昭和の香りが残るパチンコ屋 店員編

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コラム
 こんな辺鄙な所にパチンコ屋なんてあるのか?時間は20時頃周りは真っ暗畑と山、細い道路。ところが店内に入ると活気が凄い。当時は日本全国どこでもこんな感じだったのだろう。
 実際に勤務してみると更にギャップ、平成も二桁に入ったというのにまるで雰囲気が昭和なのだ。簡単に言うと軍艦マーチが流れていたり、店員が煽りマイクいれたり・・・そんな店。私が勤務する直前迄従業員の休憩時間も決まっていなくて、個々のさじ加減で暇をみつけてはホールの隅でジュース飲んだり煙草吸ったりしてたらしい。
 問題の従業員のほうはというと、極めて個性的である。何故なら業界自体がその極めて個性的な人々が働く受け皿になっていたからだ。ホールの上階が寮になっているのだが社員のほとんどがここに住んでいる。地元の人間は一人もいない。採用しない。これは不正を未然に防ぐ意味合いもある。全員が流れ者である。もっと言うと名前すら本当かどうか分からない人も何人かいた。免許証が無い人なんかは自筆の履歴書だけ。
 仕事上警察とは頻繁にやり取りするのだが二~三か月に一度程度、従業員名簿を見せろと・・・事務所に通すと退職者も含めて何年も遡って時間をかけてじっくりチェックしていく。幸い私がいる間はここでヒットすることは無かった。
 給料日の次の日はハラハラする。大抵誰か出勤してこない、部屋を見に行くとjもぬけの殻。大体の者は目いっぱい前借しているので給料も多くははないのだが僅かな金持っていなくなっちゃう。とにかく綺麗に辞めていく人が居ない。蒸発してきて家族に見つかって居なくなる。よせばいいのに、わざわざ住民票移して借金とりに見つかって居なくなる。そうなると人員の補填。簡単な面接だけして採用。これの繰り返し。悪循環だけど仕方ない。少なくとも私が面接した中では唯の一人も不採用にした事は無かった。
 ある日若い男が面接に来た。当然採用。吉と出るか凶と出るか使ってみないと分からない。着の身着のまま荷物もない、手ぶら。聞けば金の持ち合わせもない。そこでポケットマネーからいくらか渡して給料日迄持つだろうと、面接が午後だったので翌日の遅番から出勤だと言い渡す。当日の晩から寮で食事が出るように手配、おそらく何日も食べてないだろう。さて次の日の夕方、もういない、食事だけ二回してトンずら。流石にこれが最速だった。一体何しに来たんだか?
 他にも変わったパターンがあって、パチンコ屋もチェーン店の場合他業種にも手広く事業展開しているところが多いと思うのだが、私が居たところも例にもれずいろいろ手を伸ばしていた。そこからボーリング場の支配人とホテルの支配人夫婦、二組三人兵隊として、つまり平で使ってくれと本社から・・・聞けばかなりの額の横領が発覚、二組ともウン千万。通常は早番と遅番の二交代制なのだがこの人たちは昼から出勤でラストまでこき使って借金として回収。給料はすずめの涙。かなりきつかったと思う。人としてはこちらも全く信用はしていなかったのだが、仕事ぶりはとにかく優秀で、末路は悲惨なものだが流石一時は人の上にたっただけの事はあって、口は上手いし、バイトには人気があるしで、いろいろ問題はあったもののなんだかんだいって重宝した。
 きりがないにで、取り合えずここまで。





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