前回の記事では感情の飢餓感、いつまでたっても満たされない心の正体を書いた。
物そのものが欲しいのではなく、本当は別のものが欲しいのだ。
それは、周りの目を気にして自分を抑えている事柄かもしれないし、物欲を満たせば幸せになれると勘違いしているのかもしれない。
本当に欲しいものを得るためには、自分の本当の感情に向き合う必要がある。
なんて偉そうなことを言っているが、私もそれをまだ乗り越えたわけではない。
20代の頃は洋服や装飾品を買い漁り、300着くらい服を持っていた。
今も部屋に800冊の本があるが、1割読めてたらいい方だと思う。
蔵書を読めていないのに本を買うのは、本を読むたびにその作者の他の本や影響を受けた本まで買ってしまうからだ。
古本で月に10万使ったこともある。
宅配便の段ボールや郵便ポストにも毎日本が届くのだ。
郵便ポストから取り出すのも一苦労なほどパンパンに書籍が届く。
オンラインストアの買い物かごに入れるときはワクワクし、受取るときもワクワクするのに開封せず1か月放置とかもザラだ。
なのにまた買ってしまう。
もちろん本は腐るもんでもないし、私が買うのは主に自己啓発系や心理学系なので流行りすたりはないが、ふと我に返ると本を購入しているのは心の欠乏によるものだと気づいた。
20代の頃は確実に買い物依存だった。
あの時は洋服代に月30万使っていた。
10代の時に服を全然持っていなかった惨めさをカバーしていたのと、大金を使うことで店員の接客態度が丁寧になり自分が偉くなったと思いたかったのだ。
自分の好みでない服を、男受けがいいからって理由で買ったりもしていた。
いざ着てみるとコスプレしてんなって思ったし、コスプレ服は1回着ればいい方で、ほとんどは使わないまま古着屋に出すことになった。
古着屋に服を大量に売ったが中学生のお小遣い程度にしかならなかった。
自分の価値観が崩れた瞬間だった。
あんなに雑誌でいいよって言われている服が、1着5000円の服が、新品でないとこんな値段で買いたたかれるのか。
洋服の価格というのは消費者が決めるのではなく生産者が決めている。
そう気づいた瞬間に他人の目を気にして着飾ることがバカらしくなった。
その後何度か断捨離を経て、今持ってる服は20着くらいになり洋服に関しては無駄買いをしなくなった。
次回は、現在の私の買い物依存の本について、そしてその依存との向き合い方について書いていく。