月よ星よと、君を思うこと許されば。

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某青い鳥さんで投稿させていただいたものになります。
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#オメガバース

「由貴さん」
「七緒くん」

そうやって寄り添っている先生と先輩の姿に、私はなぜか尊いものを見た気持ちになって拝みたいという欲を押さえ込み、手元の課題に目を落とす。

夕暮れも夕暮れ。時計は18時を指そうとしていた。

家に帰りたくなくて居座る保健室には、私の従兄弟にあたる保険医の先生と、ここの卒業生で先生の恋人である先輩が居る。先輩、いつも忍び込んでるけど、なぜか私以外の生徒にはバレていない。

「今日も居んのか、瑞佳」
「……うん」
「課題は?数学か。どこが分かんねぇの」
「大丈夫だよ、せんぱい」

先輩が動く度に作業着から香る機械油の匂いには、すっかり慣れて。先生に移った煙草の香りにも慣れたものだ。

「そういえば、先生と先輩っていつからお付き合いしてるの?」
「え?」

先生の色白の頬に朱色が走る。先輩は目を瞬かせて私を見下ろしている。

「単純な疑問だから、答えなくても良いんだけど。いつか私にも先生たちみたいな恋人出来たらいいのになあって」

とん、と答えをノートに書いてペン先を打ち付けた。先生や先輩から返事はなくて。

見ちゃったんだよね。保健室の隣の仮眠室に忍び込んで眠る先輩の目元を覆ってキスしてるの。なんだか、神聖なものに見えてさ。美しかったとも言えるほどに。

「時々さ、先輩が私に牽制するじゃん。いや、私たち従兄弟だよ?だからそれ以上は何も思わないし、なんなら私もオメガだから兄さんを先輩から奪うつもりないんだよね」
「は?お前、ベータって」
「うん。この前、体調崩してた時に病院行ったら診断された。後天性の変化だって。だから、ずっと家の中がてんわやんわしてる」

名家といえば名家の生まれで、数多くのアルファを輩出し栄えてきた所に直系の私がオメガになった。唯一の娘である私が、だ。家中ひっくり返ったとも言える。

「由貴さん、聞いてねぇけど」
「おいそれと言える話じゃないからねぇ。唯一の直系の子がベータだったのに、それがまさかのオメガになった。結構、うちの家はシビアだから、僕以上にこの子の立場は危ういんだよね」

――僕は早々に番である君を見つけれたから、比較的に自由が利いているし保険医にもなれた。まだ、正式な番じゃないけどね。

そう続けた先生は、酷く悲しそうに笑った。別に先生がそんな顔をしなくたって良いのに。

「んでね、重要な話が一個あって。先輩は先生だけ、先生は先輩だけを大事にすればいいよ。これは、うちの一族から言質取ってある。念書もボイスレコーダーだって残してある。先生のアルファは先輩だって正式に認められた。だから、早めに籍を入れておくのをお勧めするよ」

私が最初で最後にできたこと。大事にしてくれた兄さんにあげれる唯一の言葉。大きく目を見開いた先生と先輩に、私の視線はまた課題に落ちた。

「あの家が、対価なしにそんなことをする筈が…。瑞佳、お前は何を対価にしたの?」

問題文が頭に入って来ないけれど、先生の言葉が頭のなかでリフレインされる。私が家に差し出した対価。

「――オメガとしての私自身を」
「な、んで」
「兄さんには幸せになってほしいから。兄さん、先輩と出会って毎日楽しそう。もう死んだ目をしてない。生き生きとした目をしてて、声にも覇気が戻った」

羨ましくて、でも幸せになってほしくて。だから。私は私を差し出した。

「御爺様たちはそれで納得したのね。だから、たぶん、私はこれからお見合い祭り」

つらつらと名前を挙げられている、大企業の一族や華族の名前。その中から、何人選ばれるのかはわからない。幸せになれるとも限らない。運命の番が居るなんて端から思っても居ない。

「瑞佳、」
「やになっちゃうよね。ほんと。でも、私は満足してるの」

兄さんたちに自由をあげれるのだ、それ以上の誉れはないだろう。これは自己犠牲の自己満足だけど。私は顔を上げて顔を顰める先生と先輩を見た。肩を竦めて、課題のノートを閉じる。そんなに見たって、現実は変わらないよ。

「てなわけで、明日から学校お休みです」
「え?待って、待って。瑞佳、待って」
「はい?」
「明日から休みって、えっと、明日からなの?」
「母曰く明日は1日エステに放り込まれるって。だから、実質お見合いスタートは明後日から」
「明後日…。そんな、早くに、どうして」
「どうしてって。兄さんには幸せになってほしいからだよ。あんな家に生まれたせいで疎まれてきた兄さんが、やっと見つけた自由と愛を手放さないでほしいから。ただ、それだけ」

トントンとノートの端を整える。先輩は未だに難しそうな顔をしていて、少しの躊躇いのあと口を開いた。

「俺の、兄貴と会ってみるつもりはないか?」
「…先輩?」
「俺んところは三兄弟でアルファだ。で、俺はその一番下な。一番目と二番目の兄貴がそれなりの会社を展開しているから、お前の家から出されている条件は満たされるだろう。会うのは、二番目の副社長を務める兄貴だ」
「情報量過多…。てか先輩、末っ子なんだ。通りで、甘え上手だと…」
「煩い。明日は会社休日で兄貴も予定が空いている筈だし、空いてなかったら空けさせる」

先輩は私を見据えて言う。良いのだろうか、そんな勝手に決めちゃっても。私が何も言えずにいると、先輩はおもむろにスマホを取り出して何かタップしている。

「明日のエステはお前ひとりか?」
「え、うん」
「なら、明日は俺と兄貴に会いに行くぞ。由貴さん、瑞佳借りても良い?」
「良いけど、瑞佳はそれでいいの?」
「先輩のお兄さんなら、まだ気持ちは楽かもしれないけど…」
「よし、なら決定な。エステ終わったら連絡しろ、迎えに行くから」

先輩の角ばった手が私の頭を乱暴に撫でる。くしゃくしゃになった髪を、先生が撫でるように直してくれて。――先輩のお兄さんに会っても、良いのだろうか。

「一応、俺の家もアルファ一族なんだよ。でも、由貴さんや瑞佳ン所みたいにガチガチに厳しいわけでもない。俺なんか自由に作業員してるんだぜ?一番目と二番目の兄貴は、爺さんが作った会社を自由な会社に作り直そうとしているから、自分で好きなこととしてやってる。一番目のはゲーム感覚に近いな」
「…へえー」

すごいなあ、なんで兄さんと先輩って認められなかったんだろう、なんて思いながら課題ノートをカバンに入れる。時間は19時。先生たちも帰らなきゃならない時間だ。

「瑞佳、途中まで送るよ」
「うん、いつもありがと」
「…こちらこそ、だよ。言葉が足りないぐらい、なんて言えば良いのか分かんない」
「兄さんと先輩の結婚式に呼んでくれたら、それで良いよ。海外でするって言うなら、写真見せてね。一番にだよ」
「…うん、うん」

先生は言葉に詰まるだけで、それ以上は何も言わなかった。先輩は、窓から身体を乗り出してさっさと消えていく。近くのコンビニにでもバイクか車を止めているのだろう。

「帰ろ、兄さん」

途中まで先生の車で送ってもらう。先生はすでに先輩と同棲しているから一緒には帰らない。だから途中まで。帰ってからまた何を言われるのやら分からないが、それでも、その間で私の渦巻く嫌な気持ちは落ち着くのだ。

▼△▼△

翌日。
エステを終えて、私は先輩の車に乗っていた。後部座席に座る私をバックミラーで見てくる先輩。いつもの作業着じゃなくて、ラフな格好をしている。

「兄貴、待ってるってよ」
「…ねえ、先輩」
「なに?」
「こんな小娘が会って良い人なの?大丈夫?」
「小娘って、お前もう18が来るんだろーが」
「先輩のお兄さんだから30ぐらい?」
「そんぐらいだな。32だったか31だったか」

初めて乗る先輩の車は、先生の車と同じ芳香剤を使っているのだろう、昨日嗅いだ匂いが漂っていた。あちこちで先生―兄さんと先輩の掛け替えのない尊さを感じる。

「そこのカフェに居るっつうから、先に降りてて。車止めてくる」
「え、うっそ、置いてくの…?」
「置いて行かねえよ、ならパーキングまで行くか」

仕方ねえなあ、みたいな顔をして車を再度動かす。少しだけ離れた距離にあるパーキングエリアに車を止めて、後部座席の扉が開けられた。そんなことしてもらったことがなくて、ギョッとしていると「早く降りろ」と声が掛けられる。兄さん、先輩の教育凄いね。それか、素でやってるのかな。どっちか分からないけど、兄さん本当に良い人に巡り合えたね…。

「先輩」
「次はなに?」
「…あの、めちゃくちゃ見てくる人がそう?」
「……おー、そうだな。めっちゃ見てくンなアイツ」

並んで道を歩いて目的地のカフェを見やれば、ダークスーツを身に纏って、茶赤の髪をオールバックに固めている美丈夫がこちらをガン見していた。先輩を見ているのか私を見ているのか分からないぐらい、ガン見してくる。

「兄貴、こえぇ面すんなよ。俺と由貴さんの可愛い子が怯えてる」
「――君が、七緒と由貴くんとの可愛い子か」

テノールの聞き心地の良い声が、響いて、私はガクンと膝の力が抜けるのを感じた。イスに縋ろうとするも、既に時遅し。ガシャンと音を立てて、私はしゃがみ込んでいた。目を見開いた美丈夫と先輩。私は目を瞬かせていた。何が起こったか分からない。

「え…?」
「瑞佳?!」

先輩が手を伸ばして、起こしてくれるがいかんせん腰から下に力が入らなかった。イスに片方の手を伸ばすも、それも届かなくて何が何だか理解するのを止めたくなった。

「せんぱい、イス…」
「おう」

どうにかイスに座らせてもらい、私はそろりとその美丈夫を見た。先輩を数倍もいかつくしたような人。先輩もいかついと思ってたんだけどな…。それを上回った。ほかのパーツは一緒なのにね。でも、こういかつさ故のカッコよさがそこにはあった。

「どうした瑞佳、大丈夫か?」
「大丈夫…。けど、腰から下全然力入らないのヤバくない…?」
「ヤベぇな。兄貴、なんかした?」
「しとらんが?」
「なんか、すみません…」
「瑞佳は俺以外のアルファと会うのは初めてだっけ?違うよな?」
「同年には居ないし、家族を除いたら初めてなんじゃないかなあ…」

先輩の言葉に首を振って、答える。受け答えは出来ているし、頭の思考回路も問題ない。つまり、ただアルファ性が強い人なんだろうな、と思う。時折、そういうオーラ的な、威圧的なもので腰を抜かしたり失神する人もいるというから。

「それで、七緒。お前が彼女と俺を会わせた理由は?」
「まあ、先に自己紹介しようぜ。この子は瑞佳。こっちは二番目の兄貴の将臣な」
「はあ。いえ、ちょっと待ってください。せんぱい、苗字なんでしたっけ…?」
「あれ、知らねーの?ずっと知ってるもんだと」
「昨日アップデートされたけど、兄さんの彼氏ぐらいしか情報量ないんです。で、苗字って…」
「高城だけど」
「…た、かしろ」

脳裏を駆け巡っていく、高城カンパニー。大企業も大企業で、うちなんか下の下レベル。え、なんでお家は先輩と交際を拒否し続けたの?なんで?本当になんで?首が傾いていくのを見ていた、正面に座っていた将臣さんの首も傾いていく。

「――なんでそんなに驚く?」
「格上じゃないですか、は、そりゃ私なんかただの小娘ですって…」
「ただの小娘にしては、俺と会話が成り立っているように思うが。珍しいもんだ」
「腰抜けてるんですけど…。いや待ってって、せんぱい」
「なに?」
「全身ふにゃふにゃなりそうなんだけど…?」
「ふにゃ…?俺の手ぇ握ってみ?」
「…力入らないね。無理」

隣に座っていた先輩の手を握ろうとするも、私の手には力が全然入らなかった。握っているという感覚はある。それだけだ。

「せんぱい、これ、なんで?」
「うーん。全身ふにゃふにゃだけど兄貴を前にして意識保ってるだけすげぇわ、お前」
「言うことに欠いてそれってどうなの?」
「兄貴はうちで一番アルファ性が強い。だから、オメガやベータが兄貴の前に居るだけで気を失うやつがほとんどだし、目が覚めても怯えてしまう」
「あー…聞いたことがあるやつだ」

ホンモノが目の前に居るとは思わなくて、私は呆然と将臣さんを見つめた。ぱちぱちと茶赤の目を見る。

「瑞佳さんと言ったかな」
「あ、はい」
「君が良かったら俺と婚約してほしい」
「…は?」

私と先輩の声がユニゾンする。今、この人は何て言っただろう。婚約。婚約。婚約。周りが一斉に静まり返る。誰もかれもが私たちに意識を向けているようにも思えた。

「いや、早まりすぎたな。この場合は恋人から、か」
「こ、いびと」
「俺のアルファ性に慣らせば、君は俺の唯一になりえる。君を初めて見た時、俺は得とも言い難い程の激情に襲われた。なんで、七緒と居るんだ、とね」

――人はそれを『運命の出会い』とも言うのだろう。

そう続けて穏やかに笑った将臣さん。呆然としている私と先輩は、何も言えなかった。


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