人の未来を視るということは救えるということ

記事
占い


未来視



聞こえがいいようなフレーズですが、私はこれに長年に渡って悩まされてきました。

視たくないときに視えたり
知りたくないときに知ったりするからです

未来視には色々種類があるそうですが、私は1つだけ”危険視”という力が物心付いた頃から何故かあるようです。



時は遡って私が生まれる前のこと。

前世でもなくて来世でもない丁度真ん中のあたりでしょうか。
私は何かに対して恐れ、恐怖し、全力で逃げていて、ふと気づいた時には暗い湖のそこに足をすくわれ落ちていました。

暗い暗い水の底
例えるなら、真っ暗な海の中で息が出来ずになすすべもなく、それでも必死に足掻いているようなそんな感覚でした。

それでももがいて必死に何とか脱出しようと手を伸ばしたとき、小さな光が差し込んで、そこから救いの手を差し伸べられたのです。

今でも鮮明に覚えています。




それが、私が生まれた瞬間の出来事でした。




それからの記憶はさすがに曖昧で覚えていることは少ないですが、子供なのに妙に大人ぶったり、なんでそんな言葉を知ってるの?というような妙なことを口走っていたりしたそうです。

歳は3つか4つの頃からでしょうか。

夜になり、家族が寝静まるかという時間帯によく、異常なまでに泣き出す習慣が起こるようになりました。

それは今でも覚えている恐怖の体験です。

夜、寝ようと両親が部屋の明かりを消す。
するとどこからかともなく声が聞こえてくるのです。


「何故お前は生きている」

「死ね」

「くそ野郎が」

「泣き叫べ、くたばっちまえ」


怖い、汚い大人の憎悪罵声が頭の中を駆け巡っていたのです。

小さな子供にとってはそれはそれは恐ろしい体験で、頭を抱えながら異常なまでの表情で泣いていたと、母から聞かされました。
そんな状態が半年経っても改善することはなく、ついにはどこか有名なお寺を紹介してもらい、そこでお祈りをしてもらってその症状は良くなっていったそうです。
祈祷をしてもらった際に、手の指から不思議な白い線のような靄がスルスルと出て行ったような、そんな話を聞きました。


その頃を境にでしょうか、怖い大人の罵声が去っていった代わりに不思議な現象が視えるようになりました。


初めてそれを感じるようになったのは保育園の年長さんだった頃です。

父親がいつものように出勤する際に

「行ってらっしゃい」

と顔を見てお見送りをするのが日課でした。

するとふと、頭の中に痛いような熱いような良くない色が浮かんだため
「行かないで」とせがんだそうです。
あまりに必死だったようで、父も

”じゃあ有給休暇でも取って遊んであげようか”

と当時は思ったのでしょうか、休んで私と遊んでくれました。
その日のお昼ごろだったでしょうか?
会社で火事があり、父親が所属していた部署内の人が二人火事に巻き込まれて亡くなったそうです。



それから中学生だった頃です。

連休間近だったため家族旅行で神戸市内を巡る計画があったのですが、旅行前日に自分を含め家族全員の顔を見るたび赤い苦しいイメージが走り、瓦礫の中で手を伸ばすような、そこに死が迫っているようなそんな映像が頭の中に流れ込んできました。
それを両親に話すと、「小さい頃のこともあるし、計画を練り直してみようか」と予定の変更をしてくれて、鳥取観光に変更になりました。

その2日後の朝、阪神淡路大震災が起こったのです。



小さな体験は数えられないぐらいいくつもありますが、子供の頃の大きな事件はこういった内容です。
中には視るのが嫌で、みえないふりをして逃げて、そして救えたのに救えなかった命もありました。

今でもそれは後悔しています。


もしもこれから先に重大な何かが起こるとしたら、それを事前に回避できるお手伝いが出来るかもしれません。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す