制服 or 体操着?

記事
コラム
今日は娘の幼稚園で
焼き芋会が開かれる日

いつも寝坊の娘が
珍しく早起きしてきた割に
支度が進みません

様子を伺うと
娘は今日
制服を着ていくか?
体操着を着ていくか?
悩んでいるようです

普段は
制服を着ていくか?
体操着を着ていくか?
クラスのお知らせプリントの
スケジュール表に明記されていますが
今日の服装について特に指定はなく
親のわたしも
どちらが良いか?
判断に迷ってしまいました

母としては
焼き芋を扱うなら体操着かな?
と思いますし
芋堀りでは無いので
制服でもいいかな?
とも思いますし
…要するに
どっちでもいい、と思っていました

ところが娘は深く深く悩んでいる様子

話をよく聞くと
クラスのみんなと
違う服を着て行きたくない
ひとりだけ違う服を着ていくことに
思いのほか抵抗があるようです

過去に先生に
怒られたことがあるわけでもなく
お友達に
いじめられたことがあるわけでもなく

ひとりだけみんなと違うことと
自分の選択が間違う事への恐怖が
ある様子でした

「みんなと一緒がいい」

わたしは娘のこの価値観に触れると
こころがザワつきます

”みんなと一緒でなければいけない”
”人と違うことはしないほうがいい”
幼少時から
そういう生き方が正しいと教えられ
自分自身の本音である
”自由に振る舞いたい”気持ちを
押し殺して生きてきたことによる
生き辛さがあったことに
気付いたからです

わたしはずっと
”自由に振る舞いたい”と思っていたのです

しかし、環境が・社会が
それを許してくれなかった
そう【思い込んでいました】

幸いわたしは
自由に振る舞いたいならば
今居る環境から抜け出す
という選択肢があることに【気付き】

”わたしは自由にしてもいい”
と自分自身に【許可】をすることで
そこから脱け出せること

そして
長らく囚われていた
”自由ではない環境”から抜け出し
”自由な環境”に飛び出て良いと
許可が出たとしても
いざとなると
とても勇気と覚悟が必要になり
新しい世界に踏み出す一歩を
ためらってしまうことも
知りました

なので怖くなるのです

娘が”わたしのように”
自由では無い環境に自らの身を置き
そこから抜け出せなくて
辛い思いをするのではないか?…と

過去の自分
いや、今でもまだ
自由な領域に飛び出すことに
ためらいのある自分を
娘に投影しているのです

ここでわたしは
”自由に振る舞いたい”を
強く意識するあまり
”みんなと一緒は良くない”
という【ジャッジ】を生んでしまっています

ですが

みんなと一緒でもいいのです
みんなと一緒じゃなくてもいいのです
どちらでも良いのです

わたしがどちらを選びたいのか?
娘がどちらを選びたいのか?
選ぶのはその人の自由なのです

その事に思い至るまでに
まだ少し時間がかかるわたしは

朝の限られた時間で
娘がどちらを選んで良いか
いつまでも迷い選択できずにいる様子に若干イラつき

「制服を着て、体操着を持って行って
園に着いてから
周りのみんなの着ている服を見て
必要であれば
体操着に着替えれば良いのでは?」

と提案した筈が
うっかり体操着を家に忘れ

園の駐車場で見かけた子達数人が
たまたま体操着を着ていたが為に
一旦家に帰って体操着に着替えさせ
再登園したところ
案外制服の子も居るよね…

という
なんとも無駄だらけの朝を過ごした

…そんなご報告です(笑)

まだまだ至らない自分
ぽんこつな自分

無駄だと思った今朝の出来事が
これからのわたしを楽にしていく
小さな一歩と思うと
くすっと笑えるエピソードになり

少しずつ生きるのが楽になっていきます(^^)


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