本来の自分を取り戻そう

記事
コラム
いつもありがとうございます。

明日から雨が続くようです。

今日を逃すと洗濯ができなくなって
しまいますので、今日は、洗濯物を
干しました。

室内干しであれば、いつでもできる
わけですが、やはり、太陽の光で
干す方が良いですね。

本当に太陽はすごいなということを、
改めて感じます。

洗濯物をするたびに、太陽のすごさと
ありがたさを感じます。

4時間程度干しただけですが、
ある程度乾いています。

今日は、若干雲が出ているので、
雲一つない快晴の日であれば、
4時間程度で、完全に乾いて
しまうのではないかと思います。

驚きの乾燥力のわけですが、
太陽から一銭も要求されたことは
ありません。

(笑)。

「当たり前じゃないか」と思われるかも
しれませんが、実際は、とてもありが
たいことです。

ここに、ありがたみを感じられる心を
持ちたいなあと思います。

コインランドリーの乾燥機にかけたら
何百円かかかります。

自宅の乾燥機であっても、乾燥機本体
の費用や電気代がかかります。

外に出して干すのは、タダです。

お金がかからないだけでなく、
何も要求されません。

感謝すら要求されません。

私たちは、ただただ、恩恵を受ける
だけです。

何ももらわずとも、感謝をされずと
も、時には罵倒されようとも、
休むことなく光を供給して
くれているのが太陽です。

「太陽のような存在になりたい」と、
目指す人もいますが、その道のりは、
なかなか厳しいものです。

「周りを明るく照らす」だけでは
ありません。

何も与えられなくても、感謝をされ
なくても、罵倒をされても、
24時間365日、命ある限り、
淡々と与え続けるのが太陽です。

厳しい道のりではありますが、
目指したいですね。

目指さなければ、到達できませんが、
目指して歩を進めて行けば、いつかは
到達できます。

何億年後か、何十億年後か、もっと先
かもしれませんが。

(笑)。

さて、話は全然変わりますが、以前、
ある研修に参加した時の話です。

研修終了後に、希望者が集まって、
小集団をいくつか作り、講師陣に
質問する機会がありました。

わたしは、普段であれば、一人の時間
を作ります。

その時は「せっかく来たのなら、余す
ことなく参加しよう」と思い、参加し
てみました。

結果、「参加して良かった」と心から
思いました。

(笑)。

研修自体が大切ではありますが、
それ以外の過ごし方も、本当に
大切です。

研修終了後、一人の時間を作って、
研修の振り返りを行い、考えを練る
ことも大切です。

同じ研修を受けた人たちで集まって、
学びを共有することも大切です。

講師の方などと話す機会があるのな
ら、その話の中に入って、さらに
学びを深めていくことも大切です。

どれが正解ということはなく、全て
正解であり、全てやるべきことの
ように思います。

時間は限られているので、一日の
中で、全てをやろうとすれば、
全てが薄くなってしまいます。

もちろん、全てをやることもできます
が、私は、その辺が器用ではないの
です。

そうであるならば、その時、その時の
直感に従って、どれかを選択する
必要があります。

わたしは、その時、普段とは違う選択
をしようと考えていたので、小集団の
輪の中に入りました。

「いつも同じ思考パターン、行動パタ
ーンを選択しているな」と感じるとき
には、別の行動パターンを選択して
みると良いかもしれませんね。

新しい思考パターンや行動パターン
は、新しい結果を生み出しますよ。

話が逸れてしまいましたので、戻して
いきます。

その輪の中で、ある参加者の方が、
反省について質問されていました。

「反省というのは心を磨く行為。
磨いて汚れが落ちれば、心は輝く。

自分は、反省のあと、輝いた心の方
ではなく、汚れの方を見てしまう。

そして落ち込む。

(笑)。

汚れの方ではなく、心の方を見るには
どうすれば良いのか」。

こういうような質問を
されていました。

わたしは、前日に、似たようなテーマ
で、考え事をしていたので、
伝えたいことがありました。

出しゃばらずに、講師の方の話を
聞いていましたが。

話を聞き終わった後、「出しゃばら
なくて良かった」と、心の底から
感じました。

(笑)。

わたしが何を思ったかと言えば、
「自己卑下も自信過剰も同じ」
ということです。

自己卑下も自信過剰も、自分を正しく
見れていないのです。

正しく見るというのは、難しいこと
です。

正しく見るためには、多角的に見る
必要があります。

例えば、同じ年代の人と比べてどう
か、同じ境遇の人と比べてどうか、
客観的な成果としてどうか、
第三者の目線に立ってみてどうか。

このような見方です。

反省をして、拭き取った汚れの方を
見て落ち込むというのも、正しく
見れていないからこそ、起きてくる
のではないかなと思うのです。

反省とは、本来の自己を発見すること
です。

本来の自己とは何かと言えば、完全無
欠の仏から創られた、仏と同じ性質を
宿す存在です。

仏と同じ性質のことを「仏性」と
呼びます。

私たちは、誰もが、仏性を宿して
います。

反省とは、生きている中で心に付く、
汚れを取り去り、仏性を取り戻す
行為なのです。


汚れとは、憎しみや嫉妬、消極性など
マイナスな想いです。

正しく見るとは、自分が仏の子なんだ
と信じること、

そうであるならば、この汚れが本来の
自分ではなく、仏性を宿し輝いている
心こそが、本来の自分なんだと
気がつくことです。

反省をして、落ち込んだり、自分を
責めたりしている内は、正しい反省が
できていないと見ることができます。

せっかく反省をするのなら、光り輝く
本来の自分を発見したいですね。

何か参考になる点があれば幸いです。

最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。

本日の一転語

~反省は自己処罰ではない~

「現在の自分以上の理想的な自分の姿
を、まったく心に描けないような人
というのは、反省が反省ではなくて
自己処罰になってくるのです。」

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す