誰もが完全な意識の存在だということを腑に落とす

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コラム
昨日は超多忙でした(^^♪
忙しい事がどんなにありがたい事か
この2年で気づかせていただきました。
体験できる事のありがたみを
心から感じています。


今日も並木先生の著書から
統合するために大切なことを
綴っていきたいと思います。

私たちは何世紀にもわたって
ある時は被害者、ある時は加害者を
やり続けてきました。

自分を善だと思っている。
自分を光だと思っている。

そして相手は悪であり
闇だと思っている。

ここが既に傲慢なのです。

加害者、被害者という
意識、呼び方そのものも
被害者、加害者を
増やしているということに
気づくことが大事です。

例えば虐待された動物を
ニュースで目にしたとき
「かわいそう」「助けてあげなきゃ」
と感じたとしたら
それは自分の中にある「強い、弱い」
という二極の意識を
使っているからです。

被害者、加害者を
創り出している思考や
人に良く思われたいという思考
皆に合わせておかないとという
事なかれ主義的な在り方に
根こそぎ光を当てて、越えていく
タイミングにきています。

勘違いしないでほしいのは
それらの思考が悪いと
言っているのではないということ。
善悪の判断を越えて
本当は私はどう感じているのか?
本当はどうしたいのか?
自分が本当に求めていることは何か?

そうやって、一瞬一瞬、
自分の意識を顧みて
自分の在り方を問うことが大事です。

人間であれ、動物であれ
この宇宙に生きとし、生けるものはすべて、
もともとは完全なる意識の存在なのに
哀れむという行為は
「あなたは非力ですね」と言っているようなもの。
これこそ傲慢と言えるでしょう。

どんなに劣悪に見える環境でも
『完全な意識』である人間や動物が
それぞれの意志で、体験する現実を
選んでいるのです。


これまでの教育で思考的、道徳的な事柄を
〇、×、これが正解と教えられる。
自分を主張すると
協調性がないと指摘され
人に合わせられる人が
素晴らしい人格のように
教育されてきたように
私には感じます。

そういう意味では
沢山の人が自分を封印してきたのだと
思います。

自分は本当はどうしたいか?

これはそんな私たちにとって、
いや私にとって
なかなかの高いハードルです。


その訓練として
日々の小さな事や目にする出来事の中から
自分はどう感じているのか?を
ジャッジしないで
自分の感じる事を
心から尊重してあげたいと思う。










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