例えばお金持ちになったひと。
長年の夢を叶えてお店をオープンさせた人。
愛する人と結婚して仲の良い家庭を築いている人。
有名人。
いわゆる世間一般でおそらく言われるであろう「羨ましい」生活を送る人々を見ても、
私はこの人たちが、真に幸せな人だとはまだ思えない。
人生の途中経過を切り抜いても、
これから先、どんな思いもよらぬことが起こるかは、
分からないからだ。
幸福で、成功した人生とは、例えば自分が死ぬ瞬間、
良い人生だったなと幸せな記憶が次々と浮かんでは消えていくような人生のことを言うのだと私は考えている。
もちろん、その良い人生の中には、辛い思い出も、
挫折も、思い出したくないような苦しみの経験もあるはずだ。
私は30代前半で、まだ死にも、老いにもそれほど年齢的には近くはない。
なので、「最期の時」について、いささか理想形を語ってしまっているかもしれないが、
その理想を叶える形で死にたいと思うことは変わらない。
日ごろから自分の人生を肯定的にとらえられておらず、
嫌な記憶に支配されてしまっている人が、
死と対面しても、死ぬ間際に、良い思い出が次々と思い出せるような、
満ち足りた気持ちで最期を迎えることはできないだろう。
私は日常的な失敗や嫌な思い出がフラッシュバックして、
急にどうしようもない負の感情に支配される生き方が、
もう15年以上も続いている。
過去の嫌な思い出、自分の失敗、劣等感に縛られて生きている。
それでも最近は、過去よりは少し楽に生きることができて、
過去の大変だった生活の中でも、
確かに楽しさや、嬉しさがあったことを少しずつ思い出すことができる。
そのきっかけは、ほんとうにささいなことで、
ある小説の一節である。
小説はいわゆる同人小説なので、詳細な設定は省くが、
壮絶な人生を歩み心を一度壊し、
自分の死を偽装して、
戸籍も、家族も、恋人も、仕事も友人もその生活の一切を捨てた男が、
また前に進む希望を取り戻した時の言葉だ。
「最近よく、過去のことを思い出すんだ。
前は中々思い出せなかったんだが、楽しかった記憶を思い出す。
もちろん、君の知っての通り、辛いと思ったことが無いわけじゃないが、
それでも今は楽しかったことばかりを思い出すよ。」
(意訳)
小説の登場人物の、会話の中の何気ない一節。
私も、こうやって、辛いことも多かった過去の、
どうしようもない痛みを昇華して、
自然と、楽しかったことばかりを思い出せるようになれれば。
この一節が強く胸に響いてから、
少しずつ、辛いばかりだと思っていた過去の記憶の中で、
これが好きだった、
あれが楽しかったと、
辛いことばかりではなかった記憶が、思い出せるようになってきた。
人が希望を取り戻したり、前を向けたり、傷を癒したりといった大きな変化は、
思いもよらぬほんのちいさなきっかけで起こる。
私は、己の人生の成功者になりたい。
どんな最期を迎えようが、死ぬ間際の一瞬、幸福な人生であったと自然と心から思えるように、
人生の通過点を、少しずつ良くして生きていく。
「人生楽しかった」と穏やかに逝けるように、
悔いのない選択を人生の中でしていきたい。