インターナショナル・スクール、最初のお約束

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京都の移転準備は、ガタガタ・トラブル続きなのだが、もうこれは想定内のこと。自分の宿命は、始まりがいつも悪いことはすでに決まっているので、逆説的に、始まりが悪いことは、継続する。そしてその後、安定した後にちゃんと発展する、と言うことだ。
 これはいくら久しぶりに奇門遁甲術を使っても、実学算命学で日付計算をしても避けられない。最初が肝心とはいうけれど、最初が悪い気の型を持つ人は、ガタガタが確実にある。だけど、ガタガタが大きいほど、「ここに定着する」と言う確証を得ているのと同じことなのだ。

自分ならではのパターンを知っておけば、人生塞翁が馬の心を持てること。
 実学算命学を通して、自分の気の型を知るメリットはこう言うところにもある。

一般に算命学にはいくつかパターンがある。物事の始まりがいつも悪い型、物事が慣れてきた頃に問題が発生する型、そして物事の終わりがいつも悪い型(後味が悪い終わり方になる)と言うパターンがある。

このパターンを知っていると、自分の人生の向き合い方に迷いがなくなる。
揺らがなくなる。
逆に知らないと、その先が見えないために不安から、大揺れする。

例えば、物事の始まりがうまくいかない型の人。例えば、シンガーになりたいと思ったとする。で、シンガーになるための行動を起こす。
ところが始まりが悪いので、さまざまな出来事に巻き込まれる。
例えば、入った留学先の音楽学校がいきなり、倒産。退学を余儀なくされる。
または、入った先で、教わる先生との相性がむちゃくちゃ悪く、指導についていけなくなったり、環境が合わなくて精神的に病む。
 進もうとするといつも周りから大反対を受ける、など...とにかく始める段階でさまざまな邪魔が入る。
 すると本人は、あまりにもスムーズにいかないことから、大体「ああ、私、この道、向いてないんだわ。だから道が閉ざされるんだわ。」と考えて、よくないことがあるたびにやめてしまう癖がつく。

 物事を始める時というのは非常に、非常に重要。
人というのは、たいていが最初の印象をもとに、意欲をもつので、最初の体験が嫌なものになったら、それをやってみようとか、続けようという気力を持つのが難しい。
 そこで、最初がいつも良くない型の人は、色々手をつけてみては、やっぱりだめだ、合わないのだ、と初期の段階でやめて、自信を喪失するというスパイラルに入り、何事であっても物事を成し遂げることができなくなってしまうのだ。

じゃあ、どうするのか、というと、初期につまづく型の人は、最初の体験は捨て駒だ、と割り切る心構えを持つと良い。
例えば、専門学校に入ろうと考えたならば、最悪、2〜3校転校することも念頭に入れながら準備しておき、大して期待を込めずにそこに挑戦していく。
 もうこれしかない、この学校しかない、この先生をあてにしていたのに、というような状況や計画的信念にこだわって無理に進もうとすると、それがガタガタと崩れていく中で、たちまち不可解な現実の現象に翻弄され、迷いの中に入り込んでしまう。
あれがだめなら、これで行こう、これでだめなら、そういこう、と次々と可能性を探ることを諦めない生き方が、こういう人には大事になる。
 そして、最初のトラブルは、「これから進んでいくために必然的に起こる厄落とし」と考えていけば間違いない。

慣れてきた頃に迷いを覚えるタイプ、終わりの締めがまずいタイプは、またそれぞれあるのだが、今回は本題ではないので、またいつかね。w

 ◆
 さて、子供たちが入ることになる、インターナショナル・スクール。
ようやくIBカリキュラムの小学校に入学書類を出して、説明会を受けてきた。
校長先生は感慨深げに私を眺め、「あなた、ここでそのまま教師がやれるわ。それくらい深い理解を持ってくれている!こんなにツーカーで通じたことはない。」と、保護者として入学したことをとても喜んでくれている。

 校長はバイリンガルなので言語は問題がないが、概念として海外の当たり前と日本の当たり前のギャップを埋めて、日本人の親たちに重要性を説明していくことに非常に苦労しているらしかった。

このIB(国際バカロレア)の教育を通じて、どのような人育てを行っていくのか...その具体的な方法がとても優れているので、他の日本の親も家庭の中で活用できるヒントになるかもしれない。

まず国際水準になっている、世界教育、国際バカロレアの教育は、子供に教育指導することで子供が育つ、とは考えていない。子供は親や教師を模倣して、自分の中に必要なものを取り込んでいくので、具体的な指示よりも、子供がそれを受け入れていきたいと思えるような外側の環境づくりの方を重視する。

外側の環境の中でも特に子供に影響を与えるのは、教師の生き様、親の子供への反応性(働きかけ)などである。

そして、この学校で入学許可が出て最初に、親が学校と意思確認し、約束させられたことは、

「子供に、good gob!と言わないで」
というルールだった。
日本語でいえば、「よくやったね」「うまくできたね」と、上から子供を評価づけするような言葉を使わないで、ということだ。

多様性と対等な人権意識を子供たちが身につけるには、教師ももちろんそうだけども親子の間でも、心理的な支配関係を完全に取り除かなくてはならない。
例えば子供が、絵を描いて親に見せる。
その時、うまくできたね。よくやったね。で終わりにしたら、どのようなことが起こるか、というと、子供の中では何かを成し遂げることが大事なのだと印象付けることになる。成長の過程で親と何万回もそんなやりとりを繰り返していくと、結果だけに意識が向いて、その過程・プロセスに意識を向けることがなくなる。そこで、子供はその取り組みを評価を受けた時点で終わりにし、取り組みの継続がないまま、終了を迎えてしまう。
ひどい場合は、周囲の良い評価を得た後、燃え尽きて、二度とそれに手をつけることがなくなる。それでは学ぶ事の意味が失われる。

学ぶ、ということは、本来、一生涯続ける人間の活動である。
学校を卒業し、学歴を取得したら全て学び終えた、と勘違いし、その後知的な本を読むことも、先生について何か学ぶことをもやめてしまう日本の大人は多いが、本来の「学び」は、生まれてから死ぬまで、全ての体験から学び続けることを指す。
生きていく中で、周りから情報を取得し、知恵を活用し、判断し続けて生きていく生命活動を豊かにすることを指しているのである。

 この意識の差は非常に大きい。同じ七十代でも、いまだに何かに挑戦し続けて、日々成長を続けている若々しい老人と、一方ですでにデイケアサービスに入り、仲間とお遊戯をさせられている老人とでは、一体何が違うのだろう、とあなたは思ったことはないだろうか。

本質的なところを見れば、前者はまだまだ自分には伸び代がある。と吸収し、問題の改善につなげたりして、積極的な生涯学習を続け、後者はもう学び終えたと思い、学ぶこととは何かを達成する事だという価値観から、引退を決めてしまった人、という違いだけなのである。

学ぶことを自分の当たり前の活動にしていくことが、人生の生き様をかえ、人生の質を大きく向上させる。
学ぶことは、誰かから評価を受けることではなく、「知的探究の面白さ」を見つけていくことだ、と、このインターナショナル・スクールでは考えている。
知的探究力がついた人間は、深くて豊かな知的世界を開くことができる。

そこでは、日本の親たちのように、テストの結果を見て一喜一憂したり、勝った負けたなど、子供が出した結果について感想や評価を下す言葉、(それが良いものであっても、悪いものであっても)は、子供の中に眠っている本当の「知的探究」の能力を眠らせてしまうアプローチなのだ。

だからもしもお子さんが、家庭で課題を持ち帰ってそのことを話した時、親の方でそれについて、親が個人的な感情的や主観的な態度を持つことをやめてください、というのが「good jobをやめてください」の真意なのである。

それに代わり、インターナショナル・スクールでは、どんな関わりかたがふさわしいのだろうか。
一言で言えば、「いつだってカウンセリング・マインド」だ。

カウンセリング・マインド、というのは、心理学用語だが、自分の主観に入り込んでいるクライエントに対して、カウンセラーが自分の個人的な意思や価値観や感情、評価意識を排し、中庸・フラットになって、相手の鏡となるような対話をしていく意識の持ち方をいう。
(詳しくは、検索すれば出てくる)

子供が課題について、報告してきたとする。
「今日は、ウォーフォルについて勉強して、こんなことを発表した」
ならば、「そう、よかったね。」で終わらせないでください。という話だ。

そこで、求められている親の関わりは、具体的にはこんな感じ。

その1、子供の現状認識にスポットライトを当てる
「へぇ〜ウォーフォルってどんな人なの?」
「近代の芸術家だよ。」

「ウォーフォル見に行って、どんなふうに感じたの?」
「漫画みたいだなぁって。」(例)

その2、新たな方向性から課題にスポットを当てる提案

「ウォーフォルにちょっと似た感じの人、お母さん、知ってるよ。
ウォーフォルに、この絵のヒントを与えた人なんだ。
 なんと日本のアーティストなんだよ。」

「へぇ誰?それ?」
「草間弥生っていう人。面白いピアノをデザインしててさぁ、ほんと独特だよ、見てみる?」
(YouTubeで都庁のピアノを見せる)
「これ、どう思う?」

「草間彌生って、どんな人?」
「こんなおばちゃんだよ。」
(写真を見せる)

その3、今の活動と関連して次の活動へつなげる促し

「なんとなくポップな感じがするところが似てるよねぇ。」
「でもちょっと変わった絵だよね。」
「なんでこういう絵ばかりこだわってかくんだろうね」

(面白くなって、草間弥生の作品をipadで検索し始める子供)
「ウォーフォルと草間さん、どこで友達になったんだろうなぁ?」
「大阪でやってるみたい。展示会行ってみる?」

「この絵、簡単で僕にも書けそう!」
「じゃあ、今度、真似して描いてみる?先生に言ってみれば?」

その4、あとは手を出さない。
子供自身がどうするのか、意志の表れを待つ。


インターナショナル・スクールは、忙しい芸能人がブランド意識のために入れる場所ではない。真に学ぶ、真の人づくりをしようとするところだ。
だから、学校と一緒にその流れを家庭でも作ってください、ということをお願いされる。
 学んだことというのは、それ一つが単独で終わることはまずなく、実際はあちこちいろいろなものごとと網の目のようにつながっている。

例えば、蚕について学べば、その周辺には、養蚕の歴史、昆虫の性質から、着物業界について、またシルクの殺菌効果について、世界の織物業について、いろいろな方面へつながる糸口がある。どちらの方へ広げるかは、子供の性格や興味次第。

この網の目を辿らせて、広げていくことが家庭で求められている親の役割。
そして、次の興味やテーマに移行していくように促していく、プロセスでの親の冷静な働きかけが、課題を学んだばかりの子供の頭の中を整理する手伝いになっていく。

それが当たり前になると、子供は学ぶことが楽しいことになり、自分の人生の当たり前の活動になっていく。
学ぶということが、日本の学校のように、改めて意識して机に座り、我慢して努力することではなく、知的な好奇心によってワクワクしながら自ら知恵を獲得していく活動になり、結果的に大人になった時、答えのない未知の問題に対してどう向き合っていけばいいのか、という学び方のプロセスを学び取ることにつながっていくのだ。

そして、家庭での学びの働きかけによって、子どもの興味の芽が生まれたことを親はネットで担任の教師とも共有していく。そしてその後をバトンタッチされた教師がまた新たな課題を子供達と一緒にどのように探究しようか、とクラスで相談して決めていくことになる。
このような親と教師とが綿密に連携して、子供の知的世界をどんどん広げていくシステムが出来上がっている。

 子供は「面白い!」をみんなで探し回りながら、毎日遊んだ記憶しかない。でも、結果として大きな教育の枠組みの中では、その学年で学ぶべき課題をクリアしている。ストレスがないので、学習意欲をどんどん引き出していき、子供たちは自主的に学ぶようになっていく。

インターナショナル・スクールで約束させられたことは、このような背景から、子供に共感は示しても、誉めないこと。評価しないこと。
そして、カウンセリング・マインドを持ちながら、子供のコーチング・コーチとして、関わること。
これが、親の子供への関わり方のルール。

すでに自分の体験の中に模範がある英語圏のネイティブの親ならば、それほど苦もなくやれるのかもしれないが、日本の親の中には親は上、子供は下という価値観があるので、どうしても権威として振る舞い過ぎてしまう。
すると、指示待ち、受動的にしか生きられない子供が育ちあがってしまう。
だから、いうは易しだけど、実行できる日本の親がなかなかいないのだそう。

子供をよく育てたい、自分で物を考えられる自律的な子供に育ってほしいならば、親はコーチング・スキルを学びにいくことをおすすめする。
これは子育てだけではなく、職場でも、どこでも一生使える技術なので、教養として学びに行っても損がないし、人育てには欠かせないスキル。
人間関係をスムーズにしていくだろう。

というわけで、日本人は、そもそも正しい子育ての方法を知らない、ということを認識を持つべきだと、私は思う。
 というのも、国際バカロレアの教育水準は、何か新しく作り上げた珍しい教育法でもなんでもなく、その全ては、あらゆる良いとされる教育法を、実際に現場で実証実験して高い効果をあげたものだけを取り込んで、パッケージ化しているものだ。だから、その教育の具体的な手法の全てにはちゃんと効果を約束するエビデンスがある。

日本の教育法は、精神哲学だけが土台にあるので、宗教化していると言っても良い。それが万人に通用するとか、子供が高い恩恵を受けるという根拠は全く用意されていないまま、矯正される。
その中で育ってしまった親が、今親となっているのだから、わかるわけはないし、そのメリットも経験していないので、確証が持てない。それでも、日本人は意識的に世界水準の親業を学んでいかなくちゃならない。

海外では親と学校と子供の三者の環境がうまくコラボして、教育がなされていくので、学校に丸投げしても、子供はうまく育っていかないという認識は大人にとっての常識だ。そして両親がともに関わる必要があるのは言うまでもない。

このように、日本人にとっては未知の、国際バカロレア水準のインターナショナル・スクールの子供の環境づくりは、まだ始まったばかりだ。

子供たちの成長を通しながら、日本の教育にはない、優れたメソードを教えられたら、子育てを迷う親のヒントになるよう時々、紹介していきたいと思う。


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