モデルさんアスリートの弱肉強食の世界と、一般人にも大切な防御力。

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私は何度も書いているように、摂食障害歴が人生の半分ほどの20年以上と、えらく長いのですが、

拒食症歴と過食症歴の割合としたら
拒食症だったのは1割ほどの2年半といったところで、残りの9割が過食症。
私の摂食障害歴は、ほぼほぼ過食症歴だということになります。

拒食症は死ぬか、過食症になるかの二択と言ってもいいくらいに、恐らく長く続くものではありません。

それは、前回のブログに書いたように「不自然な在り方」だからです。

私たちは生に向かって、未来に向かって進むことが自然な姿なので、
「生きること、食べることを拒否する自然に反したこと」は無理が生じて長続きしません。

一方の過食症は「食べる」ので、拒食症よりは自然に近い状態です。
ですが、嘔吐する行為が自然の営みからは外れます。

(過食症は過食嘔吐の症状が有名ですが、嘔吐できず過食だけを重ねる過食症の方もいます。今回は嘔吐する過食症を取り上げて書いています。)

嘔吐することは、これまた不自然な在り方ではありますが、
嘔吐しても、食べ物が全て胃から綺麗になくなるわけではありません。
いくら嘔吐のプロでも、自発的に嘔吐する場合、食べた物の幾らかは胃内に残っているはずです。

摂取エネルギー量が、個人の必要エネルギー量を満たせずに痩せていったとしても、
口から自由に大量に食べて、微量の栄養は消化吸収されていることを考えると、
嘔吐する行為は通常の生活において、不自然極まりないとしても、
自然の営みは維持されていると考えられるのかなと思うのです。
拒食症よりは、ですが。


自分が嫌悪する、太る元凶であるスイーツやパンを、狂ったかのように貪る自分の姿は、もうそれはそれは醜いのですが、
その醜い姿も自分であることに間違いなくて、

「嫌悪してやまないものを受け入れている姿」であると同時に、
「激しく欲しているものを貪る姿」でもあるように思っています。

まさに、嫌よ嫌よも好きのうちで、
憎くてたまらない太るスイーツを、死ぬほど欲している姿は、
「憎くてたまらない対象を、死ぬほど欲している姿」
なんだろうなと感じていました。

私の場合、憎くてたまらない対象は、自分自身でした。
個人個人、その対象は異なるかもしれませんが、
自分が認知したことが、過食嘔吐に投影されるということなんだろうと思っています。

自分が憎くてたまらないのに、
奥底ではダメダメな憎たらしい自分を愛しているから救われたい。

自分を満たしてあげるように、食べて食べて食べるけど、
自分は満たされるような分際ではない、食べていけないものを食べてしまった憎たらしい自分を罰するために嘔吐します。


やってることは引いてしまうようなイタイ奴で、自己愛と自虐が混ざり、
口に出さずに行動で察してよ的に示す、構ってちゃんみたいな感じなんですけど、
このイタイ奴をつくる自己愛は、
自分が崩壊するのを防ぐ役目を果たしていると思うんですよね。


モデルさんやタレントさん女優さん、プロアスリートが、自分は昔過食症だったとカミングアウトされたりしますが、
芸能界やスポーツ界のように、弱肉強食の世界で生きていくためには、相当な強さが必要だというのは想像できますよね。

求められる体型を作り、維持するためには、食欲のコントロールが常に必要です。

コーチから、事務所から、もっと体重を絞れと言われて、潰れずに頑張れるのは、
自分は世界に羽ばたく選手になれるんだ
私の才能は世界に認められるんだ
そんな強い自己愛があるからだと思うのです。

それが、世界で活躍する一流選手でも二流や三流、地域のクラブ単位の選手だとしても、
それが、一流ブランドのランウェイを飾るようなトップモデルでも読者モデルだとしても、
自己愛には規制も制限もありませんから、
どの階級にいたとしても口にしない限りは、突っ込まれることなく自由に思い抱くことができます。

自己愛は言うなれば、自分を強く保つため、環境に飲み込まれないための防御力のようなものだと思います。

周囲や環境の圧に飲み込まれてしまい、体重を落とさなければ存続できないと自分を見失いがちになり、迷いが生まれそうな時、
「いや私ならやれる」と自己愛が動き出すことで、
迷いを跳ね除け、自分の背中を押し続けてくれる役割をしてくれるだろうと思うのです。

特に、弱肉強食の環境下に身を置く人は、強い自己愛を持っていないと生きていけないんじゃないかと思えます。

理想とする体型を求められた時に、
物凄いプレッシャーを感じて過食症に陥ったとしても、
それは、求められた時に自己愛が育っていなかっただけです。

モデルさんやアスリートさんに限らず、一般の人だって、
自己愛が育っていないタイミングで、挫折・転落するような経験をしたり、周囲から阻害されるような経験をすると、
一方的に自分を責めたり、周囲に向けられない攻撃性を自分に向けたりします。
その心理的背景が摂食障害を引き起こすといってもいいでしょう。

自己愛は社会とのつながりの中で、他人との関わりの中で、育んでいくことができます。
自己愛を高める訓練の場が、社会や人間関係にあるとも言えるのかもしれません。

私が、摂食障害を克服するためには、
生きること、社会とのつながりを保つことと、
過去のブログでも言っているのは、ここにあります。

自己愛、自己肯定感を高めるためには、自分一人では無理なのです。

他人から求められること、他人から愛されること、他人から認められること、
それらを感じて、
他人の求めに応じ、他人を愛し、他人を認めることを学んで、
自己愛や自己肯定感が育つのです。

摂食障害は幼少期の家庭環境も影響すると言われていますが、
悲しいことを言うようで申し訳ないのだけど、
家庭環境のせいにしても、摂食障害は治らないのです。

後ろを向いていて前に進めないのなら、向く必要はないと思います。
欲しいものを未来じゃなく過去に求めるのなら、
それは諦めたほうがいいと思っています。進めなくなるためです。


過食症を克服するには、自己愛を高めることが必要ですが、それには、社会や他人との関係が必要不可欠です。

「拒食症」から「過食症」になることによって、
「自分1人の完璧な世界」ではなく、
「嫌悪する食べ物を受け入れてしまう過食症の世界」にステージを変えたなら、
それは、「社会や他人との関係を受け入れられるタイミングが来た」と捉えられると思っています。

なので、
この過食症のステージからは、
「自己愛や自己肯定感を高める」スタートにもなります。

つづく

今回も最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。
もし誰かの気付きになれば幸いです。

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