「オリンピック利権」というビジネスモデル:2021年6月

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コラム
下記コラムは、2021年7月にコロナ騒ぎで開催が延びた「東京オリンピック」時に起きた、IOCと日本政府のドタバタ劇から見透かされた「オリンピックビジネス」についてのコラムである。
今回札幌市が誘致する予定だった「冬季オリンピック」への立候補見送り報道を受けて、敢えてここに過去のコラムを転載するものである。

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昨日の「東京オリンピック組織委員会」は、今回のオリンピック観戦者数の上限を一万人としたようである。
因みにこの観戦者数の中にIOCの関係者は主催者という事で枠には数えない、という事である。
更には学校の生徒たちが誰かに引率されて観戦する場合も、この上限枠とは別に扱われるという事らしい。子供達も招待客という事でやはり観戦者数には含まれないというのだ。

確かに論理的には、これらの人々はいわゆる「観戦者数」には含まれないという事もあり得るだろう。
しかしこの対応が、「感染病の拡散防止」のための「観戦者数抑制」という本来の目的を逸脱しているのは、言うまでもない。

要するに「東京オリンピック組織委員会」は新型コロナウィルスの拡散防止を、真剣に考えていないという事なのであろう。
今回の観戦者数上限一万人という対応を取り入れても、17日の期間中全国では450~460万人の観戦者数にはなるのだという。

もちろんこの推測値の中には、「IOC関係者」の数や「学校等関係者の観戦者」は含まれていないから、実際にオリンピック競技場に集まる観戦者の数は500万人を上回ることが推測される。
更にIOC関係者たちの観戦は「VIPルーム」で行われ、酒食のおもてなしによる立食パーティ形式での観戦というスタイルをとる、らしいのである。
もちろんここで提供される飲食の経費は「東京オリンピック組織委員会」が負担し、その原資は東京都や日本政府の予算から出ることになっているのだという。

当然この「VIPルーム」はいわゆるパーティー会場となり、IOC関係者や各国の国家元首クラスやその家族たちとの交流が行われるのだという。
因みにこれは今回に限った事ではなく、これまで北京でもロンドンでもリオデジャネイロでも行われてきた事で、オリンピックの「定番のメニュー」として観戦のシステムに組み込まれている、という事のようだ。

私はこの酒食を伴う社交場と化した「VIPルーム」参集者の間で、世界中のコロナウィルスが混交し新しいハイブリッドなコロナウィルスが誕生したとしても、全く驚かない。
更にはその結果、何人かのIOC関係者がそれらハイブリッドウィルスの犠牲者となることを、私は懸念しているわけではない。

オリンピックという世界規模のスポーツイベントに、この様な仕組みを導入し愉しんでいる「オリンピック貴族」といわれる人たちが、どのような感染症の犠牲者に成ろうがそんなことに私は関心はない。彼らは勝手に罹病したら良いのだ。
今もなお新型コロナウィルスというパンデミックが猛威を振っている中で、現実を無視してオリンピック開催に突進する、IOCの幹部という経営者たちの本音を聞くことが出来たことは良かった。

即ち、
「オリンピックには犠牲がつきものである」
「緊急事態宣言下であってもオリンピックは行われなければならない」
「アルマゲドン(この世の終わり)に成ってもオリンピックは行われる」

といったたぐいの暴言を吐いても何ら恥じることのない、IOC幹部という「オリンピック事業体」の経営者たちの本音を聞くことが出来たのはとても良かったのだ。
これまでもいろいろな黒いうわさや、個々の不祥事が発生したその土壌が、オリンピックという利権ビジネスそのものに在ることが判ったのは、とても良いことである。

以前フランスの検察から「贈収賄」を摘発された、東京オリンピック招致委員会の元幹部の存在も、このような利権ビジネスに直結していたことが判明すると、検察の摘発が全くよく理解することが出来る。

またかつての長野の冬季オリンピック時における、IOC幹部への過剰な接待攻勢の事も理解できるし、オリンピック開催地を最終的に決める際の直前に行われる「IOC幹部の現地視察と接待」という行事が持っている、真の意味がとてもよく判るのである。
全てこの「VIPルーム」でのオリンピック観覧が象徴しているのだ。

要するにこれらの出来事は「オリンピック貴族」への、形を変えた接待であり贈収賄である事と根っこは同じなのである。
そして現在の「オリンピックビジネス」のビジネスモデルを構築してきたのは、ドイツの大手電機メーカー「シーメンス」の顧問弁護士である、やり手の実業家IOCのバッハ会長、だという事である。

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なぜ彼がやり手の実業家といわれているかは、彼がシーメンスから顧問料として年間5000万円とも6000万円ともいわれる報酬を受け取りながら、それに加え日当60万円という報酬を得ている事から、母国ドイツではそのやり手ぶりが広く知られているのだ、という。

そのような金銭感覚のIOC幹部が「オリンピックビジネス」を取り仕切り、そのビジネスモデルを構築しているのである。やり手のオーガナイザーとして。
更に今回のオリンピック開催を声高に叫んでいるのが、アメリカの大手マスメディアであるNBCの経営者である。
NBCは東京オリンピックの放映権をIOCに1,500億円近く払う契約をしてるとの事である。IOCはオリンピックの放映権をNBCを含め総額3,000億円程度で、世界のメディアに販売しているのだという。

そしてその売り上げは「IOC貴族」を潤し、各競技団体には分配金として回ってくる仕組み(ビジネスモデル)に成っているのである。
この4月頃「東京オリンピック中止」が取りざたされていた時に、世界陸連の会長とかがオリンピック中止になったら「陸連への分配金はどうなるのだ!」と、わめいた記憶がよみがえってくるのである。

今やIOC傘下の各競技団体の予算は、この「オリンピックビジネスモデル」にがっちりと組み込まれているのである。
してみればオリンピックが行われるたびに不思議に思っていた各国の競技への参加者である「アスリートの数」より、各国の「役員だの関係者だのの数」の方が多いことの仕組みもまた判ってくるのである。

このようなオイしいビジネスがある限り、IOCとその仲間たちは口が裂けても「オリンピック中止」とは言えないであろう。
先ほどのIOC幹部たちの暴言ともいえる本音は、まさにこの「オリンピックビジネス」を維持してくための、彼らの偽らざるホンネなのである。

因みにかのNBCの経営者は「ロンドン大会」の時も「リオデジャネイロ大会」の時も、イギリス人やブラジル人たちは少なからぬ反対運動や抗議の行動を引き起こしたが、結果的には何事もなかったかのように、「オリンピックは成功裏に終わった」と認識しているようだ。


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だから今回の日本でのコロナ感染拡大を危惧しての反対運動や抗議なども、「オリンピックが始まれば沈静化し消えて無くなり、今回もまた成功裏に終わるだろう」といったたぐいの発言をしている。

NBCは「ロンドンオリンピック」「リオデジャネイロオリンピック」もUSAではほぼ独占的に放映権を握り、放映権料の数十倍の広告収入を得たと言い、今回はそれ以上の広告収入を計上している、という。
ここでもまたビジネスモデルが出来上がっているのである。

しかし忘れてはならないのは、今回のオリンピックが「新型コロナウィルス禍の真っただ中で行われ、数百万人の人の集合と拡散が行われることである。
そして世界中の国から数万人のアスリートやIOC関係者が集い、交流し分散していくという現実である。

このことはまさに今回のオリンピックが「新型コロナウィルス博覧会」となり、日本国内の感染者集を確実に押し上げ、更にはオリンピックから自国に帰ったアスリートや大会関係者が運び屋となって、世界中に「ハイブリッド化された新型コロナウィルス」を拡散する危険性をはらんでいる、という事である。

これが現実になった時、パンデミックの真っただ中にあってオリンピック開催を強行したIOC経営者への責任問題は当然起こるだろうし、オリンピックという国際スポーツイベントのブランド力や権威、更にはリスペクトといったものは間違いなく失墜することになるであろう、と私は冷ややかに推測している。

そしてそれを推進した日本の「ガースー政権」もまた消えて無くなるだろう、ともっと冷ややかに眺めている。この為政者の発想はNBCの経営者とおなじ発想なのである。
オリンピックが終われば自分の政権の評価がV字回復する、と思っているのだ。

問題はそれによって、どれだけ多くの犠牲者が発生するか、である。
このようなパンデミックにあってもなお、オリンピックを競技場で観戦したいという人たちは別である。何故なら理性よりも情動で動く人達は自業自得だからだ。

パンデミック下でもなおオリンピックを競技場で観戦したいと言う人達は、自身や家族の感染のリスクと引き換えになることを考える、冷静な理性や判断力が求められるのだ。と私は想っている。
今回の結果はオリンピックが始まる8月に入るころには、現れることになるであろう。

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