「ドイツ人」

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コラム
最近読んだ本で痛快だったのは「ドイツ人」という一冊の本です。
これはウォルター・ラカーという人が書いた「Germany Today」という本の日本語訳です。

作者のラカーさんは、ドイツ系ユダヤ人だそうで、現在のポーランド領に生まれ、その後イギリスに拠点を移したようです。

副題は「戦後40年で国民性は変わったか」
新しい本ではありません。まだ東西にドイツが分かれていた時に出版されていましたので、今となれば、相当昔の話。
「今のドイツ」を知りたいのならば、ちょっと時代遅れな本となります。
この本の中では、東西ドイツが統一される見込みはないと作者は考えています。ソ連が崩壊するなんて想定すらできなかった時代でしょうから、その見込みも当然と言えば当然かもしれません。

時代遅れな感じはあるものの、本質的なことはそうそう変わらないものです。いまだにこの本が指摘しているものの中に大事な部分が大いに含まれていると感じます。
ドイツ国内と国外、両方の目線からドイツという存在を歴史や政治、そしてそこに暮らす人間を観察し、分析している。
その中から今ドイツはどうなっているのか、どうなっていくのか・・・ということについて考察、分析しておられるのです。

正直、日本人としては理解がなかなか進まないのですけど・・・ちょっと読みにくい本ではあります。特に政治的なことに関しては、私たち日本人には、ドイツ内部の政治状況についてなかなか知る機会がありません。
国民性という普遍のテーマに関しては、参考になることがたくさん書かれております。

「ドイツ人は極端から極端に傾く性質がある」
この指摘は、私が感じていたものと一致しますし、多分多くのドイツ経験者も同意するのではないでしょうか。
戦後史を見ても、熱狂的なナチスの時代からコロッと、はたから見ると極端ともいえるスピードで変わり身してますよね。
今や、国際的最先端、もはや実験レベルで新しい取り組みをしているといってもいいかもです。

よく日本の左よりなオジサマ・オバサマ方は「ドイツは歴史からちゃんと学んでいる」とドイツをお手本のように言いますが、ドイツの場合は歴史から学んでいるという表現は個人的には賛成できないです。
ナチスに関しては、もはや目を背けていると言った方がいいのではないかと。
正視に堪えないレベルで非人道的なことが行われていたわけで、その子孫としてはなかなか受け入れられないことも多いかもしれません。

日本の場合は、その点うまく棲み分けしてますよね。
当時の日本がやったことは悪い。ナチス同様、あの当時は非人道的なことも、おぞましい実験だってやってます。
それでも日本の場合は、兵隊さんたちは祖国のために体を張っていたのだから英霊として祀ろうみたいな・・・落としどころがある。

そこが救いになっている部分も大いにあるのではないかなと感じますね。
ドイツの場合はそれを表立ってできない雰囲気がありますし、これについてドイツ人と話すのは、よっぽど信頼関係が出来上がった後でないと無理かもです。
ドイツ人本人が、「落としどころ」を持たないので、日本とは状況が違います。落としどころ・・・つまり、宗教だったり文化だったり、伝統だったり、国民が共有できる拠り所のことです。

それがないドイツでは、戦後はどうしても未来志向にならざるを得ないのです。過去には戻れないし、過去から拠り所を発掘しようとしたらすべてナチスに行きついてしまう。
未来志向・ユートピア志向に行くしかほかに道がないのです。

急進的に見える現代ドイツのやり方も、そうなると納得できます。
そう理解すると、日本のような国がドイツをお手本にする必要はないとわかる。ドイツを模範の国として考える必要なんてないんです。
ドイツは、実験的にいろいろ新しいことを進めていくしかない。日本は、ある意味、そこまで落ちる必要はないわけですよね。
ドイツに色々と実験させて、結果が出るのをゆっくり眺めて待っていればいいんじゃないですかね、日本の場合は。
失敗して落ちるのはドイツだけに任せておけばいいのです。
というようなことを考えさせられる本でしたね。

もともと「ドイツでは!」「だから日本は・・・」みたいな主張する新聞とかなんかの記事とかに違和感を感じていたので、気持ち的にすっきりしました。

ちょっとおもしろかったのは「ドイツ人とは議論するべきではない」と書かれいてるところ。
ドイツ人だけの性質ではないでしょうけど、議論している間に極端な例を持ち出して、議論を引っ掻き回す人いるじゃないですか。
ドイツ人ってあんな感じ・・・

話しているうちに、「あれれ?」と違和感を覚えるんです。
だんだんとテーマからそれている。
本来のテーマから遠く離れていっているのではないか?これは本質的なことのようでいて、本質から遠ざかっているのではないか・・・・?
いやいや、相手はドイツ人、論理に傾き、理詰めでくると言われている人たちだ、深く物事を考えてのことだろう。これこそが本質であり、本質からずれていると感じる自分の方がずれているのではないだろうか・・・
ただでさえ、こっちは外国語としてのドイツ語を使っている。それだけで不利。
さらに、相手が極端な事例を出して反論してくるので、右に左に思考がずれていき、まともな議論にはならない。
結局、言いくるめられたのかどうかすら、自分にはわからない。
ただただ「もやぁ」とした感覚だけが残るだけ。
ドイツ人と議論なぞして、多くの人が同じような感覚に陥るのではないでしょうか。

「ドイツ人とは議論するな」
ドイツ人ウォッチャーのラカーさんがそう言うのですから、よっぽどなのでしょうね。
いや、「ドイツ人」はドイツに対してもやっとした感情を持っている人におすすめしたい本です。古臭い部分があるのは否めないんですけどね。

久しぶりに長々と失礼しました。
ドイツ人の悪口ならいくらでも言いたりない(笑)

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