「人生において何を求めるのか」
これは大きなテーマです。
普段は特に考えていませんよね。
しかし、何か大きな決断を迫られた時はどうでしょう。
自らこの問いに答えているのではないでしょうか。
「何を求めるのか」は、世代によっても傾向があります。
母の話
私の母は今年84歳です。
幼い頃に樺太から引き揚げた「引き揚げ者」です。
(樺太とは、北海道より北に位置する、現在はロシア領の島です。)
兄弟は9人、母は下から2番目です。
母は、樺太でのこんな光景を憶えていると言います。
母の母(私の祖母)が、着物をほどいて子供たちの服を縫っていたこと。
運動会の前日には、徹夜で家族全員分のお弁当を作っていたこと。
祖母は、魚の白身を擦ってかまぼこを作っていたそうです。
出来合いのかまぼこがスーパーに並ぶずいぶん前の話です。
何もかも作らなければ「無い」時代だったでしょう。
大変な時代を生き抜いた祖母の人生を思うと、頭が下がる思いです。
そんな強い祖母の血が私に流れていると思うと、力が沸きます。
母は成長し、父と結婚し、兄や私が生まれました。
何もなかった時代から、お金で物は調達できる時代へ。
大人の着物を作り変えなくても、子供の体に合った服を買えるようになりました。
かまぼこもスーパーで買えるようになりました。
生きるのさえ大変だった時代から、便利な時代へ。
私は社会人になり、母にこんな相談をしたことがありました。
仕事がうまくいかず辞めたい
問題のあった元夫と離婚したい
母は、決まってこう言いました。
「あなたが我慢すれば良い」
小さな子供に言うならまだしも、「我慢」とは前時代的な言葉ですよね。
もう2、30年も前のことです。
私は、当時ずいぶんと反発したものです。
マズローの5段階欲求
皆さんは、「マズロー(1908 - 1970)の5段階欲求」をご存じでしょうか?
人の欲求には、下から順に
・生理的欲求
・安全の欲求
・社会的欲求
・承認(尊重)の欲求
・自己実現の欲求
という5段階があるという理論です。
マズローは晩年にさらなる上、6段階目『自己超越の欲求』があると発表したそうです。
この欲求とは、「人生において何を求めるのか」です。
母の幼い頃は、家族が寄り集まり助け合わなければ生きていけなかった時代でした。
人々が渇望していたであろう「安全の欲求」は、やがて満たされました。
そして、生活が安定的に守られる「社会的欲求」の時代へ。
私が相談した時、母は「社会的欲求」が満たされることを望んだのでした。
経済的に困らない、外見的に夫婦でいることで社会的立場が守られることを。
それが私にとっても「幸せ」であると。
一方私は、ストレスの多い仕事を辞めたい、問題のある夫とは縁を切りたい。
それは「自分がどうしたいか」。
私の欲求は「承認(尊重)の欲求」だったのです。
私たちは何を求めるのか
時代は、今や少なくとも「承認(尊重)の欲求」の段階です。
「(外見的に)何不自由ないから幸せ」な時代ではありません。
「(外見的に)何不自由ないから幸せ」と思えと言われても、時代は戻らないのです。
「社会的欲求」から「承認(尊重)の欲求」への移行は、価値観が「全体」から「個」へ移ったことを意味します。
結婚しない、子供がいない、結婚しても私のように離婚するケースが増えています。
それは、多くは「個」の「どうしたい」の結果ではないでしょうか。
私たちはどのように生きていきたいのか?
答えは一人一人違います。
自分の「何を求めるのか」を知ることが、人生への満足につながるのではないでしょうか。