人生に偶然はない

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コラム
「人生に偶然はない」

いつもありがとうございます。

昨日の夜、九州から帰ってきました。

新幹線で帰ったきたのですが、
満席になっていました。

ガラガラの車内の方が好きではありま
すが、「動いている」感じがして
良いなあということを感じました。

移動自粛、開店自粛、自粛、自粛で、
様々なものを止めようとしています。

止まるわけにはいきません。

宇宙の中に止まっているものが
あるでしょうか。

わたしの、頼りない知識で恐縮です
が、完全に静止しているものは、
ないはずです。

「時間」という概念がある限り、「止ま
る」ということはありません。

間違っていたら、適当に流して
ください。

(笑)。

「止めよう」とすることは、宇宙の真理
に反した行為のように思います。

そのようななかで、新幹線の満席は、
「動いている」実感を持てたので、
「良いなあ」と思ったのです。

さて、私は、「謙虚」と「自己卑下」に
ついて考えることがあります。

「謙虚」と「自己卑下」を明確に分けて、
説明することができないのです。

謙虚な方も、自己卑下をされる方も、
「いえいえ、わたしなんて」という
言葉を使います。

言葉は一緒ですが、想いは、まったく
違います。

相手の波動で感じ取れる部分ですが、
考え方として、どう違うのかが、
うまく説明できませんでした。

土日の研修で同部屋だった方が
います。

わたしよりも、4歳年下ですが、
とても立派な方でした。

同じような傾向性を持っているところ
があり、すぐに意気投合。

深夜まで語り明かしました。

来月からポーランドへ留学される
ということで、お互いに、より
成長した姿で再会しようと
約束をしました。

その方とのお話の中に、「謙虚」と
「自己卑下」について考えるヒント
がありました。

わたしが、どのように信仰を持ったの
かという話をしたときです。

わたしには、メンター(師匠と言って
も、先生と言っても良いですが)が
います。

宗教にはアレルギーに近いものがあり
ましたが、そのメンターのことは、
信じることができる。

そのメンターが学んでいる教えならば
学んでみようと思ったのがきっかけ。

学んでいるうちに、「本物」に触れ、
「もっと学びたい」と思い、いまが
ある。

というような話をしました。

そのときに、「そのメンターの方を
信じて信仰を持つってすごいですね」
というようなことを言われました。

「わたしが、すごいのではなくて、
わたしの師匠がすごいんです」という
返事をしました。

すると、「本当に謙虚ですよね」という
ことを、おっしゃっていただけまし
た。

その話以前にも、精進の話や反省の
話などをしていて、褒められるたび
に、「未熟なんで」とか「まだまだ
です」というような返事をして
いました。

そのため、「本当に謙虚ですよね」と
おっしゃっていただけたのだと
思います。

ただ、そのときに、「自分は謙虚な
気持ちで、それを言っているのだろう
か」と考えたわけです。

「謙虚ではないな。自己卑下に近い
気がするな」と思いました。

そのため、「わたしは、謙虚な気持ち
で言っているのではなく、自己卑下の
気持ちで言っているように思います」
とお伝えしました。

すると、「なんとなく気持ちが分かり
ます。

わたしの場合は、増長しやすい自分を
自覚しているので、増長しないように
自分を押し付けているところがありま
す。

褒められたら、増長する自分を、叩く
ために謙虚な返事をします」、

というようなことをおっしゃって
いました。

わたしも、その傾向があり、だからこ
そ謙虚な対応を意識してとって
います。

そのため、「まさにその通りです。

そうした理由で、謙虚な振る舞いを
しています」とお答えしました。

「自己卑下って自分を下げること
ですよね」と、呟かれました。

その呟きが、コラムを書こうとした、
「いま」、頭に浮かんできました。

そう。

「自己卑下」は、自分を下げて、相手を
あげるような行為です。

自分を下げるところに、なんとなく
気持ち悪さというか、不快感を
感じてしまいます。

では、「謙虚」とはなんでしょうか。

「謙虚」とは、自分よりも優れた人、
高みにいる存在を認め、その存在に
比べたら、まだまだ未熟であるという
ことを自覚することなのだと
思います。

上げるでも、下げるでもなく、ありの
ままの「いまの」自分を見つめていま
す。

そして、自分よりも、はるかに高みに
いる存在も認めています。

その存在に近づこうと努力している
からこそ、「謙虚さ」が出てくるのだと
思うのです。

「謙虚さ」には、清々しさを感じます。

自己卑下とは、自分のことも、他の人
のことも、「正しく」見ることができて
いないのです。

謙虚とは、自分のことも、他の人の
ことも、「正しく」見ることができて
いるのです。

正しく見た上で、未熟な自分を受け入
れているのです。

自信過剰も自己卑下も同じ性質です。

向かう方向が違うだけです。

どちらも、自分も周りも「正しく」
見ることができていないのです。

自己卑下の想いが出てきた時、
自信過剰の想いが出てきた時、
いったん冷静になってみて
ください。

「自分は正しく見ることができて
いるだろうか」と。

「正しく」見ることができたとき、
自己卑下の想いも、自信過剰の
想いも、消えていきます。

わたしも、これからは、もっと意識
して「正しく見る」ということを
していきます。

「一期一会」という言葉がありますが、
人と人との出会いは、本当に大切な
ものだと、改めて思いました。

「袖振り合うも多生の縁」という言葉の
通り、偶然はありません。

意味があって出会っていると考えた
ら、「人見知りだから」と言って、
話をしないのはもったいないですね。

「あなたが」、相手にとって意味のある
存在で出会っているかもしれません。

相手に何かを気付かせるために、
出会っている可能性だってある
わけです。

出会った相手のためにも、一瞬一瞬の
出会いを大切にしていきたいですね。

何か感じることがあれば、
幸いです。

最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。

本日の一転語

~「与える愛」から始めよう~

「まず、『与える愛』から始めていき
なさい。

日々の努力目標を、まず、与える愛に
置きなさい。

あなたは人々に対して、社会に対し
て、いったいいかなる愛を与えること
ができるのでしょうか。

愛とは恵みです。

それも、善き恵みであり、他人を生か
していこうとする力です。

縁あって人生の途上で出会った人々
に、生きていく勇気を与え、力を与
え、希望を与えること、それが愛で
す。」
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