京都アニメーション放火殺人事件の初公判開始

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36人が死亡、32人が重軽傷を負った令和元年の京都アニメーション放火殺人事件で、殺人や現住建造物等放火などの罪に問われた青葉真司被告の裁判員裁判の初公判が京都地裁(増田啓祐裁判長)で開かれました。

青葉被告は事実関係を認める一方で、弁護側は事件当時の責任能力を争い、心神喪失による無罪か、責任能力が認められる場合も心神耗弱にあたるとして、刑の減軽を主張。

最初に断っておきますが、私は青葉被告を絶対に許せませんし、死刑以外の判決はありえないと思っています。

ただ、非常に重要な事件であり、様々な意見があるようですので、少し詳しく見たいと思います。

まず、弁護側の主張。

「青葉被告は心神喪失であり責任能力はなかったため、無罪、あるいは無罪でないとしても心神耗弱のため減軽されるべきである。

被告にとってこの事件は起こすしかなかった事件であり、人生をもてあそぶ人物への対抗手段で反撃だった」

そして、青葉被告は「事件当時は、こうするしかないと思っていました。こんなにたくさんの人が亡くなるとは思っておらず、現在ではやり過ぎたと思っています」と語っています。

ただし、被害者への謝罪の言葉はなかったようです。

さらに弁護側は「これだけ多くの人が亡くなったのは建物の構造が影響した可能性もある」とも訴えました。

これに対して、検察側は、青葉被告に完全に責任能力があるとしたうえで「筋違いの恨みによる復讐」「京アニ大賞に自分の小説を応募したものの落選し、それを盗用されたと一方的に思い込んだ」と指摘。

いかがですか。

しかし、「起こすしかなかった事件」とはなんでしょう。

起こすしかなかった事件だから犠牲者の方々は犠牲になるしかなかったのでしょうか、我慢しなければいけないのでしょうか。

また、心神喪失だったために責任能力がないとのことですが、かなり冷静に犯行を計画・実行していることから考えて、心神喪失とは考えられないでしょう。

弁護側の「この事件は被告の人生をもてあそぶ人物(闇の人物)への対抗手段で反撃だった」との主張については、弁護士の菊地氏は「弁護側にとっては、分からないですけど、動機の内容が理路整然としていたら、責任能力なしということと矛盾してしまう。おかしな動機であっていいんです、弁護側としては。“何?復しゅうって、おかしいんじゃない?”というのは、まさに弁護側の狙うところなのかもしれない」と述べています。

要するに頭のおかしさを強調する作戦だというわけですね。

なんというか、こうした事件における弁護側の作戦はいつも同じような気がします。

そして、万が一、責任能力がないとの理由から無罪になった場合ですが、青葉被告を終生、専用施設に閉じ込めるべきでしょう。

そして、その場合の費用は親族の負担とします。

また、被害者への賠償金も親族が支払うべきでしょう。

なぜなら、責任能力がない人間は社会にとって危険な存在であり、そのような人間を放置したのは親族の責任だからです。

被告が成人であることは関係ありません。

彼は責任能力がないのですから、通常の意味での成人ではなく、保護や監視を必要とし、それを行うのは親族なのです。

ついでに書いておくと、責任能力がない人間には人権もありません。

責任は一切負えないが、人権だけはあるなんて都合の良いことが許されるわけがないのです。

それから、被告の悲惨な生い立ちを見て、擁護する意見も一部にはあるようです。

いつもいわれることですが、同じような境遇の人は沢山います。

しかし全員がこのような非道な事件を起こすわけではない。

というか、ごく稀なケースでしょう。

やはり彼という人間に原因があると考えるべきだと思います。

この事件は長期審理になっていて、裁判員もかなり難しい判断を迫られることとなると思います。

しかし、その判決は関係者のみならず社会全体に大きな影響を及ぼすでしょう。

その意味からも、最初に書いたとおり、私は、死刑以外はありえないと考えています。

では

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