きょうだいを比べて育ててはいけないのか

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昨日ドライブ中に空から、(多分)隕石が落ちてくるのを見ました。
普段は気がつかないけれど、結構落下物があるもんですね・・。
撮った画像をツイッターにあげてみました。

さて、今日は、矛盾したようなことを矛盾したように語るかも。w
プロファイリングの際、お話を聞いている中で、子供の頃からおにいちゃんと比べられてばかりとか美人な妹と比べられたとか、怒りをためていらっしゃる方がたまにいます。「こどもを比べるって悪い親でしょう!?」って・・。

たしかに一般的な心理学や教育論や宗教的な倫理観では、きょうだいを比べてはいけない、というのが常識です。

さて、じゃあ算命学もそうなのか、というと、・・実学算命学では必ずしもそうではありません。人と比べて伸びるタイプの人間もいるからです。
いろいろ条件はありますが、例えば、宿命の中に「もうひとりの自分」がいる人。ライバルがいることが当たり前の環境として宿命に与えられている人は、他人と自分を比べて育てられることが、かえってその人物を大きくする場合があります。

ただし条件があります。
その子が競争環境に強いこと。
そして、最終的に競争して勝つか上回るかできる素質がエネルギーのなかにあるか、もしくはライバルと対等になれる宿命であることを見ます。(※競争に縁があっても常に相手に負ける宿命だと話にならない。w)
あとは、教師とか監督とか親とかが、どういうルールでこどもを「比べる」のか、その一貫性を保てるかどうかが鍵になりますね・・。

人間というのは誰しも競争本能を持っています。
鶏を観察していると、一匹のミミズを二羽が追いかけたら、そのミミズ一匹に他の鶏も群がるようになります。ミミズを食べるという目的ではなく、競争して勝つことが目的に変わっていくからです。(他にミミズはいっぱいあるのにこだわっていく。)
無意味に見えても、それが生き物ってものなんです。

競争にかかわる本能の星といえば、車騎星・牽牛星が目につきますが、それをもっていなくても、基本的に誰しもマウントを取りたいという本能は備えていますよ。
(5本能は基本的にみな、すべての人間が備えているのですが、その意識が本人の頭にのぼるかどうかを表すのが陽占なんですね・・。)
 そして牽牛星・車騎星を持っているのに立場の弱い相手にマウントを取ってしまう人は、その星の意識の次元がわりと低い状態にあります。
 この二つの陰陽の星の意識の次元の高低差を決めるのは、「何のために」という目的意識の置き所にあるからです。
その目的意識の対象の範囲が、どこに広がっているのか。
個人的な優越なのか、自分のなかのなにか精神的な目標達成なのか、賞金なのか、それとも家族のため、地域のため、社会のためなのか。

その範囲がエゴイスティックに偏るほど、その競争意識はいつのまにか誰かに都合よく利用されるものになります。戦争なんかそうですね。
漁夫の利を得る誰かに利用されるんです。
しかし、車騎星・牽牛星の意識をうまく稼働している方は、イメージとは裏腹にいっときの感情で目的がぶれることはありませんし、人に対してすぐにマウントを取ってくることもない。
 そういう次元にたった競争本能の星は、一つ一つの小さな勝負すべてに気持ちがゆれたり、こだわったりするのではなく、大事な勝負どころにこそ、こだわっています。
 意識の次元の高い車騎星・牽牛星は、たくさんの競争の中に置かれたとしても、自分が参戦して戦う意味をひとつひとつちゃんと理解した上で、競争しているのです。

とはいえ、子供の頃はどの子だってみんな自分の周辺の意味しか考えないのは自然なこと。自分の優越のためにマウントを取ることは当たり前です。
そして勝ったり負けたりの経験を繰り返し、他人と自分とを比較しながら、成長につれて意識を磨いていきます。

一方で、それをさせようとしない教育もある。
勝った子供に「天狗になるな」と叱るとか、運動会で競争はいけない、みんなで手を繋いでゴールしましょう、と教えていく教育機関もあります。
 親の方も「きょうだいで比べてはいけない」と子育て法・教育者に教わったりしたことがきっかけだったり、「自分も比べられて嫌だったから」という感情論から比べない教育を選ぶ人もいると思います。

でも、生き物はすべて同じ育て方が通用しない世界。
親に比べられて磨かれた競争意識によって、より自分の能力を開花させていくタイプの子供も当然いますね・・。
 その子にとっては、比べない教育では抑圧されて苦しいかもしれない。
徒競走で負けた子に、「自分がいいと思えれば、それでいいんだよ」というアーティスト型の教育をしても、その子が自分を受け入れていくプロセスの中では何の足しにもなりません。負けたことは負けたこととして、しっかり残るのですから。
良い教育法というのは、その子が大人になってから、ためになったなぁと結果的にいってくれてはじめて表に出てくることになる。でもそれはその子にとって合っていた、というだけで、万人に通用する教育法かどうかというと・・??
 要するに養豚や養鶏じゃない教育というのは、なにか型があって、それに子供を合わせれば、良い子に育つといったものではないんです。
 大事なのは世間一般の流行りの倫理や常識ではなく、常に目の前の個をみて育て方の方針や環境をその子の特質に合わせること。

だから、大人はこの子が将来競争環境に置かれるのか(その子がそちらへ向かっていこうとする宿命なのか)そして、その競争環境で勝っていける意識を持てるのかどうかを幼少期から見定める必要があります。

そして、その子がそういう特質を持っている子ならば、親は「意識的に」比べる、ということをテクニックとして使っていってもいいのです。
意識的に、というのがコツです。
意識的にというのは、ここぞ、と必要なところで、発奮させるために比べるということです。

例えば、車騎星・牽牛星が守護神として働く子供でも、その星のエネルギーが自然な状態ではなかなか意識にのぼらない子供たちもいます。
そういう子供たちの競争本能に意図的にスィッチを入れてあげるわけです。

具体的には、どんなひとが自分と人と比べながら伸びるのでしょうか。
例えば、水泳五輪代表荻野公介さん。主星も競争に向いたひとです。
荻野さん自身も言っていますが、荻野さんをここまでにしたのは、ライバル瀬戸大也選手の存在があったと言います。
 そして実学算命学で見ると荻野さんの宿命には「もうひとりの自分」がいます。算命学的にいうと、宿命準律音ですね。そして初旬大運が日干支律音しています。初旬の大運は自分の一生に影響してきます。

荻野選手は彼に負けたくない、と瀬戸さんをアンカーにして、比べて頑張ってきたと言います。
最終的に荻野さんは自分の泳ぎをすることで、心理的な行き詰まりを克服していったのですが、もしもその前の段階で荻野さんが自分と人を比べてこの競争に打ち込んで行かなかったとしたら、ここまでオリンピック選手としてまで大成することはなかったでしょう。

人と比べることによって、自分の精神的な弱点や無駄が浮き彫りになり、自分の中のいろんな不要物を淘汰したからこそ、現実的にも人間的にも大きな成長がありました。そして、最終的には競争相手すらももはや分離ではなく、自分自身と気がつき、一致統合できたのだと思います。
・・結局、ライバルは自分の鏡であったと気がつくんですね。

律音は、分離の意識で見ると、環境に必ずライバル的なもう一人の自分をつくりだします。統合すると、自分自身が二人分。双子の宿命にも多いです。自分を強めてくれたり、方向性をしっかりとさせてくれます。生き方に迷いが吹っ切れたことでしょう。
意識の次元を上げていくなかで彼は、初動で「ひとと比べる」ということがどうしても必要だったのです。

あとは大事なポイントとして、子供を比べる時は、親の側は必ず明確な基準を示すことが大事ですよね。
どんな軸でこどもを比べているのか。ということ・・。
その軸がコロコロ変わるようなら、それは子供にすれば、親の顔色を伺うことになりやすく、お姉ちゃんの方が私よりも愛されているとか可愛がられている、という解釈になってしまう要因になります。
また成長の段階によって比べる内容も変えていく必要があります。本人には如何しようも無い基準で比べるのは、むしろまずい結果になりますからね。w

勉強でも、カルタ取り大会でもなんでもいいのですが、そこに打ち込めば勝てる可能性がちゃんとあるものがいいですね。人間が一番頑張る意欲を失うのは、ルールや結果の取り扱いが不公平であることだそうです。
比べる時は、公正さを失わないでくださいね。w
 比べると伸びる子供達は、スポーツのように明確なルールと結果がわかりやすい、そんな基準値がある分野では、むしろ自分を伸ばすパワーに置き換わりますよ。

一方、比べることがダメなケースなのにやってしまいがちなのは、親のタイプと子供のタイプが違うのに、自分と同じように育てようとした場合かなぁと思いますね・・。
 自分が「比べることで伸びたタイプ」という親は、子供も同じように比べて伸ばそうとしますが、もし子供が競争環境に向かない子供であれば、それはトラウマになってしまいます。また子供の無駄なマウント取りが増えて、周囲から嫌われる元になります。

娘のお友達で、お母さんがどう見ても競争の星を持っておられて(おそらく宿命を消化させていません)、ご自身も競争を非常に意識しておられるかたがいます。要するに、子供を勝たせたい。勝ち組にしたい。
でも娘さんには、競争の星はありません。
 娘さんがやることすべてを他人との競争視点で見、見た目や娘の宿題ひとつテストの点数一つ、うるさく口出しをするので、娘さんの方は仕掛かり中の宿題を思わず放り投げてしまうほどでした。
 そしてその娘さんですが、日頃、親の職業、親類の職業をステイタスとしてまわりに吹聴して回るという・・。家系のステイタスを自慢に思っている親が取る態度から、子供の方は悪気もなくその価値観を受け継いでいるだけなのだろうと思います。が・・。
 問題は、これが宿命に競争の星を持っている子供ならば良いのですが、彼女は表にないんですよね・・。(いい子なんだけどなぁ・・。)
 競争の星があると、本人の意識の次元が上がるなかで、親の職業でマウントとることの無意味さと親の価値観の間違いを悟って、次第にバランスをとってやめられる可能性があります。
 でも、娘さんにはもともと競争の星がないので、結局はマウントとりの本質が理解できず、誰かに直接言われてなにかで傷つくまでは、おそらくこの先も適切なマウントのコントロールができません・・。付き合いづらい、嫌味な子供という印象になりつづけてしまう可能性が高いです。
こういう場合は、やっぱり比べて育てることがよくない方向へ働きます。

それに比べることって、男女関係とも切れませんね・・。
男性ホルモン・テストステロンは、別名競争ホルモンといいます。
一般的に男性は比べられて、負けることが一番嫌です。
(このさじ加減は本当に難しい。さじ加減ができる女性はモテる。)

 というわけで、車騎星・牽牛星を持たない女性や母親は、そのプライドの本質がイマイチ理解できにくいので、意識的に比べるという子育てテクニックはうまく使いづらいかもしれません。無理はしないでください。
その場合は、環境を選んだり、適切な指導者や父親にまかせたほうが良さそうですね。

比べて健全に伸びるタイプなのか、それとも比べずに自己受容に導く方が伸びるタイプなのか、だとしたらどんな分野のなかで自己受容できるのか。
算命学を利用する方は、プロファイリングでよく見てもらうといいですね。

子育ては単純にはいかないですが、方向性を定めるだけで、ずいぶんと子供は変わります。

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