どこまで教えていいのかよくわからない人にわかりやすい宗教教育の3つの意味

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コラム
僕の「どこからが宗教教育になるの?」という疑問に、フォロワーさんのが紹介してくださった本『宗教をどう教えるか』(1999年,菅原伸郎さん著)を読了したのでメモ。
▼こんなことを知りたい人向け
・教育現場でやってはいけない宗教教育
・やった方がいい宗教教育
・宗教教育の3つの意味
▼どこからが禁止されている宗教教育なの?
この本は20年前の情報にはなりますが、どこから倫理的な指導でどこからが宗教的な指導になるのか、どうやらその線引きは曖昧な様子。
本には
憲法第20条第3項は<<国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない>>となっているが、この「宗教教育」とはどんな意味なのか。宗派教育だけを指しており、宗教一般についての知識や宗派を超えた宗教心は構わないのだ、という人もいる。
とありました。
教育基本法でも宗教に対して寛容な態度を示し尊重するようにいわれる一方、特定の宗教的活動をしてはいけないといわれます。
最近はいろんな国籍の方が増え、現場は多様な対応が必要になっているように感じます。なかなか判断が難しいですよね〜。
本の中に具体的に紹介されていた事例があります。
富山県内の学校で、日直の仕事に『合掌の号令をかける』というものがあり、それは仏教の礼拝形式だからダメじゃない?という議論です。なんでも給食が配給されたら「合掌!」といって目を閉じてから「いただきます」とするそうです。
はたしてこれは『仏教』を押し付けていることになるのか。それともただの地域的な慣習として受け入れられるのか。
地元の人たちからしたら昔からの慣習で違和感ないのかもしれませんが、愛知県そだちの僕からみると「変わっているな」と感じます。「変わっているな」と感じるのは自分の中にその習慣がないからという『自分の価値観』があるからなんでしょうね〜。
人の数だけ価値観があるからますます明確な線引きするのが難しくなっちゃうんでしょうね。
▼宗教教育の3つの意味
上で紹介した様に
宗派教育だけを指しており、宗教一般についての知識や宗派を超えた宗教心は構わないのだ
というスタンスの人もいるそうで、菅原さんは「宗教教育には3つの意味があるよ!」と紹介してくれてます。
その3つとは
①宗派教育
②宗教知識教育
③宗教的情操教育
です。
▼①宗派教育
私立学校で行われているもので公立学校では禁止されているもの。キリスト教とか、仏教とかの教えが背景にあるような教育。
▼②宗教的知識教育
世の中にはこういう教えがあるよ。こんな歴史があるよ。こんな文化があるよ。といった宗教に関する基礎知識の教育。
▼③宗教的情操教育
「自然ってすげー」とか「感謝って大事!」、「いのちは大切にしよう」みたいは世界への謙虚さみたいな教育。
こうしてみると、これらを一緒にして「宗教教育はダメ!」っていうのは確かにザツだなって感じちゃいます。
また菅原さんは宗教的な基礎知識が土台にあってこそ
・対宗教安全教育
・宗教的寛容教育
ができるようになっていくんじゃない?というように解説されています。
人は知らないことや理解できないことに不安や恐怖を感じるものなので、こうした教育の必要性を感じます。知識や情報があれば自分なりのスタンスが取れますからね。
▼まとめ
・宗教教育の線引きはあいまいらしい
・宗教教育には3つの意味がある
①宗派教育
②宗教知識教育
③宗教的情操教育
・宗教的な基礎知識の上に
④対宗教安全教育
⑤宗教的寛容教育
ができるようになる
紹介されていた事例の中で怖いなと思ったのは「これこそが唯一正しいことなのだ」という考えを押し付けて従わせること。それ以外を考えられなくするために情報を操作して考える機会を奪ってしまうこと。
なにより怖いのは、そうしていることに気がつかないこと。
・宿題はちゃんとやりなさい!
・静かにしてなきゃダメでしょ!
・宗教は怖いものだから近づいてはいけません!
社会的な規範を教えるために子どもをしつける必要があります。その際は教える側も「なんでそれが正しいのか」「どうしてそれが良いのか」も考えながら合わせて伝えられると良いですね。
と考えるとやはり個人レベルではクリティカルシンキングは大切なのかな。
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