アデェオス‼ コロナウィルス

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ほぼ三年半前の2020年2月より、日本を始め地球全体を覆っていた「新型コロナウィルス:CoviD-19」の終息宣言が、半年ほど前に日本政府によって実質的になされた。
その象徴が3月13日に公布された「公共の場でのマスク着用義務の撤廃」であった。

感染症としての厚労省の位置づけも「2類相当」から「5類扱い」へと緩和され、インフルエンザ並みの「季節性感染症」と認定されたのであった。
今後はワクチン接種等も個人の負担が中心になって行くようである。
この事は素直に喜ばしい事だと、私は思っている。

その後今夏に「第8波」とでもいうべき感染増の事態が起きたが、重篤化する人は多くはなく、今では秋に成って広まったインフルエンザの流行に、多くの人の関心が移ってきている。
その様な事もあって、「2020年~23年に起きたパンデミック時の記録」という、過去のアーカイブとして区切りをつけ自分なりの総括を行うことにした。

この三年間の出来事に関しては私自身はしっかりと記録して置き、この一連のプロセスによって「学習した事」や「知り得た事」等を、ちゃんと整理しておく事の大切さを自覚しているからである。
私は、家族を初めとした周囲の人々や当該コラムをご覧いただいている方々にも、一つの区切りとして改めて取り纏めておく事が大切であると思い、今回の「総括コラム」を書きとどめておく。

下記はその「総括」であり、今後私自身や家族を含めた後に続く人々が、将来遭遇する可能性の高い「パンデミック」が起きた時に、紐解いて参考にして欲しいとそう願っている事柄である。

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1.今回のパンデミックは、これまで人類を襲ってきた「コレラ」「ペスト」「天然痘」「スペイン風邪」といった、かつて人類にとって「種の存続」に多大な影響を及ぼしてきた、重大/重篤な感染症の中の一つであり百年単位で、周期的に繰り返される「出来事」の一つであった、という認識が必要だと考えている。

その結果死者や罹患者の数も「数百万人」「数千万人」といった単位のモノであり、親類縁者や知人も含めて多大な被害や影響をもたらした、将に「パンデミック」の名に相応しい感染症であり、歴史に残るハプニングであった、という事である。

そしてそのハプニングに襲われ、その中で生き延びたのが今残っている私達である、という位置づけや自覚が大切だと思っている。

と同時にこの種の「感染症」は今後も周期的に発生し、繰り返される可能性が極めて高い「出来事」である事を忘れてはならない。
更にかつての「スペイン風邪」がその収束にほぼ三年間の月日を要したように、今回の「コロナ禍」も終息には同様の年数を費やしている。

そしてこの三年間の間「CoviD-19」自身が、人類という新しい宿主との共生を図るために「自己変貌」を遂げ続けた事も忘れてはならない。
コロナウィルス自身が「種の存続」のために、4回も5回も自己変革を遂げることで「コロナワクチン」への対処=回避を行い、バージョンアップを繰り返し、最後は「オミクロン株」に到達し、弱毒化を進め人類との共生を可能にしてきたのであった。

この三年間という月日は、そのための自己変革の期間でもあったわけである。
この事も記憶にとどめておく必要がある。

であるとするならば今後新たな感染症が発症し、世界をパンデミックが覆う事態が生じたとしても、収束にはやはり三年くらいの年月が費やされる、という事を予め覚悟しておいた方が良いのではないか。
「ワクチン開発」と共に、ウィルス自体が行う「自己変革」にそれなりの時間が必要なのだから・・。

           初期の「コロナウィルス」から
オミクロン株.jpg

 自己変革を繰り返し、弱毒化に向かったコロナウィルス「オミクロン株」

2.次にこの様な「歴史に残る重篤な感染症」に社会が襲われた時に、国家や政府を統治する人達=政治家や官僚たちが、どの様な行動を執る傾向があるのかを知ることが出来たのかを確認する必要がある。
とりわけ私達が生活している「日本」という国において、国家の統治を委任/委託された政治家や官僚達が、このパンデミックに対しどの様な行動を執る傾向があるかを、知ることが出来たその事実を忘れてはいけない。

「平時」ではそれなりに機能し廻っていた彼らの統治能力が、「有事」に遭遇した時にどの程度機能し、役割を果たし得るのかを理解することが出来たのである。
結論から言えば「平時」に役立つ政治家や官僚は、必ずしも「有事」には役に立たず機能しない事が、ハッキリ/クッキリと判りそれを確認することが出来た。

戦後最長の総理大臣を務めた政治家や、その番頭を務めた後継者が「平時の統治」は出来ても、「有事の統治」には殆んど有効な手は打てず、役に立たなかったという事実が確認出来たのである。
この事実から学ぶことがあるとするならば、「平時の統治」を委ねる政治家や官僚と「有事の統治」を委ねる対象は異なる事から、そのような事態に遭遇したら出来るだけ早く、リーダーを取り換える必要がある、という事であろう。
無能なリーダーや役に立たない統治者や官僚達に国のかじ取りを任せていては、いたずらに命を落とす犠牲者の数が増えるばかりである。

社会が「パンデミック」に見舞われた時には、国家や社会を経営し運営する役割を付託されている人達の、「執行者としての資質や能力」を厳しく問いそれが不可能なら、それ等に的確に対処し乗り越える事の出来る、能力や資質を持つリーダーに取って替わらなければならないのである。
そして私たち国民はその事を強く要求しなくてはならない、という事である。

それが出来得ない状況であれば、「パンデミックに見舞われた時」は最低3年近くの間は、政治家や官僚を当てにしないで自らの大切な人達を守るための、冷静で的確な対応を自分自身でとり続けなくてはならない、という事になる。
ウィルスの増殖を阻害する薬などを積極的に活用し、ウィルス自身の弱毒化である「自己変革」の到来を、じっと待つ事が有効であろうと私は考えている。

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3.最後に今回の「感染症によるパンデミック」が、私達の今までの常識や慣習を「立ち止まって考え」、「見つめ直す」機会やチャンスを与えてくれたのもまた事実であった。
具体的にはコロナ感染を避けるための「3密回避」の手段として「リモートワーク」や「時間差出勤」が推進され、従来当たり前だった「出社勤務体制」や「均一的勤務形態」が、根本から見直されるきっかけを作った事である。

「平時」であれば当然とされ、そうする事が求められてきた従来の「働き方のあり様」が、根本から問い直され見直すきっかけになったのである。
「月曜日~金曜日までの出勤」「9時~17・8時までの労働時間」といった、従来の「働き方の常識」や「共通意識」が、感染症防止のための「他者との接触」「物理的な空間の共有」が制限された事で、改めて再考を余儀なくされたのであった。

「パンデミック時における仕事のあり方」として、最も合理的で効果の良い「働き方は何か」が問われ、見直しが行われた結果登場したのが今回の、「リモートワークの推奨」や「時間差出勤の推奨」といった事であった。
今回の様な「大事」に遭遇した時に人も社会も、これまでの「常識」や「慣習」の正当性や価値を、改めて考え直すきっかけとなるのである。

更に大切な事は、それらの「新しい働き方の見直し」が、個人の「ライフスタイル=生活の仕様」の見直しに留まることなく、「社会のルール」や「約束事」の見直しに向かった事である。
個々人の行動の変化はもちろん大切な事ではあるが、それ以上に「社会のルール」や「約束事」が変化し、それが「社会全体の変化」となった時に世の中が大きく動き、新たな「社会の共通認識」が形成され、共有されるからである。

とりわけ日本の様に、周囲を見ながら行動する人達が多い社会にあっては、この変化は大きな影響力を持ってくる。
コロナウィルスがもたらした、「リモートワークの浸透」や「時間差勤務の普及」という大きな動きは、「IT技術の発達」や「AI活用の浸透」といったテクノロジーの普及や浸透と共に、私達の「働き方の有り様」を劇的に替えて来た。

社会の底流を静かに深く流れ、広く浸透していた「テクノロジーの変化」と、パンデミックがキッカケで発生した「社会の共通認識の変化」の相乗効果は、日本人はもとより世界中の働き手たちの「働き方の常識」を替えたのであった。
この事実を私達はしっかり受け止め認識しておいた方が良い、と私は想っている。

社会や世界を覆い尽くすパンデミックという強烈なインパクトは、やはり大きな社会変革を促すきっかけにも成り得るのだ、という事を今後も覚えておいたほうが良いのである。

以上が私が今回の「新型コロナウィルス」に遭遇した三年間を振り返って、「学び」「痛感した」事柄のコアな部分である。

そして今後も周期的に感染症の大パニックが起こり得ることを鑑みて、今回のパンデミックから学び学習した事項を、私自身の大切な人達に伝え残しておきたい、と考えているところである。

アデェオス⁉ コロナウィルス




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