その常識、本当に必要?
あなたは
「多くのひとが共通で支持している考えが常識になる。だから常識は正しい。従うのは当たり前。」
と思ったりしていませんか?
あなたが何の疑いもなく従っている常識。
その常識が本当に正しく、常識に従って生きていれば、本当に人生が上手くいくのでしょうか?
世の中の常識に疑問をもたず、盲目的に常識に従った結果、自分らしく生きることができず、ストレスを抱え込み、苦しんでいるひとが多いのが現実ではないでしょうか。
常識の正体は?
常識とは多くの人の共通の思い込み【共同幻想】です。
常識とは多くのひとの思い込みの集合体。共通の思い込みなので必ずしも他人と一致するわけではないし、「常識≒正しい」わけでもありません。
多くのひとが常識に対し何の疑いも持たずに従い、その結果、神経をすり減らし、ウツになるまで我慢してしまっています。
【ステレオタイプ】
思い込みのひとつに【ステレオタイプ】があります。
ステレオタイプとは、多くのひとが共通でもっている、ある集団に対する固定観念です。
国籍や人種でのステレオタイプでは、
「米国人は個人主義で自己主張が強い」
「日本人は集団主義で自己主張が無い」など。
日本の性的なステレオタイプでは、「男性は強くあるべき、女性はおしとやかであるべき」など。
その他にも、容姿が良いと「性格も良さそう」と感じ容姿と性格を関連付けたり、「B型はマイペース」など性格を少ない種類の型に無理やり当てはめたり。(血液型にはエビデンス(科学的根拠)がありません)
このような固定観念により物事を単純化することになります。そして思考を単純化することになり、その結果、偏見・差別につながります。
わたしも普段、油断しているとステレオタイプに陥ることがあります。
町中で他人に迷惑をかけているひとを見ると『人として最低だな』と「迷惑かけるひと=人格破綻」のように、そのひとの全人格を否定するような極端な思考をしてしまうことがあります。
しかし、その人にもなにか事情があったかもしれない。「うっかりしていた」だけかもしないし、「迷惑になると思わなかった」かもしれない。
また、なにかしらの障害のため「自分ではどうすることもできない」のかもしれない。
そのようなときは、『自分は今、ゼロか百思考になっているな。』『ひとを一つの枠に無理やり当てはめる極端な思考は良くないな』と反省したりします。
【皆】という言葉には批判的思考で対応する
常識を語るときに【皆】という言葉を多用するひとがいます。
「皆がやっている」
「皆が我慢している」
「皆が言っている」 など。
この「皆」を多用するひとの多くはデータ、エビデンスに基づいて言っているわけではなく、先入観や直感に基づいているに過ぎません。(このような思考法を“ヒューリスティック“という。)
「皆」を多用するひとは、「世の中の多くの人が自分の意見と同じ考えだ」とあたかも自分の意見の背後には多くの支持する者がいるかのように語ります。
このタイプは、相手に自分の意見を通しその場をコントロールしたいだけの自己中心的な人に過ぎません。
しかもこのタイプのひとが言う「皆」は、自分の都合に合わせて生み出した架空の人達の可能性もあり、実在するかどうか怪しいかぎりです。
「皆」を多用するひとの話しは、批判的思考で聞く。
●「あなたの意見と反対の意見の「皆」も多くいるのでは?」
●「自分と似た価値観で集まった仲の良いグループに限定された「皆」なのでは?」
●「エビデンス(科学的根拠)はあるの?」 など
共同幻想には【批判的思考】で対応
繰り返しになるが常識は、人類共通の思い込み【共同幻想】です。
法律を遵守し、他者を言葉や態度で傷つけたりするようなことはしない。それ以外の常識に対しては一つ一つに「その常識。自分にとって本当に必要な常識なのか?」といった批判的思考をもって対応しましょう。
あなたの批判的思考に耐えうるものだけを取り入れ、あとはすべて完全無視でかまいません。
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