夜さりつ方に恋をして

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天麻(てんま)は横で眠る幼馴染――大雅(たいが)を見て、うーんと首を傾げた。

個室になった部屋のテーブルの上にはビールジョッキが3杯とサワーグラスが2つ。どれもこれも、大雅が飲んだものだ。お酒に強く、普段なら酔いつぶれることもない、この幼馴染が「いつもの居酒屋、19時に」と連絡を寄こしてきた時点で、なんだか嫌な予感はしていた。

同じ大学を出てから、プログラマーとして働いている大雅の目元には、薄っすらと隈がくっついている。天麻は、そんな顔を見ながらああ徹夜明けなんだろうなと推測した。

天麻は花屋で勤めていて、時折こうやって幼馴染のやけ酒に付き合う。そんな代り映えのない生活を送っている。花屋の店主である井澄夫婦は優しくて、とても働き甲斐のある職場だ。天麻は良い職場に就くことが出来て良かったなと、この社畜になってしまった幼馴染を見るたびに思う。

それでも、大雅はプログラミングから離れるつもりはないようで。愚痴を吐き出せば、すっきりとした顔で酒を飲む。そうして出来たのが、このグラスの数々だ。

「――たいが、大雅ってば起きて」

ゆさゆさと揺さぶってみるも、大雅は起きる気配がない。幸いにも、此処の居酒屋は天麻と大雅がそれぞれ住むアパートまで歩いて帰れる距離だ。歩いて帰れば酔いも醒める、と以前言っていたが、これだけ深い眠りに落ちていればなかなか起きないだろう。

「はー…」

天麻は溜息を吐く。残った料理を摘まみながら、スマホに視線を落とした。21時と表示されたロック画面。閉店までは時間があるから、それまで寝かせてもいいだろう。代わりに私が飲んで、少しでも時間を稼ぐとしようか。ちびちびとレモンサワーを飲み進めながら、そう思った。

幼少中高大とすべてを一緒に過ごして、更に同じアパートの隣に住むこの幼馴染。顔は良い。隈はいただけないが、端正な顔立ちをしている。声も耳触りが良くて、すらりとした痩躯には程よく筋肉が乗っている。
顔に掛かった緩くクセがかかった黒い髪を耳に避けてやりながら、天麻は唐揚げを摘まむ。

「あら、天ちゃん。大ちゃんったら寝ちゃったの?」
「そうなんです。徹夜明けなのにハイスピードで飲んだから…」

天ちゃんと大ちゃん、そう呼んだのはこの居酒屋の女将だった。高校時代に、この居酒屋の定食を食べに来ていたから、もう顔なじみになって数年経過する。

いつまで経っても変わらない女将が注文を取りに来て、天麻の隣でぐうぐう眠る大雅を見てからりと笑った。

「まあまあ。起きるまでくつろいでって良いのよ」
「いえそれは流石に悪いので、いつもの鯛茶漬けお願いします」
「あらあら」

女将はにっこりと笑って注文を取って、ごゆっくりと囁いて部屋を後にした。ごゆっくりだなんて。大雅を時々揺すってみながら様子を見る。起きない。起きる様子もない。

此処の鯛茶漬けは天麻も大雅も大好物だったから、ワンチャン匂いを嗅いで起きないだろうか。そんなことを考えながら、天麻はスマホゲームで時間を潰す。それからしばらくして、届けられた鯛茶漬けに天麻は再び大雅を揺すり起こす。

「たいが、たいがってば。そろそろ起きなよ。鯛茶漬け来たから」
「…んー…」
「起きてって」

腕を目の上に当てて唸り始めた大雅に、もう一押しだなと天麻は思う。ここの鯛茶漬けは、自分で出汁で作られえていて、出汁が入ったポットと一緒に届けられるから、鯛は未だにぴかぴかと輝いて見えた。いつもより鯛が分厚くて多く見えるのは、大将の気遣いだろうか。いつもどこかしらで、こうやってオマケをして甘やかしてもらっている気がする。

「鯛茶漬け要らないの」
「……くうから、まって、」
「仕方ないなあ」

出汁を自身の器に注ぐと、良い匂いが一瞬にして部屋の中に広まった。食欲をそそる匂いに、隣からぐぅと可愛い音が聞こえてきた。大雅は腹を抑えながら、ゆっくりと起き上がる。死んだ目をしているが、それでも鯛茶漬けに視線が止まり小さく息を吐いた。

「シメて、さっさと帰ろ」
「…ん」

自身の器の隣にある大雅の器にも出汁を注ぐ。大雅は少な目を好むから、そこそこに注ぐ。それから、ずぞぞと天麻は女の子らしさを捨てて鯛茶漬けを啜った。大雅はそんな天麻を一瞥した後、お冷を飲んで口の中のアルコールやらなんやらを追い出す。

「勢い良いな…」
「居酒屋に女らしさは必要ないと思うの」

焼き鳥だって串に刺さったまま食べるし、鯛茶漬けはれんげを使わない。それに、異性と言えど一緒に来るのは殆どが大雅で。取り繕う必要もなかった。今更、取り繕うこともできなかった。

「おっまえなあ」

意識されるのは程遠いな、なんて大雅は寝起きの頭で思いながら食欲をそそる鯛茶漬けに手を付けた。一方、どっどっどと忙しなく心臓を刻ませていた天麻は思う。咄嗟に出た言葉が、いつも通り可愛げのないもので、コレはかんっぜんに呆れられたな、と。箸を止めて、俯く。

「てんま?」
「…わさびがツンと来ただけ」
「お茶は?」
「だいじょうぶ…」

嘘を吐いたけど、天麻にはどうでも良かった。本当はよくない事だけど。寝起きの大雅の気怠そうな色気は心臓に良くないし、そうやって気遣いを見せるのもどうかと思う。

何年も一緒に過ごしてきて、今更どうしろというのか。どうにもならない気がする。幸いなことと言えば、大雅が社畜過ぎて恋人が長続きしないことだ。天麻には恋人すらできないから論外として。

幼馴染離れを、そろそろしないといけないのかもしれない。
――初恋だと気付いたのは、20年も前の夕方のことだ。



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夜さりつ方・・・
夜になる時分。夕方。ようさりつかた。(goo辞書より)



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