親の寿命を意識する時

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本日も記事をご覧いただきありがとうございます。ひろです。

人について考える。

今回のテーマは、

「寿命」

です。

年末になるにつれて、

「忙しい忙しい!」

と聞こえてきそうな師走の時期。

「先輩は正月、実家に帰るんですか?」

という後輩からの質問。

「どうしようかなとは思ってるけど」

コロナが問題になってから数年。

今ではワクチンの接種が当たり前になり、感染によって高齢者が死ぬ。

という記事を目にすることもあまりなくなった。

以前実家に帰ったときは、ホテルに泊まり。墓参りと両親への軽い挨拶だけにとどまった。

そろそろちゃんと実家に帰ってもいい時期かもしれない。

「そっちはどうするの?」
「いや、正直。別に親に会わなくてもいいかなって思って」

分かる!

親と会ったところで何かが変わるわけでもない。

そう思っていた若い頃。

「若いときは別に帰らなくてもいいんじゃないかな」
「そうですよね」
「実家どこだっけ?」

「兵庫です」
「大阪から近いね」
「そうなんですよ。わざわざ帰っても。逆にいつも帰ってないから、何で帰ってきたのって思われるかもです(笑)」

若い独身男性の感覚はそういうものかもしれない。

「まぁ、30超えるまでは別に実家に帰らなくてもいいかなとは思うけど」「30超えたら何かできるんですか?」
「ん?」
「実家に帰る理由」

自分が実家に帰るようになったのは30歳を超えてから。

キッカケは「親」というものへの意識の変化。

実家にいたときは、当たり前に存在し、近くにいるのが当たり前の存在。

一人暮らしを始めた時には、親からの独立を大いに楽しんだ。

そして、30代。

独身の場合。ある程度お金が貯まってくると、好きなものが買えるようになる。

好きな食べ物、好きな服、好きなブランド。

色々買っての繰り返し。

ある程度欲しい物が手に入ると、これも次第に飽きてくる。

そしてやり始めたのが、毎年の両親への誕生日プレゼント。

「親にプレゼントして何か変わったんですか?」
「まぁ、純粋に喜んでくれるのが良かったかも」

それまで両親に贈り物をするという文化はなかった。

「あとは年齢かな。自分が年をとることは、親も年をとるってことだから」「ああ、そうですね」

親と会い続けることができるのは、あと何年だろう。

「そう考えると会いに行かないとな。って思った感じかな」
「そう言われると、僕も会いに帰ったほうがいいかもしれないですよね」

僕らは実家について話し合ったのでした。

追伸 
 生まれた時から当たり前にいる存在。

それが親なんですよね。

いるのが当たり前だから、反抗期には雑に対応してしまうこともあった。

でも、

年齢を重ねるといつまで一緒にいることができるんだろう。

その気持ちが強くなってくるんですよね。

親がコロナに感染したらどうしよう。

それが自分のせいだったら。

そんな心配もあった前回の帰省。

後輩と話した時、この不安が僕の中であったのでした。


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