかし、これが現実です。
つまり、国民一人当たりの借金額は、800万円以上になるという事です。
「少子化」の問題が取りざたされていますが、
生まれてきた赤ん坊は、この借金を背負わされるのですから、
産む気にならないのも当然だという考え方です。

国の借金がつぎ込まれたのは、大企業や金融機関です。
それから、景気回復の大義名分のもとに必要のない橋をかけたり
道路を造ったり、新幹線を走らせたり
金融機関には、不良債権処理の名目で巨額の資金が投入されました。

借金まみれの日本を立て直す方策は?
①構造改革、財政改革をする・
借金膨らみすぎで、焼け石に水!
②インフレ策
インフレになったら、資本はすぐに日本から海外に流れてしまう。
故に、インフレは、起こせないという事に!
③IMF(国際通貨基金)に乗り込んでもらう!
乗り込んでもらうという事は、日本経済の没落を意味します。
踏み倒しにはなりますが....!
こういうシナリオはいつ現実になってもおかしくないと思っている次第です。

このことから言えることは、
老後の蓄えは、単なる不安解消にはなるかもしれませんが
意味はありません。
それと、あてにならないものを当てにしてしまうからです。
老いたら、やはり、しょぼくれて生きることに価値観を見出す
という事が、自然体であるという感覚がポイントだと
思えるのです。
日本には、
日本の侘び(わび)、寂(さび)という
枯れた境地をよしとする精神的風土が存在していて、
それに対する憧憬(どうけい)もあるのです。
侘び、寂と、しょぼくれには、そう距離はありません。

酒にも老酒というものが、あります。
長い年月を経て、熟した酒ですが
「年を経て老いている」という事が、この酒の新骨董です。
その味わいが搾りたての生ビールに劣るという事はありません。
酒では、老酒に価値を認めながら
人間となると「老いてみっともない」「しょぼくれて情けない」という
ことになっています。
妙なダブルスタンダードがまかり通ってるのが、現実です。
味わい深いしょぼくれた生き方が見当たらないのも不幸なことかもしれません。
これは、日本文学の一番の欠点だと思います。
青春文学は、せっせと描いてきたものの、
しょぼくれた老いの味わいは、描いてこなかったので、
しょぼくれた生き方のなんたるかがわからなくなっているのが、日本なのです!










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