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これは世界で一番美しい場所、ローフォーテン諸島(ノルウェー北西部)を私がヒッチハイクで旅して回った時の記録。
第0話はこちら
(前回のあらすじ)
捨てる神あれば拾う神あり。
白犬とヘラジカ
「ムース(ヘラジカ)だ!」
助手席に座る若い女性が右の窓の外を見て声を上げた。
運転しているパートナーに車を止めるように言うと、後部座席に座った私の方を向いて遠くに見える「それ」を指さす。
そこには、隣の木の高さの半分にもなる、大きい牛のような「何か」がいた。
遡ること1時間前、私はメカニックのおじさんに Kongsvika まで送っていただき、そこで車を降りた。お別れする頃には雨が止んでいて、相変わらず空は曇っているものの少し空気が暖かくなっているのを感じる。
おじさんに乗せてくださったお礼を伝え、またローフォーテンに来ることがあったら連絡する約束をした。さよならと去っていくおじさんに手を振る。
そこから30分後、相変わらずどんよりと暗い曇り空ではあったものの幸いにも雨に降られなかった私は、本日の目的地スボルベルへ向かうノルウェー人の若夫婦に拾っていただいた。ちょうど目的地が同じということで最後まで乗せていってくださると言う。
「犬は大丈夫?」
と聞かれたので
「大丈夫です。」
と答えると、後部座席でのびのびと横たわっていた賢そうな白い中型犬がむくりと起き上がった。
夫婦は犬を奥にずらしつつ、てきぱきと下に敷いたタオルなどをめくって後部座席の半分を開けてくださる。そこに座らせていただいた私はこの白い犬に恨まれるだろうと思った。
が、予想に反してその白犬は私の匂いを嗅ぐとぺろぺろと舐めてきて、私を熱く歓迎?してくれた。
車は黒いセダンで、よく整備されているのか法定速度を軽く上回るスピードを出しているのに振動が少ない。犬は私に優しく撫でられているうちに眠ってしまった。
振動が心地よいので、今朝からの疲れがどっと出てつられて寝てしまいそうになるが、必死にこらえる。私は乗せていたいている身なので、寝るわけにはいかないのだ。
ふと窓の外を見た奥さんが急に叫んだのはそんな時だった。
「ムース(ヘラジカ)だ!」
助手席に座る若い女性が右の窓の外を見て声を上げる。
運転しているパートナーに車を止めるように言うと、後部座席に座った私の方を向いて遠くに見える「それ」を指さす。
そこには、隣の木の高さの半分にもなる、遠目に見ても大きい牛のような「何か」がいた。
遠目に見えるムースはどう見ても普通の倍近い大きさの、肩まで2mくらいある牛にしか見えない。ツノ、小さいし。
隣に大きさを比較できる木があるから明らかに牛の大きさではないことが分かるけれど、もし一面草原だったなら、近くの牧場から牛が逃げ出したのかな?それか放牧してるのかな?と思っていたところだ。
世界一大きい犬種セント・バーナードって、実際に見るとこんな感じなのかなと隣ですやすや眠る白犬を見て思った。
ムースはこちらをじっと見つめて動かない。
「ツノがないから、メスかな。」
「いや、小さいけどツノが見えるよ。」
「ん?…ああ、本当だ。じゃあ若いオスなのかな。」
「多分ね。」
夫婦は車から降りつつそんな会話をしていた。私もお2人に呼ばれて一緒に車外に出る。
ヘラジカ特有のヘラのような大きなツノが見られなかった少しガッカリした気持ちがなかったといえば嘘になる。でも、ツノがなくてよかったとも思った。大きすぎる野生動物はそれだけで本能的に怖いからだ。
実は川の近くではワニよりカバの方が危険というくらい、意外と大型の草食動物に襲われて大怪我をしたり亡くなったりする人は多い。このヘラジカも万が一襲ってきたら、私たちも車も簡単にぺしゃんこだろう。
そう思うと、私はヘラジカを見ることができた感動より、恐怖で心臓がドキドキしてきた。ノルウェー人のお2人が平気な顔をして前を歩いていなければ近づこうという気にもならなかっただろう。
日本を出る前、日本から自転車かヒッチハイクでロシアを横断してヨーロッパに行こうとしてミートアップで出会った日本在住のロシア人たちから「半数がリタイアor行方不明で帰ってこられなくなるからやめとけ。」と止められたのを思い出す。
確かに野生の熊、虎、そして時々道路に飛び出してくるヘラジカをくぐり抜けるのは初心者にはまず無理な話だったと、忠告を聞いて素直に飛行機を使って正解だったと思った。
びびって恐る恐る近づく私の前を歩く若夫婦が舗装されていない地面に足を踏み入れた時、木の枝を踏んだのかポキッという音が響いた。
「あっ」
と思う間もなくその音を聞いたヘラジカは驚いてひとっ飛びで森の中に消えていった。
「Ohhhhhhhhh」
と残念がる旦那さん。奥さんは黙ったまま肩をすくめて「やっちゃったわ。」という顔をして私を見た。私は残念、という顔で返事をする。
恐怖の大鹿はいなくなってホッとしたら、今度は近くで見られなかった残念さがこみ上げてきた。人間って強欲。
いざローフォーテン
車に戻った私たちは大きなラウンドアバウトで「ローフォーテン行き」の標識に従って左折し、ひたすらスボルベルを目指す。
そして見えてきた橋を渡りながら、
「ここからがローフォーテンだ!」
と旦那さんがミュージカルの主役のように歌い上げた。
そこは、はるか昔に氷が削りとっていった黒い山肌がそびえ立つ島々。断崖絶壁がほとんどそのまま海中に突き刺さっているので、道や町はその間に何とか存在を許してもらっているか、もしくは島の上に命からがら逃げ出しているかといった様子だった。
農業は絶望的な場所であるものの海の幸は豊富で、いわゆるノルウェー産のタラやサーモンは何百年も前からここで人々の生活を支えている。
橋を渡り、島々を結ぶ海底トンネルを抜け、アウストヴォーグ島を南に走っていくとようやくスボルベルに到着。
スボルベルに到着する直前、朝からずっと雨雲で曇っていた空がぱあっと開けた。事前のナルヴィクからずっと気温は10℃以下で天気は曇り続きだった私にとっては4日ぶりの太陽。日光は浴びれば嬉しいし、暖かいものだったことを思い出す。ヨーロッパ人が夏のバカンスや晴れの日に水着姿で公園に集まって日光浴しているのか、ちょっと分かった気がした。
若夫婦のお二人と白い犬に丁寧にお別れして、本日泊めていただくカウチサーフィンホストのところへ。
時刻は18時50分。
第1日目。9時間の長旅が終わった。
次回。
世界で一番美しい漁村と、衝撃のサッカースタジアム。
お楽しみに!
*更新は毎週日曜日です。