自分の好きなことを否定しない

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私はとある企業で会社役員をしていて、比較的自由に人生を過ごしています。
斎藤一人さんを尊敬しています。


先日、「余暇を楽しむ」ということをテーマに、ブログを書きました。
私は、暇を楽しむことが下手だ、といった内容で、その内容をどうクリアするか、という内容を書きました。

そこで1点、さらに気付いたことがありました。
これはもしかして、多くの人が、1回でも「自分が好きなこと」を否定してしまった時があるのではないか、と。

私自身、少し「こんな無駄なことで楽しんでいいのだろうか?」と、自分の中に、「ダメ」の壁を作っているときがあります。

社会を生き抜いていくうえで、人が考えた「常識」や考え方になじむと、社会生活は送りやすくなります。(一旦個人のストレス具合は度外視して)

けれども、自分の個性、というと少しややこしい、もっとわかりやすく言うと、「自分が好きなこと」を封印してしまいがちだな、と思いました。


仕事はしたほうがいいです。なぜなら税金を納めたり、買い物をすることで、社会貢献にもつながるし、家族も養えるし、プレゼントも出来るし、自分の趣味にも使えます。

だけれでも、それ以上を満たすために仕事をすることは、人生で本当に必要だろうか?と思うのです。もちろん本人が好きで、楽しくて仕事をする分はいいのですが、無理に、頑張って、気を張って仕事をして、それを自分の器以上にやってしまうことは、「忙しい」と書いて、本当に「心を失う」ことになりかねません。仕事でも、家事でもそうです。家事だって、今は乾燥機付きの全自動洗濯機があります。買ってしまって、楽したっていいんです。

自分の好きなことというのは基本、あまり他者から理解されません。
当たり前です、皆さん、それぞれ違うからです。

私は心の中では、「何も気にせずゲームをしたい」という、まるで子供のような「したい」ことがあったことに気付きました。けれでも、今私が申し上げたように「まるで子供」と、誰かから吹き込まれた概念を植え付け、
「無駄である」となり、何となく、その好きなことに取り組んでみることができない、という結果に陥りました。
けれども昨日、えい!と、昔好きだったドラクエ6を、iphoneからダウンロードして、やってみました。1800円くらいわざわざ出して。
効率を求める私が、社会的に無駄のようなことをしました、勇気を出して(笑)
そうすると、始めた瞬間わくわくして、またすぐゲームしたいなあと思いました。始めて良かったです。


他にも、
私は「ピアノの練習をして、ピアノを弾けるようになりたい」という願望がありました。

きちんと「ピアノの練習をして」といれているように、現実的に、「楽しめること」を考えていたのですね。
けれども私は、「音楽は道楽だ」などど考えて、なかなか自分に許しをだせず、仕事をしよう、家事をしよう、という感じでした。
昔音楽にはまっていた時、両親の考えとしては、「音楽は道楽、暇があるなら働け」っていう感じだったんです。

そこで、去年の5月ごろ、勇気を出して、その壁をとっぱらい、「とりあえずしてみよう」としてみました。
するとやっぱり面白くて、ほんの少しづつですが上達して、今では毎日の習慣になっています。してよかったなあと思いました。

基本となる社会生活=仕事や家事などは、おろそかにすると、非常に生きにくいです。でもそれだけだと、とても退屈で、毎日の人生がもったいなく感じます。
好きなこと、魅力を感じるもの、というのは人によって違う、
人によって違うからこそこの世界は面白いのだと思います。
人によって違うからこと、マニアックな商品が出てきたり、世界的なクリエイターも生まれたりするのだと思います。

どんなことであれ、人を苦しめるようなこと以外の、
「好きなこと」は、ぜひ、それを否定せず、自分を許して、勇気をもって、無駄を味わってみることをオススメします。


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