柑橘類

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 私は子供の頃から蜜柑が大好きで、今でもその嗜好は変わっていない。11月の中旬ごろから蜜柑が出回ると、直ぐに手が出てしまう。

しかしながら出始めの蜜柑は言うまでもなく糖度が足りないので、2・3週間は残念な蜜柑に我慢しなければならない。
そんな中でも小ぶりの蜜柑が比較的甘いことを知ったのは大学の生協であったと思う。確か学食の傍らに一口で食べられそうな、小さな蜜柑が売られていたのであった。
記憶に間違いが無ければ佐賀産であったかと想う。

そのごく小さな蜜柑は「時期尚早」であるにも拘わらず甘かった。
学校が京都であった事から紀州や愛媛・長崎辺りの蜜柑も多く入っていたと想うのであるが、晩秋にいち早く入って来たその蜜柑は佐賀産で、何となく珍しかった記憶がある。

それ以来私は蜜柑が出回る晩秋には、出来るだけ小さいサイズの蜜柑を求めるようになった。それも可能であれば佐賀産の・・。
それは50年近く経った今でも続いている。ある種のトラウマ、と云っても良いのかもしれない。

しかしながら12月に入ると甘みを増した蜜柑が出回るので、紀州や愛媛・長崎・熊本といった産地の蜜柑を求めるようになる。産地のレパートリーは拡がって行くのであるが、出来るだけ小さい蜜柑を求める傾向は、ずっと変わらない。

総じて大きな蜜柑は大味であることが経験上判っていて、殆ど求めることは無い。私は見栄えよりも味を完全に優先するし、コスパも良いし、一口又は二口で食べられるのが好い。
とりわけ車を運転しながら、水分補給もかねて食べるのに都合がよい。
そんな私は縁あって、熊本出身の女性と出逢い結婚する事に成った。今の家人である。

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私が彼女と一緒になる決断をした要因に、柑橘類が沢山食べられることにあったかどうかは不明であるが、頭の片隅にというか胃袋や舌が自己主張をした可能性は否定できない。
その判断はどうやら間違っていなかったみたいで、以来冬に成ると柑橘類に不自由したことが無いのは、まことに幸せなことである。

家人の実家では蜜柑はもちろんの事、ポンカンや八朔・甘夏、更にザボンなども作っていたり親戚筋から手に入ることが出来た。まさに柑橘類の宝庫であった。
その実家も義母が亡くなり、またミカン農家の親しい叔父さんも亡くなってから、以前の様にはいかなくなった。とても残念な事である。

そうは言っても、家人の親戚の方々からお歳暮などに相変わらず蜜柑を送ってもらえるから、他の人よりは幸せだと思ってはいる。
残念なのは柑橘類のレパートリーが少なくなってしまった事である。以前のように3月末ごろまで柑橘類を愉しめなくなっているのである。

最近ライフワークに成りつつある「安田義定公の物語」に因んだ関係で、遠州方面の方々と人間関係が形成されつつあるので、そちらのパイプを太くして行きたいものだと、蜜柑を食べながら考えている私である。


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