敏感な感情に耐えれなくて自分を消したかった・・・

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コラム
私は、アダルトチルドレンです。(^_^;)
アダルトチルドレンというと、父親がアルコール依存で・・とかDVをして・・・(>_<)
そういうケースが思い浮かびやすいと思いますが・・・・。


私の場合は、ごくごく一見普通の家庭でした。(^^)

田舎・・ということもあり核家族ではなく、おじいちゃんおばちゃんがいる
3世帯でした。

どういう風にアダルトチルドレンなのか簡単に説明すると・・・


母親が、姑と小姑にイジメられ・・・。(´Д`;)
父親は見て見ぬふりで毎晩遅く帰る生活・・・。(´Д`;)

私は、そんな母親を見て育ち、ずーーーーーと母親の愚痴を聞いて育ってきたのです。

私が、母に何でも悩みを相談するということはありませんでした。
いや、相談していたのに、いつの間にか話題がすり替わって、母親の話をきかされている状態・・・だったのです。Σ(゚д゚lll)

本来ならば父親が母親の味方をし、話を聞いて母を守るべき・・・・・。
と言いたいところですが、昭和の時代、、どこの家庭でもこんなものだったのかもしれません・・・。(;´д`)

しかし、それで仕方なかったね・・・。て、片付けられる話ではありません。



私は、そもそもHSPなので、その重苦しい家庭内不和で、いつもお腹がいたくなったり、恥ずかしいですが、爪噛みやおねしょも良くしました・・・。情緒不安定な子供であったにも関わらず、「長女だから、しっかりしなさい! わがまま言うな!」で育ちました。( ̄▽ ̄;)!!


また、「自分に厳しく、人に優しく」というスローガン?で子供時代を過ごしてきました。

人に怒られないように、迷惑かけないように、裏の裏を読んで・・・人の顔色を伺って生きていました。

それは、親にだけでなく、学校の先生や友達に対してでもです。
嫌われないように・・見捨てられないように・・・そんな風にビクビクして
育ってきました。(>_<)



摂食障害が母親にバレてしまった19歳の頃も、母親は、私が摂食障害と理解しておらず、「また 吐いている!!」と怒っていたし、トイレの前で立って私が吐いている間、待っていて、とても私を理解することができない、なんとも言えない表情で私を見ました・・・。


私は、軽蔑されている。自分は自分を軽蔑しました。
そして、親友にさえも軽蔑されると思い、友達に言えませんでした。

誰も自分の本音を分かってくれそうな人はいませんでした・・。



摂食障害になって7年も歳月が過ぎた頃。。。
私は、自分で吐くことを辞めれると思っていたのに、これは、本当に本当に病気なんだ。。

私は病気なんだと
自覚しました・・・。Σ(゚д゚lll)

けれど、病院の心理カウンセラーにさえ、「この人に私の何がわかるの!!」という気持ちが邪魔をして、カウンセリングにも長く通うことはできませんでした。

私のこの複雑な思考回路・・・複雑な感受性・・・複雑な気持ち・・・
誰が理解してくれるだろうか・・・・・。
心の奥では、そんな人を求めているのに。。。。。_| ̄|○


自分にことも嫌いになり、家族も嫌い、世の中も嫌い
友達のことも大切にできない自分になっていきました。_| ̄|○


住んでいる田舎は、、静か過ぎる・・・・。この静けさが余計に
私を苛立たせました。まだ10代20代頃は、世の中に取り残された気がして、田舎の山や川、田んぼでなくカエルの声に耐えれなかったです。(;_;)


だから、街に出て人ゴミの中にいた方が楽でした。
繁華街でいることや、クラブで夜な夜な爆音を聞いてる方が、気持ちが落ち着きました。(´ω`*)



自分の敏感な感受性を全否定するかのように、私はそうやって自分を消しながら生きていました。


今となっては、エンパス・HSPの人は、普通の人よりも、感じ方が10倍だと言われています。だから、本当に言葉にできないこの苦しさを、過食だったり、敢えて人ゴミ自分を溶け込ませて自分を消していたんだと分かります。




















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