やっと昨日のブログ投稿できた

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話は変わりまして。
今日学んだこと

人間関係とはそれぞれのパターン化された人間への絡みかたである。


これに気づけたこと大きかったー

今日電話でめちゃくちゃ私を責めてきたお客さんがいて、私だから責めてきたわけではなく、どこかしこであらゆる関わった人間にそういう関わりかたをしているのだ。「責める」という人間への絡みアプローチパターン。
私が悪いわけではなくその人のパターン

もちろん相手の中にもいろんな心情があって特定の人間にはそれを見せられないとかあるけど、基本的にはその人からはそのパターンが外に出ようとする。人間との関わりのパターンがそれなのである。

だからそういう人はどこかしこで人間とトラブってるのである。
そして怖いことにそういう人は世界のところどころにポツポツと点在している。それにたまたま親として出会った人間が「自己否定」を獲得する。

わけのわからない親の関わりかたの原因を自分のせいにする。
それが苦しみの原因である。
親はそうするしかない人間で、そうするしかないメンタリティーで、そうしか見えない世界観の持ち主で、それは変わりようのない事実であり、私がどうこうできる問題ではない。

つまり私とは無縁のところで、頭のおかしい人間は存在し、キレ、私に攻撃してくるのである。それを受け取るかは私次第だし、どう受け取るかを相手は全く気にしていない。そういう絡みかたをしたいだけで、私のリアクションなどどうでもいいのだ。そういう絡みかたをすることが相手の人間にとって癒しとなるのだ。怒りを発散する、人間をコントロールする・・そういう心のストレス緩和に必要な癒しがそこにあるのだ。

狂った人間とは人間へのベクトルか「敵意」となってる人間だ。
敵意自体は悪くない、敵意というベクトルを人間に持ってしまったことが悪いことだ。だから本人の意図するところとは別に半自動で「攻撃」というスタイルをとり、他人に食ってかかってしまうのだ。
それはもはや半自動で自分が何を相手にやっているかわからないほどに早いスピードでそれは行われる。

人間とはコミュニケーションを意識的にやっているのではなく、自動でやっている。
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