【いじり】なんていらない。

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コラム
昔からテレビでよく見ますね。
芸人さんをはじめとする芸能人たちが
バラエティ番組でこの『いじり』をしているのを。
ある意味で日本の文化と言えるほどに
浸透しているように思えます。

『いじり』というと
容姿・境遇。または価値観や育ち等に関して
相手を馬鹿にしたり茶化したりして周囲を笑わせる様。
と言ったイメージがあります。

このイメージだと
周囲を笑わせるためのツールとして
一見、ポジティブなイメージとして聞こえますが
果たしてそれだけでしょうか。

確かに【いじられていない周囲】【いじった人】からすると
面白おかしい事象として見受けられるでしょう。
そしてテレビ等におけるバラエティ番組においては
【いじられた人】はそれにより注目を浴びることができ
俗にゆう「おいしい」と感じ、まるで三方よしとも見受けられるでしょう。

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だがしかし

『バラエティにおいて』というのが重要で

一般社会においての「いじり」にて【いじられた人】
ひどく心が傷付き、馬鹿にされたように感じた。
ただただネガティブにしか感じなかった、
という方が多いのではないでしょうか。
・・・ちなみに私は「いじられるのは大っ嫌いです。」
これにより最悪の場合。
いじめが助長されると言ったケースは少なくないと感じますが
私だけでしょうか。

特に物事をいい意味で、素直に受け取る方達には
TVやネットでのバラエティ番組における「いじり」を
学校や友達間、会社にて悪気なく真似し
知らぬうちに相手を傷付けるといったことが起きているような気がします。
私自身、特に学生時代を振り返るとそういったことがありました。

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「いじり」肯定派

この『いじり』に関して肯定する意見も聞いたことがあります。
その意見は有名な芸人さんが言っていたことですが
「芸人たちにおけるいじりには愛がある」とのことです。
これ
確かに意味はわかるし、一般社会においても
相手を傷付けることなく、「いじる方」「いじられる方」双方が
おいしい場面は確かにあると思います。

だがしかし
TV等においていわゆるプロと言われる芸人さんがする
「いじり」を真似してこれは愛がある。これは愛がないなどと仕分けることが可能でしょうか。
いじる側の方が「これに愛がある」と言っても
結局は受け取る側に依存する訳で
たとえ今までは成立していたとしても
それらはシチュエーションやワードによっても
ネガティブに転ぶ可能性は大いにあり
私はいっそのこと

「いじり」を無くしたほうが曖昧さが改善され良いと思います。



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”まとめ”

いかがでしたでしょうか。
「いじり」を完全否定する訳ではありませんが
光よりも闇の方が強く感じるため
無くす方が世の中が健全に、幸せに近づくと私は感じています。

以上。ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
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