そうだ、自立してみよう。(依存の心理学)①

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こんにちは。
心理カウンセラーのSayaです(^^)

今日は、依存と自立の関係について書きたいと思います。

ここでいう依存とは、他者への依存のことで、
それは、他者なしでは自分という存在が成り立たない、
幸・不幸が他者任せになっている状態をさします。

こう書くと依存がとても悪いもののように思えるかもしれませんが
そもそも社会の中で暮らしている限り、他者に全く依存していない人などいません。

依存は悪者ではない

1人で生活している方も、他者が生産したものを食べ、他者が維持しているインフラによって暮らしています。(他者なしでは生活が成り立たない)
家族と生活している方は、家族が傷つけられると不幸な気持ちになったり、家族が笑顔でいると幸せな気持ちになったりします。(幸・不幸の一部が他者に依存している)

そして、「自分はここに存在して良いのだ」という自己価値の概念は、
自分1人で完全に形成していくのは実は不可能な産物です。それは、その人が住む時代の社会通念や、周囲の人の価値観や評価によって絶えず揺れ動いている繊細なものなのです。(他者あってこその自己価値)

依存は形を変えていくだけ。

心理学の中でも発達心理学という分野があり
それは「人は死ぬまで変化・成長していく」という考え方に基づいています。孔子も「四十にして惑わず」などと言いましたよね。

これを「依存」に焦点をあてて簡単に説明すると
幼少期の「人の世話なしには生きていけない状態」から思春期に入ると、多くの子供は周囲の大人に嫌悪感を示します。

このいわゆる反抗期は「自分は自分なのだ!」という不器用な自己主張という形で現れる自立の第一歩で、幼少期の一方的な依存状態から抜け出す成長過程なんです。

この過程の中で10代・20代を試行錯誤しながら、他者との相乗効果的な「相互依存」の時期に入っていきます。

*この相互依存についてはここでは書ききれないのでまたの機会に書きたいと思います。

私はこの「形を変えていく依存」の波に乗れず、そのままそこにどっぷり浸かっている状態が「依存で悩んでいる」ということだと思っています。

ここでは、幼少期の「人の世話なしには生きていけない状態」からうまく脱出できないでいるタイプの依存について書いていきます。
いや、いい大人がそんなことある?と思われるかもしれませんが
それがあるんです。。

私のカウンセリングサロンのクライアントさんは女性がほとんどで、依存に悩んでいる人のほぼ全員が恋愛(異性)への依存です。

生物学的に、若い女性が異性に依存するのは自然なことなので、「彼がどこで何をしているのか気になって仕方ない」とか「彼からの連絡に一喜一憂」するのは普通です。

それが問題になるのは、何年も続いて本人が辛かったり、依存されている人の負担が大きすぎる場合です。(度合いと頻度によるということ)

本人にとってこの最中にいるときは、依存から抜け出すのはあまり簡単ではないように思えるでしょう。
だけれど、もしも「自分が依存している」ことが自分自身で認知できていて、「この状態では嫌だ」と思っているなら、あと1歩です。

長くなりましたので本日はここまでとさせてください。
ではまた次回にて(^^)
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