気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その87~

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本日もこのブログを開いてくださった皆様、どうもありがとうございます。
ここのところ、何か同じことばっかり書いてると思われてるんじゃないかと気になっております。
確かに年を取ると同じことばっかり何回も言うようになるもんですが、今のこのブログの状態は、そういうのとはまたちょっと違ってまして、確かにインプロヴィゼーションだ即興だと連呼していた回の内容と昨日の内容などは、重複する部分も多々あるように見受けられるかも知れませんが、実は微妙に違ってはおります。自分の中ではしっかりと " 別の事 " として分類してますので、どうかご理解願えればと思います。
僕は二十歳代後半辺りから、呼吸に関して何名かの大恩人から指導を受け出しました。
その中の、最も根本原理を説いてくれた始祖のような立場の先生が若くして急逝されたのを機に、「ここからはもう誰かに頼らずに独りで謎解きの旅に出てみよう」と心に決めました。
僕の中で、その先生の " 代わり " は何処にも見当たらなかったのです。
そう、その先生は、決して決まった答など押し付けませんでした。
ただいつも静かに、時には力強く、自分の呼吸と親しくなることを、言葉よりも感覚で導いてくれたのです。
ある時などは、教え子達のあらゆる内容の質問への答えが全て「自分の呼吸を見付けることです」だったこともあります。
誰に何をどう質問されても全く同じ答え、「自分の呼吸を見付けることです」。
ご自身はご自身の呼吸で居てくれるから、僕や他の皆も自分自身の呼吸でそこに居られる、それが全ての解決に繋がる。
こんな極端で徹底した質疑応答は流石にこの時一回だけでしたが、基本的な姿勢はいつもこのように芯の通った、それでいて優しく柔軟な方でした。
なので、僕が普段ワークショップで言うことやこのブログに書くことは、基本何かの受け売りや横流し、写しでは無いので、時に揺れます、重複に見えるようなことも度々起きると思います。
体の感覚を通して浮かび上がったもの、通常の思考状態であれば素通りしてしまったり、気のせいで済ませてしまうようなこと、一般常識からするとでたらめや落書き程度にしか認識出来ないようなことを掬い取っては、「理由はよく分からないけれども何だか人間が生きる上で物凄く大切なような気がする」ことが閃いて、心にずっとアイデアのように留まるものも出て来ます。
それでそんな時、先ずどうなるかと言いますと、ご多分に漏れず何だかんだでこれまで義務教育やその延長線上にあった教育システムというものにどっぷりと浸かってしまっていた身としては、そのような一見すると常識外れ、聞いたことも無いようなことの提案・お披露目を躊躇します。
「うわー、俺、もしかしたら凄い発見をしたかも!」とはならないということです。
そう、下手をすると嘘つき呼ばわりされてしまうんじゃないかと心配になる位、「何でそうなるの?何でそうと言えるの?エビデンスは?」と論理で詰め寄られたら到底答えられない、でも、感覚としては、人間が生きる上で絶対に大切な何かである、という根拠無き確信を得ている、そんな宙ぶらりんの状態でどうしようもない感覚に度々見舞われるようになります。
しかし、これまで刷り込まれ続けて来た " 常識 " 様の猛攻に惑わされること無く、「理由は分からないけどきっと生きる上で大事」と感じた何かを大切に守り育み続けていると、ある時突然ギフトが舞い込みます。
最近よく言われる「引き寄せの法則」というものに、この事例も当て嵌まるのかどうか分かりませんが。
僕の場合はある時、ある一人のクライアントの方からご自身の恩師の遺品分けとして一冊の本を頂いたのですが、その本に、僕が感じていることと同じ考えや、それを裏付けてくれるような説が申し合わせたかのように列挙されている、そんな体験がやって来ました。
僕は特に、新しい何かを発明して名を上げようとは思ってはいませんから、自分の中で閃いたものが、もう既に先の時代を生きた方々の中にもとっくにあったとしても全く気にはなりません、寧ろ嬉しい。
それよりも、実際には何の交流も無いところで、確かに自分自身の感覚の深い処で芽生えた何かが、違う時代の全然違う環境に生きた人の感覚と見事に符合する、そんな普遍性に触れた瞬間は嘘偽りの無いオリジナルであって、そちらのプロセスを大切にしたいといつも思っているのです。
このエピソードを一回経験してからは、「何か閃く」→「それを裏付けるような文献や、尊敬する方の似たような発言に出会う」というパターンを度々繰り返すようになり、今ではもう、感覚の深い処に発生する何かを、個人的な思いや考えとは区別して、生きる為に必要なエネルギー、メッセージとしてワーク中に皆さんにも生で伝えられるようになりました。
そのように、ある意味 " ゾーン " に入ったような時の発言を明確には思い出せなかったり、時には全く覚えていないこともある位、もう自分個人として何かを発していないことも時にはあるようです。
世の中の職業で喉や声にトラブルを起こす上位に常に君臨するのが教師・学校の先生です。
そうなんです、学校の先生にこそ、自分の呼吸をよく知って、そこから生きる方向性に目覚めてもらいたいのですけれど、これまでのところ、このマッチングがどうも上手く行かないようで、困ってしまいます。
思考の及ばない世界、そこから浮上して来るような感覚、普遍性、確かに、そんなもの学校で習ったことも片鱗すら感じたこともありませんでしたね。
今日も最後までお読みくださり誠にありがとうございました。
明日もまた、どうぞ宜しくお願い致します。

つづく


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