ご家族の「回復プロセス」

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ご覧いただき、ありがとうございます。
精神保健福祉士『一教』と申します。

「ご家族が回復プロセスを辿ることが、本人にとっても回復のモデルになる」とお伝えさせていただきました。

では、ご家族が回復プロセスを辿るというのは、どういったことなのか?
本人にとっての回復のモデルになるとは、どういうことなのか?

手段や方法はたくさんありますが、私はその全てを網羅していませんので、今まで携わったプログラムや見聞きしてきたことを私なりの解釈を交えながらお伝えしたいと思います。

■自分に目を向ける
「ご家族が回復プロセスを辿る」ことの最終目標は、ご家族自身がご自分の生活を取り戻すことです。
「本人が」ではなく、「ご家族自身が」
本人の症状が一番強く出ているとき、精神科に電話するという決断をします。この決断に至るまで本人はもちろん、ご家族もたくさんの修羅場(?)をくぐり抜けてきています。
平穏な日常など想像もできなかったでしょう。
人は誰しも、自分の人生を歩んでいるはずです。ですが、この状況下では、ご家族の人生の主体は医療が必要な本人になっています。
ご自分の人生を歩んでいない。
「自分の人生は本人のためにある」とお考えの方もいらっしゃるでしょう。そのようなお考えの是非は問いません。ご家族それそが、生活の実情から得たお考えなのですから。

ただ一つ、ここでは医療が必要な本人ではなく、ご家族がご自分に目を向けていただきたいのです。
「もう嫌だ!」
「やってられない!」
「何なの!?」
「不安だ…」
「イライラする!」 など、もしかしたらネガティブな感情が渦巻いているかも知れません。
抱いている感情がネガティブだから良くない、ポジティブだから良い、というものではありません。
ネガティブな感情を抱いていることを含めて、ご自分に目を向けてみてください

■ピア(peer 仲間)の力
ご家族が辿るの回復プロセスの例として、以前携わったプログラムをご紹介いたします。
それは、精神疾患を抱えた方のご家族によるミーティングです。
医師や精神保健福祉士がスタッフとして参加しますが、基本的にはご家族同士に体験談を語り合っていただく場です。
月に1度、12回を1クールとします。入院/外来の別は問いません。
ミーティングには、初回参加の方、10回、11回と回数を重ねた方、様々いらっしゃいます。もちろん、話したくない時は、聞くのみでもOK。
自己紹介をし、後はフリートークです。
参加回数を重ねた方が話します。
「前はひどかったけど、最近ハローワークに通い出して~」
「ようやく朝起こさなくても起きてくるようになって、デイケアの休みも減った」
初回参加の方からすると、別世界の、他人事のような話に聞こえるかもしれません。「他の人は、症状が軽かっただけ。ウチみたいに散々なことはなかったはず。」と。
そして「ウチもそうだった」という他のご家族の体験談を受け入れられないかも知れません
それでいいんです

初回から、他の方の意見を取り入れて実践してみましょう、というのは、そもそも無理な話。
そんなに柔軟でフットワークが軽いなら、支援プログラム自体が不要です。
まずはご自分の感情に目を向けること。
できればその思いを言葉にして発すること。
言葉にするだけでも数回の参加を要する方もいらっしゃるくらい、大変な取り組みです。

何回か参加すると、他のご家族が「何となく自分の体験と似たことを話している」という感じがするようです。そして、自分と似た体験をどのように乗り越えたかに関心を示し、次は自分が真似してみようと思う。
他のご家族の取り組みが、ご自分の回復プロセスのモデル(お手本)となった瞬間であり、ピアの力が発揮された場面と言えます。

■見守る
他のご家族の体験談を聞き、何となく「似たような思いをしている人もいるんだな~…」くらいに思われても、自分自身がどうご本人様と関わっていいか分からない。
本人のためにいろいろやってあげたいけど、要求はどんどんエスカレートするし、ご家族自身が疲れてしまう。本人とどれ程の距離感で接すればいいか分からない。

本人と接する際、「見守る」というスタンスが程よい距離感を保てるようです。
「見守る」は、手も口も出さず、ただ見ているということではありません。
理想は、本人ができない部分を、自らSOSを出してもらい、それに対し手を差し伸べる、ということ。しかし、難しい。

見守り方は、各ご家庭それぞれに合ったやり方を工夫されていました。
「初めは口を出すけど、手は出さないようにした」
「とりあえず時間のルールだけ決めた」
「”~ねばならない”を止めてみた」   など。
共通しているのは、ご家族が楽になれるようにしていることです。
そして、本人に変化を求めていないということ。

ご家族が「見守る」というスタンスを取ったことで、本人は「距離を置かれた」「見捨てられた」と捉えることもあるでしょう。でも、そうでないことはご家族自身がよくご存じのはずです。

ご家族が見守るというスタンスをとる、あるいは回復プロセスを辿ろうとすると、本人は攻撃的になったり、過度に依存的になったりすることがあります。
ご家族の変化に対する、本人なりの反応、とも見えます。
ぶつけてきた感情や要求が、今までのように通らなくなるのですから、当然と言えば当然の反応です。
本人がどのような態度をとられたとしてもご家族がやることは明らかです。
「自分に目を向けること」「見守ること」

■回復プロセス
ご家族が自分自身に目を向け、自分の人生を歩むようになると、本人も自分自身に目が向くようになります。
なぜなら、ご家族が他の家族を自らのモデル(お手本)としたように、人生を歩むという点において、本人がご家族をモデルとして見るようになるから。

もちろん、ご家族がいくら距離感を保とう、自分を大切に、と思っても、順調に事が運ぶとは限りません。いい時もあれば、状態が悪い時もある(むしろ悪い時の方が多いかも知れません…)。一進一退を繰り返しながら、少しずつ進めていきます。
私の合気道の先生が「変化がないのは、修正も何もしようがない。悪化したとしても、変化がある方がまだ良い。修正のしようがあるから。」と仰いました。変化があるということに気が付くことができる、ということも、回復プロセスを辿る上では大切なことです。

ミーティンググループで他のご家族の取組みを聞きながら、少しずつ、ご自分の取組みを話してみましょう。
上手に話す必要はありません。ただありのままに、やっていること、駄目だったことを話す。
「言語化する」ということが重要です。

回数を重ねていくと、ある時気付きます。
新しく参加された方が、「他の人は、症状が軽かっただけ。ウチみたいに散々なことはなかったはず。」という表情で周りを見渡しているのを。
その姿は、ミーティング参加時のご自身と重なるところがあるかも知れません。
そして、ご自身の体験を聞いて、他のご家族が「何となく自分の体験と似たことを話している」と感じられることでしょう。
他のご家族をお手本にして試行錯誤したことが、また別のご家族のお手本になる。この体験と、試行錯誤した経験が自信を与え、更なる回復につながっていきます。

「家族」というのは、時にとても難しい立ち位置かと思います。
親子兄弟としての面だけでなく、患者様の家族、保護者であることの他、いち地域生活者として、など、様々な役割を求められます。
その全てを完璧にこなすのは、さすがに大変です。
本人とは「見守る」程度の距離感で、ご家族自身が楽に生きれる道を模索してはいかがでしょうか。
きっとそれが、本人、ご家族ともに回復プロセスを辿ることになると思います。

お読みいただき、ありがとうございました。
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