第九「歓喜の歌」その六~自分の道を行く~

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コラム
「歓喜の歌」、今回で最後までまとめてみて行きましょう。
後はそんなにしんどい部分はないと思います。全部まとめて、おしまいまでやってしまいましょう。

Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt'gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.

↓ウィキペディアの訳
天の壮麗な配置の中を
星々が駆け巡るように楽しげに
兄弟よ、自らの道を進め
英雄が勝利を目指すように喜ばしく

尾崎さん訳
あゝ、造物主、日の神の
    遙けき御空を天駈けるごと、
    行け、汝が道を、勝利の道を、
    勇みて、兵の行くがごとく、
    行け、我が友よ、いざ行け、友。

bo訳
天の見事な采配に従い、神の星たち(被造物)が、(生き生きと快活に)巡って行くことか。
兄弟よ、お前たちの道を行くのだ。
勝利へと向かう英雄のように堂々と!

前回の「バラの道」、シュプールではなく、Bahn、つまりちゃんとした軌道のことです。鉄道とか、高速=アウトバーンとかの道です。
本能や自分の性質に導かれ、その道をたどると「あなたの道」ができる。
先に誰もいなくとも、迷っているみたいに不安になっても、その道でいいのです。ぐっと胸を張って、堂々と先へ進みましょう。

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

ウィキペディアの訳
抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
聖なる父が住みたもうはず

尾崎さん訳
捧げよ、諸人、人の誠を
    父こそ、ゐませ、星空の上に。
    仰げよ、同胞、けだかき父を。
    ひとりの父を、星空の上に。

bo訳
しっかりと、その軌道にしがみついておれ。
世界の(祝福の)キスを受けよ。
兄弟、この星のテントの向こうに、親愛なる父がおられる。

umschlungenは、umschlingenという動詞の過去完了形です。
ドイツ語は、動詞を完了形にすると、形容詞のように使えるのですね。
この場合は、umschlingenしている状態のままキープしている、と、私は解釈したいのです。

umschlingenは確かに抱き合うという意味もあります。
ですが、しっかりと絡みつく、しがみつく、という意味もあります。
例文では、子供が母親にしがみつく、カップルがしっかり抱き合う、ツタが絡みつくなどと説明されています。

今までの文脈から行くと、兄弟たち、お互いをしっかり感じて、抱き合って、人類みな兄弟、人間愛だ!というよりは、人一人の生き方、その人生に関わることと考えた方が、私にとってはしっくり来るのです。

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

ウィキペディアの訳
ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界中の者どもよ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう

bo訳
(最後の審判で)頭を垂れているか?
(覚悟はできているか?みたいな雰囲気かなと。
ここは、文字どおりに訳せば「ひざまずいているか」となるんですけど、神を崇めるというよりは、畏れの方が大きい雰囲気に感じますねぇ)
Millionenは、星々、人々、神の被造物、自分の軌道を行くものすべてを指すと考えるとしっくりきます。

世界よ、お前は、創造主を感じているか?

または、創造主に気づいているか?
この世界が何を意味するかピンとこないんですね。
それぞれ道をそれぞれに進むMillionenが奏でる全体的な世界、総合的なものなのか。
世界=神なのかと思っていたので、つじつまが合わなくなりますね。
天の采配通りに、星々が自分の軌道を行き、きらめいたり、流れたり、瞬いたり・・・。
それを見るなら、星のテントの向こう側では都合が悪くないですかね?

星のテントの向こうにいる神を探せ。
星の向こうに神はいるはずだ。

ね、最後で神がどこにいるのか、位置関係が分からなくなってくるのです。
解釈、間違ってるんだと思います。
何か理解するための重要なカギが手に入ってないみたい(笑)

神は、星のテントの向こう側にいる。
天は、星々の軌道を決めている。
創造主、そして世界とは、具体的に何を指しているのでしょうね。

色々まだ謎は残ってしまいますねえ。

とりあえず、ここまでが、今の段階での私の第九「歓喜の歌」です。
みなさんはどのようにお感じになられたでしょうか。
色々な切り口で、色んな解釈、味わい方があると思います。

人から理解されなくても、自分が無意味な存在だと思わされていたとしても、過去に大きな過ちを犯してしまったとしても、誰かを傷つけてしまったことがあったとしても・・・
最後の審判で正々堂々と「自分の道をたどってここまでやってきました」と報告できたら・・・
それはそれで、よい人生だと言えるのではないでしょうか。

ただ一つの条件をクリアしさえすれば。
つまり、自分の魂をしっかり持ち、自分の道をしっかり行く。
誰かのせいにしたり、誰かの後ろに隠れていないで、堂々と自分だけ道を歩いていくこと・・・

他人が歩く道を羨んだり、あざわらったり、そんなことしてる余裕ないはずです。
この世に生きているものみんな、明日も自分だけは安泰だと言えるものなんて存在しません。

私はキリスト教徒ではないですし、時々写経はするけど、仏教についてもあんまり詳しく分からないけど・・・。
そんなフツーに生きている日本人的感覚で、第九「歓喜の歌」を訳してみました。
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