終わりのない確認行為

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昨日のブログで「否定される恐怖」と書きました。
否定される恐怖から逃れるために「否定されていない確認」をしてしまうんです。

否定される恐怖があるために、否定されていない確認をやめることができない。しつこく確認するために、いつか否定される現実を見つけてしまう。むしろ、否定される現実を探しているのかもしれません。

私達は、「○○な恐怖」から逃れるためのようでいて、「○○される現実」を見ようとしているのかもしれません。

いつまでも「○○される現実」を探し続けているのかもしれません。
いつか「○○される現実」という過去の出来事から、心の時が進みますように。

これはおそらくトラウマで、その時にあまりの恐怖のために、その感情を受け止められずに、その感情が今もまだ残っているのだと思います。
「怖い怖い」という感情だけが残る。

何が怖いかはっきりとは認識できていないが、確かに「とある現実」を探し続けている。そしてその「とある現実」を見つけてはまた傷ついて心の殻に閉じこもってしまう。その時の心境と言えば、「ただただ怖い・・」。
そんな無力な自分にただただ頼りなく感じ心の中に引きこもってしまう。

しかし、出てこなきゃ現実は進まない。

誰だって否定されることは怖い。いい気分じゃない。だけど、それがすべての終わりでもない。またいい気分に戻ることだってできる。頭の中、晴れ女にだってできる。次の瞬間笑うことだってできる。

私達はいつだって笑う権利を持ち、笑う選択肢を持ち、忘れる権利を持ち、忘れる選択肢を持ち・・また悩む権利も持つ。悩んでもいいし、忘れてもいい、傷ついてもいいし、どうでもいいやって処理することもできる。
どれでもどれを選んでもいい。
いい気分のほうを選ぼう。ときに悪い気分のほうを選んだっていい。

答えはない。ただその選択肢を選んだってことだけ。


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