良かれと思って

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コラム
人間関係において「良かれと思って」相手に接することって、誰しも一度は経験がありますよね?

わたしは職業上、親子のやり取りを見る機会が多く、親が子に対して「良かれと思って」を発動している場面をよく見かけます。

親子関係で言うとこの「良かれと思って」は過保護・過干渉という言葉でも表現されることがあります。

が、親子関係以外でも
上司と部下
先生と生徒
友人関係
恋愛関係
ご近所付き合い
などなど

あらゆる関係性で「良かれと思って」は行われていると思います。

でもこの行為、言われた側やされた側にとっては、<主観を押し付けられている・大きなお世話>になることが多いのですよね。

自分の経験値から「こうした方がいいよ」というアドバイスは、その人にとっては最適だったかもしれないけれど、相手にとって最適かは分からないのです。
あくまでも最適解は自分自身で見つけていくもの。
その見つけていく行動を経験と呼びます。

だからもし、相手を応援したいのであれば
「相手自身が見つけた最適解を応援する」しかないのです。

それを「見守る」とも言いますよね。

そして相手の成果が出た時は喜びを一緒に分かち合い、
逆に思い通りにいかず傷ついた時は寄り添ってあげる。
心を落ち着ける居場所を提供してあげる。

周りの者が本当に相手の為にできる事って、こんな事ではないかな?と思います。

喜びを共有できる事ってうれしいし心強い。
一方、「傷ついた時の居場所」が用意されていて心が穏やかになれば、復活し、相手はまた次の最適解に向かって挑戦できますから。

親子関係で言うと、この「傷ついた時の居場所」のことを<安全基地>と言います。
もし誰かの支えになりたいなら、相手にとっての<安全基地>になれればよいのでは?

相手の「考える力」「行動する力」「自分と向き合う機会」「経験する機会」を奪わずに関係性を築いていけるといいですよね。
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