【教養としての読書】日本最古の歌集「万葉集」②

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コラム
こんにちは。大企業産業医、かつ内科専門医のココナラドクターです。
さて万葉集の続きです!!今回は歌人を取り上げます。

柿本人麻呂

歌聖と呼ばれる柿本人麻呂は、「大君は神にしませば天雲の上に廬(いほり)せるかも」と天皇君主制が引かれたことを歌っている。
才能を発揮し、体験談の歌ではなく、フィクションの中で歌を作るという歌物語の始まりでもあった。

山部赤人

「田子の浦にうち出でてみれば 白妙の富士の高嶺に 雪は降りつつは」山部赤人(やまべのあかひと)の歌である。彼は宮廷歌人であり、行幸従駕(ぎょうこうじゅうが:天皇の外出に付き添う)の作が多く、景色を詠む叙景歌を得意とした。

山上憶良

その一方で下級宮人であった山上憶良(やまのうえのおくら)は、貧窮問答歌のように、庶民の気持ちに共鳴し、幼い子供や老人、貧しい家庭、弱き者など恵まれていない存在を歌の対象としている珍しい歌人であった。貧窮問答歌は、貧困に喘ぐ人々の存在を宮廷に知らせるための歌ではないかと言われている。

最後に

「山柿(さんし)の門に至らず」と山部赤人や柿本人麻呂に及ばないと、自身を評した大伴家持。
それでも「新しき年の 初めの初春の 今日降る雪の いやしけ吉事」春を読んだ自身の歌で万葉集を締めた。訳すると、「新しい年の初め、初春の今日降る雪のように、良い事もたくさん積もれ」となる。

巻頭歌

対して万葉集第1の巻頭歌は、雄略天皇の「籠(こ)もよみ籠持ち 堀串(ふくし)もよみ堀串もち この岡に菜摘ます子 家告(の)らせ 名告らさね」という求婚歌である。
訳:籠よ、きれいな籠を持ち、へらよ、きれいなへらを持ち、この丘で若菜を摘む娘さん。 あなたの家を教えてよ。名前を教えてよ。
春の歌で始まる万葉集を春の歌で終わらせる所に、大伴家持の粋なはからいを見ることができる。

東歌は防人(さきもり)の歌

また忘れてはならないのは、防人の歌である東歌(あずまうた)である。東歌の範囲は遠江から東伊豆、信濃、相模、陸奥など12箇所に及び、東国から防人として遠くに行かされた庶民の歌であり、家族の離別の苦しみや生活苦など真実を詠んでいる。まさに天皇から庶民と幅広い層でできた歌集である。


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