世界で一番美しい場所⑨

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これは世界で一番美しい場所、ローフォーテン諸島(ノルウェー北西部)を私がヒッチハイクで旅して回った時の記録。

第0話はこちら


(前回のあらすじ)
ホビットハウスに到着した。

天井の低い小屋

「ふう。」
バックパックを足元に下ろすと、ショッキングピンクのマットが敷かれたベッドに腰掛けて私は一息ついた。
 風で吹き込んで来た砂がマットの上一面を覆っていて、座ったお尻がチクチクと痛む。内心眉をひそめながら、私は重たい腰を上げてとりあえず座る部分だけ砂を払った。

幸い先客はいないようだ。これで先客がいたらいよいよ寝る場所がなかったのでよかった。時刻は22時を回っているので、今日これから増えるということもなさそう。朝スボルベルを出てから12時間以上。長い道のりだった。

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ホビットハウスの中は、太陽光があまり当たらないためか空気は外気温よりも少しひんやりしている。
 床面積は外から見た感じよりは広く、床面積だけ見れば7畳くらいあった。くの字型の天井までの高さは一番高いところでも2mないようで、私が立つと梁の部分で頭をぶつけてしまう。
 それでも私の腰くらいしかない入り口の円いドアをくぐって入ることを考えると随分高く感じられた。

内装はシンプルながら、物がごちゃごちゃと置かれていて雑然とした感じに見える。
 簡単に説明すると、入り口正面と左手奥に1人用ベッドが2つ。正面のベッド上の屋根付近には手のひらサイズの円い明かり窓が1つ。また、くの字の屋根のてっぺんにも小さな四角の明かり窓が1つ。これらの明かり窓のおかげで、電気の通っていない小屋だが中は割と明るい。
 正面奥右手に机と椅子のセットがあり、机の上には訪問者たちが残していった書き置きノートとペン、マグカップ、空のペットボトルに謎の調味料や食器用洗剤など一般家庭のキッチンにあるようなものたちがぐちゃぐちゃに置かれていた。埃がべったりとこびりついているため、今はいない誰かが長期で宿泊していたのかもしれない。

また、入り口付近には大きな錆びた釜の跡があり、釜の反対側には古着のようなコート類が何層にもわたってかけられていた。
 アレックスから聞いた話によると、このホビットハウスは元々「North of the sun」というドキュメンタリーを制作した2人組が建てたもので、冬の海を撮影する間住むためのものだったらしい。それを撮影後に一般に無料開放したのだそうだ。
 きっと、きっと冬の風が吹き荒れる暗く寒いこの場所で撮影を終える度にこの釜で暖を取っていたのだろう、と私は思った。白夜の6月ですら気温が5度を下回るのだから。
 このホビットにぴったりサイズな小さな家も、冬の海風から身を守るための工夫なのだろう。

ふと、毛布があるのが目に入った。事前にベッドがあることは聞いていたけれど、毛布も置いていてくれてるのは素直に嬉しい。私は寝袋などのキャンプ道具はないし、身軽な長期旅行者なので防寒着はジャケット1つ。座っているだけでちょっと寒いので、毛布がなかったら凍えていただろう。


北の海

ベッドに座って水を飲んだら元気が出てきた。このまま寝るのももったいないので、外を少し見て回ることにする。
 ホビットハウスの裏側に回ると、小屋を少し見下ろすことができた。芝の屋根が周囲の景色とマッチしていて、保護色みたいになっている。遠目からはそこに建物があると分からないだろう。ちなみに芝の屋根は北欧の北の方ではよく見られる風景で、保温にいいらしい。夜暖かいといいな、と私は思った。
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この小屋、なんとトイレがあった。ぼっとんスタイルだがちゃんと洋式だ。
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時折吹く強風で吹き込んできた砂だらけではあるものの、気温が低いからかぼっとんでも臭わないのはポイント高い。

他には特にホビットハウスのような建物がなかったので、ホビットハウスのある斜面からビーチの方に下りて行くことにした。

ビーチの手前で靴を脱いだ私は、砂浜を裸足で歩く。昼のトレッキング後も靴を脱げずにいて湿気がこもっていたので、ひんやりしっとりした砂が気持ちよかった。

ちょっと足を伸ばして波打ち際まで行く。ざざーんという波の音。風が強いので少し激しいが、波の音がする間隔は万国共通のようで。
 随分遠くになってしまった日本をふと思い出した。そういえば、このさらさらな砂浜は友達と旅行した和歌山の白良浜みたいだ。

懐かしい記憶を思い出したのもあって、私はつい海水に足を伸ばした。

!?!?!?
つめた!

海水がびっくりするほど冷たい。
 意識が急速に現実に引き戻される。あかん。ほんまに冷たい。凍傷になるレベル。やばい。足を氷の塊に埋められたような冷たさ。追い討ちをかけるように、なんとか暖まろうとする足を冷たい風が襲う。
 …なるほど、どうりでちらほら見えるカップルたちが海に寄り付かない訳だ。

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眠れぬ夜

23時半。かなり遅めの夕食をとって寝る支度を始めた。
 毛布をばさばさとやって砂を落としてから潜り込む。足先が冷たいので靴を履いて寝ようと思ったが、私が海辺を歩いている間に靴の中の湿気が冷風に当てられて刺すようにつめたくなっていたため諦めた。
 私はキンキンに冷えた足先に毛布をぐるんとくるむ。しばらくすると、体温が伝わっていくらかマシになってきた。

ドアを閉じ、横になって眠る。入り口に鍵などはないが、元々僻地にあるローフォーテンの、さらに僻地のビーチだ。不審者についてはあまり気にしなくて大丈夫だろう。
 目を閉じると、どっと疲れがやってきて私の意識を沼の底に落とし込んできた。









…寒い。
 夜中に目が覚める。明かり窓が明るい。小屋の中は明かり窓から沈まない太陽光に照らされているので、眠る前と後で時間が全く進んでいないような気がした。

時間を見るほど頭がはっきりと起きない中、寒さから逃れようとする本能だけで余っていた赤い毛布を見つけて引っ張ると、砂も落とさずに今被っている毛布に重ねる。
 よし、これで多少暖かい。







…寒い。頻繁に起きる。
 これではいけないと、入り口付近に掛かっている古着の匂いのするジャケットやベストを毛布に重ねる。隙間風が冷たいので、まだ余っている適当な上着を見繕ってドアの隙間を埋める。よし。これでまた少し暖かくなった。
 明かり窓からの光が明るい。






…寒くて、明るい。ダメだ。思うように眠れない!
 昼の疲れで寝たいのに、寒すぎて起きる。意識飛びそうになりながら何とか重ね着をしてまた寝る。今度は明かり窓からの日光が明るくて起きる。起きると寒さを実感してまた重ね着をして寝る。ようやく寝られそうになって寝返りをうつと、適当に毛布を被った時にマットに落ちた砂が肩と腕にめり込んで痛くてまた目が覚める。
 白い地獄だ。ここは。


最後の朝

地獄と沼にずぷずぷと引き摺り込まれるような眠りを何往復もした頃、ピピピピ、というアラームが6時を知らせた。
 その音で、まだだるい体をなんとか起こす。明かり窓から入ってくる光は寝る前と全く変わらない。よく眠れなかったとはいえ横になって少し回復し、覚醒し始めた私の脳と身体が、遮光カーテンのない白夜の恐ろしさを思い知っているのを感じた。


外に出て凝り固まったストレッチをする。昨晩見たカップルたちが泊まっているであろうテントはいくつか見えるが、どれもまだ起き出してはいないようだった。
 こちらが死ぬ思いで重たい毛布と古着に潰されながら何とか寝ようとしていた間、彼らは寝袋ですやすや眠っていたのだろうと思うととても羨ましい。暖かい寝床のありがたみを思い知った、大波乱の一晩だった。

空は曇りという週間天気予報を裏切って晴れている。
 冷えきった身体を朝日が溶かしていく。身体が暖まるにつれて、白い地獄が現在から過去のものになっていくのを私は感じた。
 20年以上生きて、今更ながら太陽の熱量に圧倒される。日光ってありがたい。なんだか身体の深いところ、野生の部分が刺激されている気分だ。自然を感じるという言葉にあまりピンとこないタイプの私が、この時は確かに自然を感じられていた。と、思う。

こうして私のヒッチハイク旅は最終日を迎える。
 アメイジングでハッピーでクレイジーな旅も、あと少し。



次回。
バイキングの家。
お楽しみに!

*更新は毎週日曜日です。
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