【全体主義】から【個人主義】へ

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コラム
昭和頃からでしょうか。
おそらくテレビや新聞の普及。
メディアの発達により
多くの人の価値観が、いい意味でも悪い意味でも
どこか均一化され。
知らぬ間に

【社会の常識】=ここ日本におけるルール

が勝手に人々へと浸透していったように思えます。

”まるで何処ぞの団体、一部の人が都合のいいように・・・”

例を挙げると
「一つの会社に勤めあげてこそ一人前だ」
「女性は家庭に入るものだ」
「結婚をしろ」などです。

他にも色々と存在しますが
上記のように、明らかに無意味で有害なもの以外にも
暗黙のルールや、未だ蔓延るテンプレートのようなものは多くあります。

もちろん。
これらはただ人々に悪影響を与えてものだけではなく
時代の中で良いように機能した部分も否定できませんが。

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その過去の遺物として残る

【悪しき風習】

の多くは、未だに大きく問題として捉えられず
まるでレール(常識)を外れたものは悪だ!
と、いわんばかりに個人に制限をかけている
負の鎖として存在しています。

もちろん「そんな常識は気にしても仕方ない」
と気づいている方も多いことでしょう。
が、わかっていても人間というものは
周囲の人から何度も言われると、気にしてしまうのが性分です。
当然、仲間はずれにもされたくないですし。

最近になって、SNSを中心に
「個人の生き方」
「さまざまな価値観」
これらについてよく話し合うことが多く見受けられます。
これはとてもいい兆候にあると私は思います。

過去の当たり前に目を向け、疑問を持ち

修正していく。


そして
過去の悪しき常識たちを
まるで人々に強要するかのように
言わない。感じさせない。世の中になればいいと思います。

一人一人の価値観や行動、それらの全ては肯定され

お互いを尊重できる世の中へ。


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”最後に”
私は全体主義を否定したいわけではありません。
確かに社会、マクロ視点も大事だと思います。
事実、法や秩序は現社会にて犯罪の抑止、
また人権等を守り、良き人間社会を形成する上で欠かせません。
しかし私が言いたいのは

【全体主義】に偏りすぎるのではなく

【個人主義】=【一人一人の幸せ】

バランス。どちらも大事であると言うことです。


これからも
常に常識を疑い、当たり前とされているものは果たして
本当にすべての人間にとってプラスになるものか?
はたまたマイナスになるものか?を考え
より良い考え方や価値観を考えていくことが
人々の幸せにとって
大事だなと思う今日この頃です。

どうもありがとうございました。
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