大人へのステップⅢ

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コラム
北風が吹くころ、毎年恒例の持久走大会の練習が始まった。
私はドクターストップがかかっていたので、それまで長く走ったことはない。
嫌々ながらも、走り切った友人の顔を見ていると清々しい顔をしている。
「走ってみたいな・・」ふと思った。
主治医に相談して「体力もついてきてるし、歩く事を前提に絶対に無理はしないように。」と許可が出た。
初めての経験。最初は体が温まるまでゆっくりと息を整えながら走った。
段々と追い越していく生徒たち。
私はいつしか、夢中になって走っていた。羽が付いたように鳥になった気分
しかし、ゴール付近で待つ先生の姿を確認したところで気を失った。

ひとーつ。ふたーつ。ぴょん!!
私はあの場所にいた。小さい頃よく遊びに行ったおばあさんのいる場所。
でも、いつもと雰囲気が違う。
1本の細い金の道があって、その上を落ちないように歩いている
時々、黒い手が足首を掴む。その度、かわすように飛び跳ねる
道の先には、綺麗な場所がある。
「あそこまで行けばおばあさんに会えるかな」
ひとーつ。ふたーつ。ぴょん!!
おばあさんの声がした。
「月穂、言ったはずだよ。16歳、気を付けなさいと。
さあ、こんな所で遊んでいないでお戻り。」

「月穂ー-----------!!」
後ろからお父さんの声がした。背中を掴まれたような感じで私は後ろに戻った
目も開かない。声も出ない。聞こえるのは電子音。そして、深刻な声。
「全力を尽くしましたが、今夜が峠です。彼女の生命力を信じるしかありません。ただ・・全身麻痺か植物状態でしか維持できないでしょう。。。」
沈黙が続いた後、父が言った。「家に連れて帰ります」
医師が怒鳴った。
「現状をわかっていますか?、娘さんの命に係わるんですよ!!」
それでも父は、医者の言う事を無視し 私をおんぶして家に連れて帰った。

どれだけ眠っていたんだろう・・・目を開けたとき、母が泣き崩れた。
父は「よく頑張ったな。月穂偉いぞ。」そう言って泣いている。
姉も兄も弟もいた、みんな泣いていた。でも声が出ない、体も動かせない。
それから1週間、私はアイコンタクトで色んなことを伝えた。
医師が訪問してくれた。「奇跡だ。医者が言う事ではないが奇跡としか言えない。」1か月経つ頃には、私は自分でおおよその事は出来るようになっていた
学校に復帰したのは2か月後。いち早く駆け付け抱きしめてくれたのは
部活の顧問だった。「生きててくれて、ありがとう。」
倒れてから手術が終わり、それでもずっと傍にいてくれた先生。
感謝と言う言葉しか思い浮かばなかった。

更に、定期的な検査と投薬は続いた。
検査結果の時は、私は入室できない。
でも、ドア越しに聞こえたひそひそ声
「2回目のくも膜下出血です。奇跡的に命に別状はありませんでしたが
4年後の3回目は覚悟しておいてください。」
4年後・・・20歳だ。
おばあさんの言っていたことが繋がり始めた。
もし、20歳までの命であるならば自由に生きよう。
やりたい事も、やらなければいけない事も楽しみながら
精一杯生きよう。そう思った16歳の冬だった。

続きはまた明日・・・
天国への道.jpg


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