邪魔者が入り込んでこそ「自然な在り方」に近付ける意味。

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コラム
拒食症は、過食症に転ずることで克服できます。
しかし、
そこから拒食症の時には抱かなかった葛藤と混乱が生まれるようになります。

過食症になる前は、徹底した「食べない」を貫くことができましたが、
過食症に1度でも踏み込むと「食べない」を貫くことができなくなります。
制御できない衝動が自分を襲うようになります。

コントロールできない食欲に、何が起きたのかと、自分はおかしくなってしまったと恐怖するのが、この頃です。

食べ過ぎてしまったことを激しく後悔し、太ることを死ぬほど恐れパニックになります。
そこで、どこかで見かけた「嘔吐する」という解決策を試みます。

上手く吐けずに苦しくて泣く人もいれば、
スルッと楽ちんに吐けて笑顔になる人もいるでしょう。

苦しくても楽ちんでも、どちらにしても吐くことを覚えてしまったら最後、
「徹底して食べない」を貫くことは、非常に難しくなります。


「こんなこと、もう二度としない!明日からはちゃんと(食べないように)する!」
そう自分に誓います。

今日食べないでいられた、3日間食べないでいられた、もう1週間食べてない!
「あの時の卑しい自分は違ったんだ。もう全然大丈夫だ!」

そう思っていても、ある日やっぱり、引き金が引かれてしまうのです。

母親が知人から貰ってきたという小さなお饅頭が目に入りました。

もう1週間も余計なものを食べないでヘルシーな生活を送れているんだから、1個くらい食べてもいいかな。和菓子なら脂肪分が少ないからヘルシーだし。

そう思って口にしたら最後、ノンストップです。

自分の中に眠っていた何かが目覚めたように、激しく強い食欲が自分を襲います。

食べ物を口に運ぶ手が止まらない、食べ物を咀嚼する口が止まらない、
あっという間に小さなお饅頭が入っていた箱は空になり、
家にあったお菓子をほとんど食べ尽くし、
朝食用のパンを食べ、
朝食用のウインナーも加熱しないで食べるほど、
ひたすら手と口を動かす作業が続きます。

お腹がはち切れそうになるまで食べ物が詰め込まれたら、
今度は激しい罪悪感に襲われます。

どうしようどうしようどうしようどうしよう
何カロリー食べてしまったんだろう、どれだけ太ってしまうんだろう!

太ってしまう恐怖でトイレに駆け込み嘔吐します。


自分の欲求「食べたい」を満たして、自分の欲望「太りたくない」をも満たすことができる、
そんな安直な手段を知ってしまうと、もうそれを手放せなくなって、
自分の欲と、それを解決する手段に翻弄され支配されるようになります。

人間て本当に欲深く、弱い生き物なんですよね。
自分の弱さを隠すように生きることの心の無理が、そうさせるのかもしれません。


そんな欲に翻弄される現実は、拒食症を経験してきた本人からしてみれば、
「自分がおかしくなってしまった」
という感覚で、
自分は「正常」だったのに、突如として「異常」になってしまったように感じます。

けれども、そういった本人の感覚は別として、
拒食症から過食症に転じたことは、「正常」に近付いたということになります。

なぜなら、
人間は生きている限り、生に向かって進んでいくことが、自然な姿であるためです。

人間この世におぎゃーと誕生したら、成長し、成長のピークを迎え、ピークを越えたら衰退し、死を迎えます。

生きることの終着点は死になりますが、死に向かって生きているわけではありません。
生き抜いた先に死があるということで、
常に生きる姿勢でいること、未来を望むことが、自然な在り方だということです。

人間は死ぬ直前まで生きる姿勢を保とうと、心臓を動かし、肺を動かし続けます。
人間の生きる欲望は強く、本能として身体と連動して組み込まれているんじゃないかと思っています。

人間も動物も植物も、生き物はその自然の流れに逆らうことなんてできません。
仮に逆らうとすれば、それは不自然な在り方となり、恐らく生きてはいけないでしょう。

その「不自然な在り方」が「拒食症」になります。

拒食症は、この世に生きているのに「生とは反対側」を向いています。

極端にまで食べ物を拒否することは、「生を拒否することとイコール」です。
食べることは生きることと言われますが、これは心理的な意味も含んでいます。
極端にまで食べ物を拒否することは、「死に向かっていることと同じこと」になります。

また、
拒食症の世界は邪魔者(食べ物)を寄せ付けない自分だけの非常に美しい完璧なものですが、邪魔者を寄せ付けない世界は非常に孤独です。

私たちの世界はなかなか完璧になりません。
邪魔者を避けたって勝手に侵入してくるときもあれば、初めは邪魔者とは思わなくても、いつしか邪魔者に変わったりします。

「人と人とが交流」すれば、完璧な美しい世界に身を置くことはできず、
「どうしても雑多なものが混ざり込むのが自然」です。

当の本人は痩せることだけを追って、居心地良く気が付かないけれど、
拒食症の世界は美しく完璧ではありますが、
「生きることと、社会を拒否した非常に孤独で危うい世界」なのです。

その生きることと、社会を拒否した危うい世界から抜け出した状態が「過食症の世界」です。

過食症は邪魔なもの(食べ物)が入り込んで、本人としては非常にストレスを感じますが、

それは、社会から隔離された状態では生きてはいられない人間として、
「正常に近付いた」「自然に在る」ということになります。


続く。


自分の経験をもとに、書きたい放題書かせて頂きました。
今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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