経管栄養という選択と、「肉体」「精神」の一致しない歩み。

記事
コラム
経管栄養とは
胃ろうや腸ろうといった
胃や腸にチューブを繋いで栄養を注入することです。

経管栄養は「延命行為」です。

様々な理由で食事が口から入らなくなった方が、
胃や腸といった消化器官にチューブ管を造設し、
そのチューブから栄養を注入することで、

肉体は維持できる。
生命を維持することができます。


今は昔よりも延命行為を選ぶ方が少なくなってきているようです。


私は管理栄養士としての職務経験は浅いし、
1箇所の施設に長く勤めたこともないので、
経管栄養の方の最期というのを知りませんでした。


先日、あるご入居者様がほとんど食べられなくなり
ご家族が胃ろうを希望しているという話から、
ベテラン看護師さんに

「経管栄養の方の最期ってどうなるんですか?ずっと栄養は入っていくわけですよね?」

と聞く機会がありました。


「栄養剤を拒否するようになるの」
「胃から入れても逆流してゴロゴロして、誤嚥性肺炎になったりする。ゴロゴロするたびに吸引処置もするしね。

栄養や水分を入れる管はあるわけだから、
8時間とかかけて、500mlの水分を入れたりする。

あとは、
胃と管を繋いであるところから栄養剤が漏れたりする。

最期にはもう、身体が栄養を受け付けなくなるのよ。

もちろん、
私がみてきたことだけではないケースもあると思うけどね。

私は経管栄養の末路をみてきたから、
絶対に自分はしてほしくないと思っているけど、

実際に親がそうなったとしたら、
生き延びてほしいと思うのかしらね。」

看護師さんは答えて下さいました。


これって、
過食症の人が、
自発的に嘔吐することと似ているなと思いました。

自らの意志なしで身体が栄養を拒否するのと
自らの意志で脳が栄養を拒否するのと

そこは大きく異なりますが、
現象としたら同じようなことです。


過食症は食べて吐くという
インパクトの強い現実行為ばかりに目が行きますが、
重要視しないといけないのは
目に見えない部分です。

「太りたくない」
「痩せたい」

という気持ちの
更に内側

「どうして太りたくないのか?」
「どうして痩せたいのか?」

そこを深くまで
それこそ、1枚1枚皮を剥いていくように
自分の核に近付いていくと

「自分に自信がないから」
「周囲にバカにされたくないから」

そんな自分が必ず現れます。


太る痩せる関係なしに生きている人には
理解できないことかもしれませんが、

過食症となった人は
「こうなりたいという理想」と
「今ある現実」に
葛藤しか感じません。

肉体と精神がいつも仲良しで
同じ方向を向けるわけではありません。

肉体を精神に従わせ、
何とかしてこの現実の自分を、
理想とする自分に近付けようと必死なのです。


私たちの命には限りがあります。

命が誕生し、成長し、成長のピークを超えると、
命は衰退に向かい、最期を迎えます。

この命の行程は不変です。

けれども、

「肉体」と「精神」の、
誕生~成長~ピーク~衰退~最期まで

肉体と精神、両者の行程は、
必ずしも一致しないように思います。


精神は人生経験とともに培われていくものなので、
「精神」の行程は「肉体」の行程よりも
「個人差がある」と感じます。


「精神が肉体の成長に伴わないため
自分を操縦することが難しくなる」

過食症の人は
そんな状況に陥っているのだと思っています。


その状況を打破するためには、
食べて吐くという行為に極力目を向けず、

「一枚一枚皮を剥いて、核の部分と向き合うように」
歩みを止めず生きていくより他ありません。


経管栄養の方は、
延命行為によって確実に肉体は存在していますが、

精神はどうなるのか、どうなっていくのか、
それこそ個人差が大きく、
本人しか知り得ない部分も多く
私にはわかりません。

経管栄養になっても、おしゃべりされる方もいますし、
ちょっとしたものを召し上がれる段階で、経管栄養になる方もいます。
経管栄養を始められる年齢でも変わってきます。


延命という行為に関しては、
個人の価値観が大いに絡んでくると思います。

本人にとって、ご家族にとって、
悔いのない選択をして頂きたいと思っています。

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