街灯の下で鍵を探す男

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「街灯の下で鍵を探す男」という寓話があります。

スーフィズムで語られてきた寓話であると聞いたことがあるのですが、ご存じでしょうか?


こんなお話です。

以下、Wikipediaより引用します。





「街灯の下で鍵を探す男」




ある公園の街灯の下で、何かを探している男がいた。


そこに通りかかった人が、その男に「何を探しているのか」と尋ねた。

すると、その男は、「家の鍵を失くしたので探している」と言った。


通りかかりの人は、それを気の毒に思って、しばらく一緒に探したが、鍵は見つからなかった。
そこで、通りかかりの人は、男に「本当にここで鍵を失くしたのか」と訊いた。


すると、男は、平然としてこう応えた。


「いや、鍵を失くしたのは、あっちの暗いほうなんですが、あそこは暗くて何も見えないから、光の当たっているこっちを探しているんです」






どうでしょうか?


多くの人の感想は「なんて馬鹿な男なのだろう」というようなものでしょう。



だってそうですよね?

本当は探している場所に鍵は無いのに、
「こちらの方が明るくて探しやすいから」という理由だけで、
ずっと街灯の明かりの下だけを探している…


これ、本当に意味ないですよね。
愚かです。




ですが、実は

この寓話の真意は何なのかと言えば、

実はこれは僕ら人間の人生のありようそのままなのです。




どういうことかというと、



普通、僕らは幸せになりたいと思った時に、「外側」に働きかけています。

「外側」というのは自分の外、
つまりこの物理世界のことですね。



お金を稼げば幸せになれるはず
とか
結婚出来れば幸せになれるはず
とか
周りの人間関係さえ改善されれば幸せになれるはず
とか


これって全部「外側」なんです。



この物理宇宙というのは本当のところ、
私たちの「内側」、つまり潜在意識の在りようが投影されてそこに現れている、バーチャル映像に過ぎません。

この世界が幻想、というのはそういう意味です。

ただの映像なんです。
実体ではありません。

このことは量子力学の世界ではすでに証明済みと言っていい。

この関連の話は以前もこちらでしています↓




このような、幻想である物理世界、つまり「外側」

これが寓話で言うところの「街灯の明かりの下」です。




さて、もう分かりますね?


「街灯の下」=「外側」の世界


では、

僕らは街灯の明かりの下で、いったい何を探しているのでしょうか?



僕らがこの世界で、
探しても探しても見つからないと言って、
嘆き続けているもの。



それは、「幸せ」です。

この「幸せ」が、寓話で言うところの「失くしてしまった鍵」です。




僕らはすぐに「外側」を変えようとしてしまいます。

それがあまりにもリアルに見えているからです。
このリアリティに騙されてしまっているのです。



ですが、


僕らの探しているものは、「外側」には無い。

この世界の中には落ちていない。

ここを探しても絶対に見つけられないのです。




あなたはこれまで何度、「外側」を探してきましたか?
「生まれてからずっと」
これが答えではないでしょうか?

そうです。
僕らが幸せを求めて探すのはいつも「外側」です。



なぜなのでしょう?

なぜ僕らは幻想であるはずの「外側」の世界にばかり、目がいってしまうのでしょうか?



その答えは寓話の中で男が言っていましたね。


「明るくて探しやすいから」です。


僕らも、この男と同じなのです。



「明るくて探しやすいから」という理由だけで、
ずっと街灯の明かりの下で失くした鍵を探している男。

しかし、見つかるはずがありません。
鍵はそこには無いのですから。


この愚かな男はまさに、僕らの在りようそのものではないでしょうか?



本当に大切なもの
人生の本質は

いつだって「外側」ではなく「内側」です。


そこにこそ、僕らが本当に求めている、失くしたと思っていた鍵が落ちている。


このことに気づくこと。


これが本当の意味での「スピリチュアル」なのです。




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