💎デパートの前身!
日本というデパートは、ベースボールに対する野球などと同じく
世界的には特殊であるらしい。
食料品を扱う事がそもそも日本的なのだ。
欧米では、食品は、専門店で扱う事になっている。
日本では、進物だけはデパートで買うという人は、今だに多く
その主流がスイーツを含む食品であれば、最後まで生き残るのも
地下の食品売り場だと思います。
欧米を手本としたデパートメントストアは、日本独自のデパートに変貌しました。では今日の老舗百貨店の前身と言われる呉服店とはどんな商売だったのでしょう?
呉服屋とは、裕福な人に反物を売る店で、品ぞろえも店内の様子も
庶民には、まったくわかりません。
今では当たり前の、現金売りの商習慣もなく、正札もなく、商人と客の信用と
駆け引きで値が決まるというものです。
三井呉服店は、慣例だった掛値や売掛による商売をあらため、
正札現金取引限定して栄えた店です。
さらに、1900年(明治33)いち早く陳列販売を始めます。
それまでは、お客の求めがあってから、初めて品物を奥から出してくるという
ふうだったから「見るだけ」も「ふり」(通りすがり)もあり得なかったのです。
ちなみに、三井呉服店は、この陳列販売を始めるのにあわせて、
一ツ橋女子職業学校を卒業した女子3名を採用しています。
これが女子店員の始まりだったのです。
三年後1903年の募集時には、申し込みが殺到してそのうち20人を
採用しているのです。
近代デパートは、19世紀半ば、パリの婦人洋裁店(ボン・マルシェ)の店主であったブシコーとその夫人によって発明されたものです。
それまでの地域に密着した個人商店を、不特定多数の浮動客が集まる百貨店
という形態に発展させたのが、ブシコー夫婦だったのです。
フランスでは、百貨店をグラン・マガザンと言います。
「サービスとは何か?」
イギリスの老舗紳士服のサービスのありかたについて、
愛嬌よりも豊かな商品知識と売った後の修理などの対応こそが
サービスの本領であると.....!
1923年(大正12)は、9月に関東大震災のあった年ですが
「白木屋が神戸出張所を開いて床をタイル張りにして百貨店で初めて土足入店を始める」と記事にあったのです。
百貨店が観工場と呼ばれていたころから、入店の際には、草履を預けて店内に入るというものでした。
三越のルネサンス式新館は、ロンドンのハロッズを参考にしたとのことですが
売り場には、ガラスのショーケースがならび観葉植物などもおかれ
天井も高く、照明も明るい洋風なのだが
床は畳敷きで、着物姿の人たちの足下は足袋でした。
当時の日本人には、建物のなかへ草履のままはいるなど
とうてい考えられない事だったのでしょう!
震災後の復興事業が進む中で、畳敷きではない床ができて
草履または靴のまま入る習慣も広まっていきます。
ようやく西欧なみの百貨店への環境が整ったのでした。
💎包装紙のオキテ!
デパートの店内のゴミ箱(バックスペース含)に、
危険物や不審物の混入がまずいのはもちろんのこと、その他に断じて存在してはいけないものがあります。それは、
自社の包装紙です。
包むことに熟達していない新人は、一生懸命に包もうとして
包装紙を破ってしまったり、品物に対する紙のサイズを間違えたりして
新しい紙で包みなおすことがあります。
その場合の反故紙(ほごし)は、しわを伸ばしてきちんと折り畳み
所定の場所に保管をします。
包装紙は、店の顔なのです。
昭和の百貨店員は、幾分形式ばった教育をされたものですが
近頃は、「のれん」を自慢にするデパートにいっても
レジの中のゴミ箱に包装紙をまるめて捨ててあるのを目にします。
部外者のクセにそんな場面を見つけてしまうのは、小姑根性なのか?
ちゃんと資源ごみに出そうとも言いたい。
デパートが自社の包装紙を神聖視していた時代には、
世の中にもまだ多くのつつましさがありました。
別に人から注意を受けなくても、デパートの包装紙のように
紙の質がよくて、裏が白いものは、捨てるに忍びない。
だから、たいていの家庭ではなにかに二次利用するつもりでとっておくのです。子供時代の私は、絵を描く紙、あるいは、図工の材料として
大抵のデパートの包装紙をコレクションしていました。
包む用途に適した適度な薄さが、他の紙では得難いものであったし、
透けるところも気に入っていました。
80年代の前半ごろ、多くのデパートではまだやぼったいチュールの
リボンを使っていたのです。
デパート店内には、書家とは別に筆耕(ひっこう)さんと呼ばれる人たちが
いました。
こちらは広報(販売促進)部の所属でチラシや垂れ幕などの他
催事場の掲示物などを書く人たちです。
天井から吊るしたり、セール用のワゴンに貼り付けたりする
「超特価〇〇〇〇円」とか「半額セール」というようなものを
昔はすべて手書きしていたのです。
昭和の後半まで「大棚ざらえ」なんていうチラシが店内にはためく場面も
ありましたがもちろん今は、誰も何のことかわからないはずです。
棚卸の前に、全部特価で売ってしまいますよという意味ですが
そもそも棚卸も、売り上げと同時に在庫管理ができる
POSシステム(販売時点情報管理)の導入後は、
様変わりしたはずです。
私の時代には、まだ、在庫も売り場の商品も一つずつ数えていました。
同額のものを十ずつ束ねるために紙ひもを使います。
商品を傷つけずにまとめることができ、しかもハサミも糊も必要ないのです。
おまけに低コストという優れもの!
船出のさいに投げる「さよならテープ」と同じです。
新入社員だったころ売り場で必要とする備品項目の中に
「さよならテープ」というのを見つけて首をひねりました。
何に使うものなのかさっぱりわかりませんでした。
棚卸は、計算が合わないと何時になっても帰宅できない恐怖の一日でした。
女子社員の夜十時以降の労働は、当時の労働基準法違反になるため
超過分はすべてサービス残業。
労働法とは雇い主の為のものなのです。
💎巧の技
進物用の定形の箱は、包装紙のサイズに合わせて作られています。
だから、少々練習すれば、誰でもきれいに包むことができます。
デパートでは、ネーム入りシールを封緘(ふうかん)代わりにします。
これは、ひとつの包みに対してひとつしか使ってはいけないという事なのです。補助的に使う場合は、透明のテープを貼ります。
だがデパート社員たるもの一つのシールだけで包むのが当たり前のこと!
ゆえに、補助テープはつかわないように指導をされました。
問題は、定形外の箱です。
特に立方体に近いものは厄介です。
これを補助テープなしにまともに包み始めると、どうしても一回り大きな紙が
必要になります。
したがって、包み終わりのところでむやみに紙が余るのです。
これは、体裁も悪くコスト的にもよろしくないです。
厄介な箱を包む時には、終わりの位置を先に決めることです。
逆の手順をたどってスタート位置に戻り、
あらためて包み始めるのです。
その位置は、半端であることが多く、補助テープを必要とすることが場合も
出てきます。
箱を包む際に普通は、紙を包装台に広げてそのうえで箱を回転させます。
ハンカチや手袋のような洋装品や布製品はそれで構いません。
しかし、食器や食品を箱ごと回転させるわけにはいきません。
そういう時には、箱ではなく紙を回転させるのです。
これはなかなかに難しいものです。
食料品売り場には、達人がたくさんいました。
折詰の商品を片手に持って、もう片手で紙をあてがって手際よく包むのです。
近頃のコンビニエンスストアには、無添加のものがちゃんと並んでいます。
デパートの地下食料品売り場では、そもそも添加物の有無がわからない商品が
多すぎます。
会計の際にわざわざ教えてくれる賞味期限というものが
数か月先であることの不自然さを疑問に思っていないらしいのも怪しい。
そういう点でもデパートは最先端ではなくなりました。
こちらとしては、なにやら入っていると認識しつつ、たまに口にする程度で
まあ仕方がないと思って買うのです。
英語に弱いので、カタカナ語のギフトとプレゼントの使い分けはよくわかりません。
ギフトに「あたえる」の意味があることを考えると、
日本語で言う「贈り物」は、プレゼントになると思うのですが
デパートでは、歳暮、中元、バレンタインなど儀礼的進物及び行事関係の
場合にギフトの用語を使います。
歳暮、中元の特設売り場を「ギフトセンター」と呼んでいるのも
よく考えてみると相当にへんてこりんですが
デパート式日本語だと理解すべきことなのです。
世の中には、私を含めて実に不思議な人々が存在します。
しれっとして、老舗風の包装紙で進物を贈り、
安物を高級品として見せようとする人。
進物を返品するばかりか、ゴネてゴネて思い通りの金券を手に入れる人。
そんなふうに得た小金がいったいなんだというのだろう。
もちろん優雅な人もいる。服装や洋装の事ではありません。
心映えの事です。
歳暮、中元のたけなわには、特設売り場だけではなく通常の売り場も大変
混雑します。
待たされて不機嫌になる人が続出するのもこの季節です。
自分が現在承っている人だけでなく
待っている人の先着順を把握しておくのも、販売員の基本中の基本です。
「お待たせしております」と声をかけるのも忘れてはいけません。
優雅な人は、そこで”にっこり”としてくれます。
さらに、「この時期だから待つのは覚悟してきたんだけど、足が辛いの。
どこか腰掛けさせていただける?」のように言う事もできるのです。
配送伝票を書くためのカウンターのはじにご案内します。
すると「あら、ありがとう。ここで待っているから、ごゆっくりね!」と
またにっこり!
「お品物は、お決まりですか?」と待ち時間にカタログをご覧いただこうというつもりで尋ねる。
「ええ、決まっているの。いつも同じものを贈るのよ!年寄りだからそれでいいの」という答え。
同僚と「ああいうふうに年を取りたいものだ!」と言い合ったが
時が流れて中高年の部類になった今、日々のふるまいは優雅とは程遠い
状態なのです。
なぜなら、待たされれば腹が立つし、
順番を抜かされるとこれまた腹立たしい!
販売員の注意力が足りない、質が悪い、と思ってしまう。
私自身が販売員だったときには、たびたび優雅なご婦人に助けられていたことも忘れて!!
💜”ちょっとした心づかいの積み重ね”💜が、かつては「デパート」を晴れやかな場所にしていたのではないかと思います。マジに!!!
昨日もまた、店員が台車を押して通るのを立ち止まって見ていたら
一言も言わずに通り過ぎたのです。
ここは、老舗でもなく狭い意味でのデパートでもないのだけれど.....!
ただ昨年(2011年)の台風で交通がマヒした際、JRの駅ビルである
この店に「大変良くしてもらった!」という知人もいるのです。
何が今風のサービスかを問われるならむろん後者だろうと思います。
💎おじぎの角度!
デパートの新入社員研修で、真っ先に練習するのが「おじぎ」の角度です。
30度、45度、90度の三種類があるのです。
「いらっしゃいませ!」「お待たせいたしました!」が45度。
「大変申し訳ございません!」
「ありがとうございました。またどうぞお越しくださいませ!」が90度
「少々お待ちくださいませ!」「さようでございます!」が30度
この使い分けを練習するのです。
角度をつけているつもりでも、新人のほとんどは背中がまがった、
おかしなおじぎをします。
背筋を伸ばし、背中全体を意識的に傾けないと、きちんとしたおじぎには
ならないようになっているのです。人間の身体は.....!!!
デパートにおけるおじぎの姿勢での腕の位置は、「気をつけ」ではなく
へそのあたりで合わせる。
そのとき右手が上になるか、左手が上になるかは、各デパートの流儀によって
違うが、おそらくどちらかに決められている。
「左手が上」の理由は、右手が刀を持つ手であり、それを隠すのがお客様に対しての礼節であると....!
いったい何時代の話だという反問をしてはいけない!
「右手を上」の理由は、お客様に売り場などのご案内をする際
方角を指し示す手である右手をすみやかに使えるようにするためなのです。
左利きの場合はどうでしょう?という反問をしてはいけない!
「おじぎをマスターしたら次は、「ことばつかい」の訓練があります。
正しい日本語ではなく、正しいデパート用語を覚えるのです。
もちろん一部は、正しい日本語とも共通なのですが
個性が出ないようにするためにどうしても極端になります。
街の商店主は、ある商品の有無をたずねられたときに
「ウチでは扱ってません」などと答えます。
デパートは、むろん一般の企業では、「ウチ」のかわりに「わたくしども」と
いわなければならないし、扱っていないなら「申し訳ございません」と
詫びなくてはいけません。
これが徹底されているか否かで、その企業の洗練度が知れてしまうのです。
でも、学生気分のぬけない新人は、うかうかしていると「ウチ」と言いがちです。
日本語は、対話する相手との関係性が常に言葉に現れます。
デパートのように不特定多数の人が訪れる場所では、全ての関係性に使いまわしのきく言葉としての接客用語が発達しています。
重複でもくどくてもかまわず「ご」や「お」で装飾をします。
進物でと指定されたときは、
「お包みのご用途はいかがなさいますか」
雨の日には
「お手提げ袋に、雨除けのカバーをお付けいたしますか」
試着室にて
「お履き物をお脱ぎになってご利用ください」などなど。
子どもの頃、外食するときの割りばしの袋に「おてもと」と書いてあるのを読んで意味が分からず悩んだことがあります。
「おはし」ならばわかるのに....!
💎店内アナウンス!
「おてもと」「おあしもと」「おてまわり」などの用語を
日常で口にすることは、めったにないのにデパートではことのほか
よく使われる。
店内アナウンスでは「おてまわり品」への注意喚起を欠かしません。
「お手荷物」でもよさそうだが、お客さまの持ち物を「荷物」というのは
いかがなものかというわけで「お手回り品」となるのです。
四半世紀前では、すでに若い世代には、「お手回り品」が通じなかった。
「ハンドバックやお手提げ」と言い直してようやく相手も了解します。
「ご来店のお客様のお呼び出しを申し上げます」ではじまる店内アナウンスは、しばしば業務連絡を兼ねます。
そのデパートが銀座にあって、呼び出しアナウンスに続けて
「中央区銀座の〇〇さま、お連れ様がお待ちでございます。
お近くの係員までご連絡ください」と言っている時は、
店内をうろついている社員(たいてい幹部社員)に来客があるので
事務所へもどるようにと促しているのです。
今では、携帯電話があるので、いちいちうっとうしい呼び出しをすることもないはずです。しかし、雲隠れはできない!
中には、大いなる勘違いなのか高度に機密化されたアナウンス、社員にも
不明の場合もありました。
ブランド名と個人名を間違える?
一年のうちに何度か繰り返しありました。
モリハナエブランドのハンカチを名入りハンカチと本気で思い込んでいたのかもしれない?セリーヌ様とかラルフローレン様の呼び出しはありませんでした。
デパートの中でBGMが突然雨にちなんだ曲に変わるときは、外で雨が降り出している時です。
「雨に唄えば!」「雨にぬれても!」「シェルブールの雨傘!」
「オーバー・ザ・レインボー」は、雨が止んだ時のBGM!
今は、携帯電話で伝達できる、業務連絡としてならば!
それでも雨の曲を流すのは、来客向けのサービス!
あの頃は、売り上げの集計、予算達成まであともう少しなども
BGMで社員に知らせる仕組みになっていました。
デパート内には、窓がどこにあるのかわかりません。
建物としては、箱の中に箱を入れ子にした構造になっています。
レストラン街でもない限り、外の景色は見えず、夕立があってもわかりません。
これは、「照明が消えると真っ暗」であることを意味します。
店内では、「常に非常口の所在を確認する」ことを強調しています。
店内のどこかで火災報知機が反応した場合の第一報は、
店内アナウンスをつかった符丁(ふちょう)で行われることになっています。
「お客様のお呼び出しを申し上げます」で始まり、
続けて「中央区銀座のカジ様、至急お近くの売り場までご連絡くださいませ」とアナウンスします。
お客様がパニックにならないように、時間差をつけて知らせます。
社員がそれに先駆けて避難誘導の準備をするためもあるのです。
売り場では、来店客の「耳」を意識しなくてはなりません。
あからさまに口にすることを憚れることには、符丁を使います。
番号やイロハに置き換えるだけです。
「1番に行ってきます」とか!
トイレに関しては、「トイレはどこかしら」と尋ねられた場合にも
「お化粧室は、中央階段の右手になっております」のように言い換えます。
新入社員の頃には、「御不浄(ごふじょう)はどこ?」と尋ねるお客様もいました。
💎厄介な人!
デパートの新人研修で、店内用語や包装技術をひととおり練習したのち
買い物客と店員客とに分かれて接客の訓練があります。
いわゆるロール・プレーイングです。
本当の厄介とは、手がこんでいて、見極めが難しくしかも底なしなのです。
外見はごく普通です。
「カーデガンを探しているんだけど?」というように話しかけてきて
あれもこれもと出しては拡げ、全部気に入らなくて結局は何も買わずじまい。
暇つぶしにきているのです。
新人には、それがわからずあしらいかねてむだに長引いてしまいます。
その接客に、新人が30分も40分も振り回されている間に
先輩社員は、二人分は働いて売り上げを作るのです。
暇つぶしのプロは、新人を狙ってやってくるのです。
新人がその人につかまるとわかっていても、これも訓練のうちと放っておきます。新人の休憩時間が迫ってくる頃に、ようやく助け舟を出すのです。
「お客様、来月になりますと新商品が入りますので、またお気に召す商品も
あるかと存じます。お出直しなさっては?」などと
丁寧なのか無礼なのかわからない言い方でお引き取り願います。
また、キャンペーンなどで景品が付く商品を発送した場合、
「景品がはいっていなかった!」と言ってくる人が必ずいるのです。
検品には自信をもっていても、この場合は不毛なやり取りを避けるために
さっさと詫びて景品を贈ります。
”一般の人のちょっとした悪意は怖い!”
それから、現金の受け渡しの際、とくに釣銭がらみはこじれやすい。
五千円を預かり、釣銭を返すというときに
「あら、一万円を渡したわよ!」という人がいます。
単純な思い込みと悪意の両方が存在します。
ゆえに、紙幣を預かった際にまず、「五千円をお預かりいたします」と
はっきり言うようにするのです。
これがマニュアル型の販売店では、「五千円からお預かりします」となるのです。デパートをしのぐ奇妙な日本語にバケています。
受け渡しが完了するまでその紙幣は、トレイに残しておきます。
無事に終了をしてからレジへしまうのです。
また、紙幣で釣銭を渡すときに「細かいのにしてほしい」といわれることも
あります。これは、丁重にお断りします。
詐欺の手口の一つだからです。
相手に悪意がなくても用心することです。
代わりに近くにある銀行を案内します。
電話をかけたいから細かくと言われたときは、両替機付きの公衆電話のありかを案内します。店内にひとつはあります。
タバコの場合も同じです。
インフォメーションを兼ねたサービスカウンター(たいてい1階にあります)
ではたばこの販売もしていたのでそちらを案内していました。
💎よそゆきとおでかけ!
昭和40年代の庶民には、家族そろってデパートへ出かけるという日曜日の娯楽がありました。
屋上遊園地に始まり、大食堂、おもちゃ売り場、子供服、
その他の売り場をめぐり、地下食品売り場のキャンディワゴンで終わる。
そこから直通の電車にのって帰宅する。
デパートもそんな家族連れにあわせた売り場づくりになっていました。
そうした日曜日を、子供は、「おでかけ」と呼び
前の週のうちから「今度の日曜日」を楽しみにして
普段着とは違う「よそゆき」をめかしこんで家を出ます。
ハンドバックに帽子、運動靴ではないエナメルのベルトつきの靴を履くのです。昭和40年代のデパートとは、大人も子供もそれなりのおしゃれをして
出かけるところだったのです。
このつつましく、ささやかな幸福の感じは、バブル期以降に子供時代を
過ごした人には、まったく伝わらないと思います。
昭和40年代の多くの人にとってのおしゃれとは、白いものは白く
磨くべきものは磨き、アイロンできちんとしわを伸ばし
しゃんとすべき時には背筋を伸ばすことであって、
贅沢な衣装できかざることではありませんでした。
やたらと「地べた」に腰を降ろしもせず、手荷物も「地べた」に置きませんでした。近頃は、若い人はむろん年配の人も、食品がはいっているような
買い物袋を地面に置いているのをよく見かけます。
中には、トイレの前でも平気で奥人がいます。
自分のものをどこへ置こうと勝手ですけど.....!
とはいえ、細かいことをいちいち気にしていたら都市では暮らせません。
わたしも除菌シートを持ち歩くほど神経質ではありません。
今では、日曜日の都心へ車で出かけるなど、渋滞にハマリにゆくような
ものであるし、目的地についても満車で駐車できず
ようやく車を停めたところは、地下鉄で数駅先だったということにも
なり叶ないのです。
それから、昭和40年代「お子様食堂」は大変人気があり、
ほかの売り場で寄り道をしている間に席を確保できなくなるのです。
子ども優先のルールができていました。
「お子様食堂」では、おそろいの絵柄の紙のエプロンとナプキンとランチマットがもれなくついてくる。
この3点セットをそろえてお子様ランチを食べるまでは
他の事をいっさい受け付けませんでした。
子供連れの家族は、どこも同じでした。
ところであれだけ人気のあった「お子様食堂」なのに
インターネットの書き込みでは全くヒットをしないのです。
みんな忘れてしまったのでしょう!
それから、屋上遊園地が撤去されたのは、
消防法が厳しくなったためと、維持管理の経費がかさんだことによるらしいです。
💎デパートは、数年ごとに改装工事をする!
デパートは、数年ごとに改装工事とリニューアルオープンを繰り返しします。
常に目新しさを求められるからです。
あるデパートが大がかりな工事を終え、その変わり映えを見物しに出かけました。クリスマスシーズンたけなわの時です。
店内の思いがけない所でコーヒーの香りがしました。
スタンド式のカフェコーナーが売り場に紛れているのです。
デパートの中は乾燥します。
滞在時間が長引くにつれ、喉の渇きも増してきます。
買い物は続けたいけれど、休憩もしたい、でも喫茶店でまったりするほど
時間はないという事はよくあります。
そうした要望に応じた売り場構成なのでしょう!
お歳暮のギフトセンターの入り口では、来場者にコーヒーをサービスしていました。
このデパートの店内は、「観光客仕様」の売り場づくりをしています。
縁起の良い色や動植物をかたどったものが目につきました。
民族性が違い過ぎるので、片方に特化すれば一方に受け入れがたくなります。
しかも売り場は、購買意欲の高い人に合わせて構成をされます。
デパートの品ぞろえは、専門店ですでに見慣れたものばかりになりました。
新しく話題性のある商品をいち早く展開するのは、もはやデパートではなく
セレクトショップなのです。
デパートに並ぶ頃には、全国のどの地域からでも通販で購入できる環境が
整っているのです。
このデパートのテレビショッピングで150万円台の「おりん」が紹介されていたのには驚きました。
そういうものを通販で、しかもこの金額で買う人がいるとは.....!
💎週休二日と言っても!
かつてのデパートは、業界内の協定によって
午前10時開店、午後6時閉店、週一度の定休日というのを一律に守っていました。上司によれば、石油ショック後に横並びの節電態勢をとった際の方針が
そのまま続いているとのことでした。
今ではデパートの年中無休にすっかり慣れてしまっています。
日本人の一般的な体質からして、誰かが主導的にシステム化を図り
あらかじめ余裕をもって組まれたスケジュールに沿って粛々と進行するのであれば、現場のストレスをもっと減らせるはずだが、「決断できない政府」は
誰にとっても迷惑なものおはずです。
東日本大震災の当日、あるデパート内にいた友人が
どこへ避難すればよいかわからず、誘導もなし、ゆえに自分の判断で行動したそうなのです。
「実際はどうなっているの?」と聞かれた。
たてまえの話ならば、社員は定期的に防災訓練を行い、
お客様の避難誘導係も決まっています。
でも、ここで正直に述べると、店員(とくに女子)たちは、親から
「いいから逃げなさい、それほどの給料はもらっていないでしょうに!」
と言われています。
確かな事は、正社員は、避難経路を知っています。
暗闇でもわかります。
ゆえに、緊急時に正社員を見つけたらその後に続くのがいいです。
友人にはそう伝えました。
今は、スタッフが制服を着ない店が多く、正社員とそうでない人の見分けは
かなり難しいです。
80年代のデパート社員の一日を紹介します。
10時開店で6時閉店です。
9時から5時までの一般のサラリーマンと実働時間は同じように見えます。
だが、実際には、10時開店でも前日の終業間際に納品されたまま箱積みになっていた商品のストックや棚だしの作業があるため、遅くとも午前9時30分までには出社しました。
ミーティングがある場合は9時に召集されていました。
だからと言って9時から実働とみなされるわけではありません。
新卒で入社したある百貨店には、タイムカードがなく、超過勤務は
申告制でした。
むろん、申告には上司の承認が必要で、
開店前の準備のために自主的に30分、1時間の早出をする分は
当然のように申告できませんでした。
転社した百貨店では、タイムカードはあったものの、超過勤務については
同じく申告制でした。
そのくせ遅刻をすればタイムカードに赤が付いて、その分はマイナス評価となるのだから雇われる側は圧倒的に不利なのです。
百貨店を退職したのち派遣社員となった時には、自己申告書に応じて
支払われました。
また、派遣先が変わるごとに時給の見直しがあり
経験日数に応じて上がってゆきました。
バブル時代の恩恵?ワープロ入力を覚えました!
正社員であっても基本給が低く労働時間が長いうえにサービス残業も多い職場にいた人は、派遣社員の方がはるかにましと思えたでしょう。
将来の不安もなかったはずです。
当時、バブルがはじけて派遣社員の状況が現在のように厳しくなるなど
想像できなかったはずです。
デパート社員の週休二日制度は、一般のサラリーマンとは同じではなかったのです。
定休日の他に週休が一日分という意味です。
祝日や振り替え休日の数だけ休みが取れるわけではないのです。
定休日が祝日と重なる場合は営業日となるので、そのぶんの振り替え休みはありました。
祝日も含めてバランスよく社員の休日を振り分けた方が
疲労もたまらず、仕事の能率も上がりそうだが
”人が休んでいる時に働くのが商人という呪縛(じゅばく)には、
誰も逆らえなかったのです。”
その反面、労働条件の項目に「完全週休2日」とは
書かれていないので、承知して働いていることになります。
新人の頃は、計算に弱いというのがまず第一の不安要素。
POSシステムが導入される以前の旧式のレジスターは、
電算機つきではありません。
釣銭は自分で計算しなくてはいけません。
むろん電卓はもっていますが、暗算したうえで確認のために使うものでした。
のろのろしていると行列ができてしまうのです。
しかし、現金取引はすぐに慣れてしまいます。
問題は、当時まだそれほど広範囲で普及していなかった
クレジットカードでの支払い、小切手や金券の類です。
毎朝、盗難届の出ているクレジットカード番号の追加速報が経理部より
配布されていました。
この時代は、情報を目で確認するアナログ作業でした。
それがレジにおいてあり、大変数が多いのです。
さらに、高額商品をお買い上げいただく際には、クレジット会社の承認が
必要でした。お客様の耳にとどかないところで電話をかけて
商人番号を得ます。
だからレジもお客様の目には見えないかくれた場所にありました。
かつてのデパートでの買い物は、商品が決まったらレジを探すのではなく
店員を探して「これを下さい」といって
商品と現金またはカードを預けてその場で待つことが普通でした。
今は、店員らしき人に声をかけても
「恐れ入りますが、あちらのレジまでお願いいたします。」と
¥マークのある場所へ案内されます。
売り場や通路で金銭のやり取りをするのは、
防犯の上でも好ましくないし、トラブルを起こさないためにも避けた方がよいのは確かな事と思っています。
💎閉店時間!
ごご4時に、売り上げの中間報告をします。
経理部では、各売り場のレジ担当者が電話で定時報告した数値を集計します。
この時点で予算が達成できていれば、店内放送として音楽を流されるのです。
だが、それはあくまで店舗全体の総売り上げの事で、それぞれの売り場では
予算を達成できていないところもあります。
そこでまた特価品を乗せたワゴンが倍増されて
閉店時時間まで外の通りへ売り上げを作りに行きます。
予算というのがあくまで売り上げの数字だから、特価品を売っても
実際の利益が少ないことはあまり考慮されません。
こうして閉店時間がやってきます。
午後6時になったとたん、すんなり閉店とはいきません。
閉店30分前の5時30分ころから、盛んに
「ご来店誠にありがとうございます。
本日の営業は午後6時までとなっております。
食料品売り場は、午後7時まで、〇階レストラン街は午後10時まで営業いたしております。」といった放送が流れます。
それでもお客様たちは、たいてい落ち着き払っています。
閉店10分前「まもなく閉店のお時間でございます。
本日はご来店誠にありがとうございました。」の放送が繰り返されます。
エレベーターは、全て下りのみになるのですが、それでも上を目指すお客様も
います。エスカレーターは、まだ通常通りなのでそこを駆け上がっていきます。なぜかこうした時間帯に大口の注文を持ち込むお客様がいるのです。
タオルの箱つめを50セットとか、羽毛布団の一式数十万円などを
お買い上げになるのです。
その間レジ担当者は釣銭を数えています。
ここで売り上げと釣銭がぴったりあえば問題はありません。
ちがっていれば営業中に釣銭間違いなどが起こっていたことになります。
もう一度計算しなおしても合わない時は、少額ならば上司がポケットマネーをだしておしまい。千円以上違っていれば、さらに細かく原因を探す作業をします。こうしてレジを閉めて、売り場での一日の営業が終了します。
業務はまだもう少しづつきます。
釣銭袋とレジのカギを経理課に戻します。
そのころ経理課では、集計に忙しいのです。
アナログ時代なので、伝票を操りつつ電卓をたたいています。
そのための要因もかなりの数に上ります。
情報管理ができるPOSシステムの導入によって
現代ではこの事務部門の技能と人材は必要ないはずです。
アナログのレジでは、在庫管理ができないため、レジを閉めた後の売り場での
最終業務は帳簿つけでした。
販売するごとに品番をわけて記録をしておいた手書きの商品台帳によって
どれがどれだけ売れたのかを確認し在庫が品薄であれば
それぞれの取引先に注文を出すための伝票を起こして、上司の承認を得ておきます。当時は、それを取引先にファクシミリで流しておくというシステムではなく翌朝の電話注文となるのです。
この頃は、まだ外線電話をかけるには交換手を経由しなければなりませんでした。この交換手がなかなかの曲者で、うまく付き合っておかないと混雑時に
待たされるのです。
アナログ時代は、そういうこまごましたところに私情が紛れ込んでいました。
デジタル化によってさまざまなサービス業務が、機械的にマニュアル化された
事を嘆く人もいますが、アナログ時代のわずらわしいコミュニケーションに
比べればマニュアル化されている方が合理的であるし公平なのです。
まもなく電話交換室は、なくなりました。
残業がない時は、売り場のゴミを集積所へ捨てて一日の仕事が終わります。
女子社員は、再びロッカールームへ向かいます。
早ければ閉店後30分ほどで外に出られる。
平均すると45分ぐらい。店通で警備員に通勤バックの中身をチェックしてもらい外に出ます。午後7時少し前というのがほとんどでした。
すっかり空腹なので帰りがけに食事をすることも多く、
ただでさえ少ない給料が外食費で消えてしまいます。
食事をしない時は、駅の売店などでクランチタイプのチョコレートを買い
それを電車の中でこっそり食べて空腹を紛らわせつつ帰宅するのです。
帰宅して、あわただしく風呂をすませ、翌朝の6時起床にそなえて寝ます。
立ち仕事で体力勝負のデパート社員としては、睡眠6時間は確保したかったのです。
💎誰にでもできる仕事!
デパートの社員は、売り場でどれだけベテランになろうとも
他業種への転職は難しい。
四半世紀前も今も、接客業の技術と経験を評価するシステムが世の中には
存在しません。
新入社員の頃、20年後もこの職場で働くことの自問の答えは、いつもNOでした。休みにくく拘束時間も長い。
産休があけて間もないころに両立を断念して辞めていく人が多かった。
そして、一年後か数年後に社員なみに仕事ができるパート従業員として
戻ってくる。会社としては、その方がありがたいはずだし実際にそうだったのです。
バブル期で景気の良かった80年代の半ばごろでさえ
販売や流通業の経験者が人材派遣会社にスタッフ登録しようとするさい
「クライアントの求めるキャリア(ワープロ、英文タイプ、伝票処理の経験)がない」という事で「お断り」される場合がありました。
新入社員の時に取得した販売士の資格がまだ有効期限内だったので
登録できました。この資格は、商業事務を含んでいました。
女子社員が長く働き続けるシステムにはなっていないため
自立するだけの給料を得るのは無理だと判断しての退社だったのです。
日本にデパートが登場しておおよそ100年になります。
数年、低迷していた利益を底上げする新たな販路として
外国人観光客の購買力を当てにしていたにちがいないデパート業界
ですが、震災後は、さまざまな方針の転換や修正を迫られたはずです。
その後は、デパートでは、防災用品ばかり売っていました。
それが夏には、節電対策グッズに変わりました。
2011年夏は、「節電ビズ」と称した衣料がよく売れていたようですが
「だらしがない」格好と「場違いなリゾート服」が増えただけで
根本的な意識の改革にはいたっていない印象でした。
サマータイムの導入は見送られました。
それぞれの企業の判断にゆだねられています。
昭和40年代の前半ぐらいまでは、役所や鉄道会社の人は、
ネクタイなしの開襟シャツを着ていました。
あの服装に戻ることのどこに不都合があるのでしょう。
あれは日本がまだ先進国とみなされていなかった時代の名残だから
戻りたくないとでも?
大阪の万国博覧会あたりが、開襟シャツとネクタイ&スーツの境界線だったと!「すててこ姿」で歩く時代の終焉!
ところが、2011年の節電モードの夏に、すててこはステテコとなって
再登場しました。それが2012年には大繁殖していました。
結局、日本人が思いつく「涼しいかっこう」は、
何十年たってもこの程度なのです。あしからず!
政府は、夏と同じく原子力以外の発電の総量は、どのくらいあるのかの具体的
な数字を示さずに、停電の恐れだけをほのめかしてだから原発は必要だと
国民に思わせようとしたのです。
通販サイトなどでは節電に対応した防寒用品を盛んに売り込んでいました。
デパートでは、メインはあくまで
「クリスマスケーキの予約開始」
「お節料理の予約開始」
「お歳暮の早期受注」であり、何があってもいつも通りのスケジュールで進もうとしたのです。
流通業界独特の物流の複雑さや慣習やさまざまなしがらみで「がんじがらめ」
にされ、その時々の状況に応じて変更するなどほとんど不可能なのが
あの頃のデパートにおける年間スケジュールというものでしたが
その後もあまりかわっていないらしい。
お歳暮やクリスマスシーズンが始まるまでのつなぎとして
秋口のテーマが必要なのです。
ハロウィンはいつの間にか本家をしのぐ騒ぎとなっています。
そのうち感謝祭も祝うようになるかもしれません。
だけどこの国では、神様が留守の季節なのだから、おとなしくしていればよいとおもうのですが....!
ブームというよりは、一つのジャンルとなっている「昭和30年代もの」の
映画やドラマを通じて多くの人が、うすうす感じているように
「あのころ」の生活様式を見習えといわれても
おそらく「絶対無理」でしょう!
「あのころ」にうまれた人間にさえできないことが、今どきの若者に
できるはずはないのです。
人とモノが移動(流通)することによって、エネルギーも大量に消費されます。だから、スローフードやマクロヴィオティックの理念の中には、
身近な食物を旬の時期に正しく食べようという考え方があります。
地消地産を実践している人たちもいます。
さらにそれを有機栽培で行う。
季節ごとに自然に発育する植物をなるべく農薬を使わず
太陽と水と大地の恵みだけで育て、旬の時期に味合う。
それにより、温室栽培や長期保存あるいは流通させるのに必要なエネルギー(電力)を抑制することができるのです。
しかし、地消地産は無理です!
海洋交通が発達しているこの島国では、昔から遠くのものをとりよせて味わい
代わりにこちらのものを送り、ものを動かして、人を動かすことを
先史時代から行なっていて、それが身に染みているのだから
流通を遮断する暮らしなど所詮は無理な話であるし、
流通こそがこの島国をいかしてきた歴史をふまえれば、
やはり、ものと人を動かしつつ、暮らしてゆくしかないのです。
流通業のひとつの形態であるデパートの生き残る道も
多分そこにあると思っている次第です。