教育の役割

記事
コラム
いつもありがとうございます。

明日は、久しぶりに、チェアヨガインストラク
ター養成講座を開催いたします。

電話でお問い合わせがあったため、「いまは
オンラインで開催しています」とお伝えする
と、「オンラインはちょっと」という
反応でした。

わたし自身が、「オンラインはちょっと」という
気持ちがあるので、お気持ちが良く分かりま
す。

オンラインは便利です。

これから、もっと、もっと、力を入れていかなければならない領域かなと思います。

今のような、人と会うこと、人を集めることを
禁じるような状況の中では、特に需要がある
ように思います。

できないことは、弱さになるので、できない
よりはできた方が良いわけですが、
本質は見失わないようにしたいなと
思います。

人と人が会わないコミュニケーションは
成立しません。

オンラインでもできますが、あくまでも、
補助的な役割に過ぎません。

オンライン家族とか、オンライン友達とか、
オンライン恋人が成立しないように、
オンラインだけの関係は成立しないのです。

その本質を理解した上で、オンラインも
活用していくことが大切ですね。

さて、先日、事務所で心理講師の集いが
行われました。

オンラインサロンなのですが、ほとんどが、
オフラインになっているように思います。

(笑)。

オフラインの方が、はるかに価値があるため、
大変ありがたいかぎりです。

さて、先日の集まりには、長崎の受験対策の
先生が参加されていました。

その日の昼間に、マスター受験指導士養成講座
があり、帰りのバスの時間まで、サロンに
参加されていました。

バスの時間があるので、先に抜けられました。

サロン終了後、電話がかかってきました。

「バッグをバス停に忘れたかもしれない」
ということでした。

バス停まで行くと、バス停とは、全然違う
ベンチにバッグが置いてありました。

わたしは、「なんでこんなところに置いたの
だろう」と思い、からかうような気持ちで、
「とんでもないところに置いてありましたよ」
と伝えました。

すると、「中身が盗られているかもしれない」
という返事が返ってきました。

「盗られる」ということが、全く頭になかった
ため、「そんなことあるのか」と思い確認する
と、本当にお金がなくなっていました。

不幸中の幸いと言っていいでしょう。

カード類は盗られていませんでした。

実際に起きてみれば、「そういうこともあるか
なあ」という感じですが、自分には危機感が
ないんだあということも感じました。

「物を盗られる」という感覚がないのです。

海外なら気を付けますが、日本においては、
「物が盗られるなんてことはない」と、
どこか安心していました。

実際に、盗られた財布をみて、「日本人の精神
性は、ここまで落ちてしまったのか」と、
少し悔しい気持ちがしました。

わたしは、今回生まれる前は、
特攻隊員でした。

と、勝手に思っています。

(笑)。

たまに、飛行機で船に突っ込んでいく映像が
浮かんできます。

そのときのわたしの気持ちは、「日本が平和に
なるように」、「豊かな国になるように」、
「みんなが幸福になるように」という
ものでした。

実際にどうかは分かりませんが、戦争で亡くな
った方の多くは、家族のため、日本国民の
ために戦い亡くなっていったのでは
ないかなと思います。

人の物を盗る人がいる国にしたかったわけで
は、ないのです。

「明日食べる物がない」とか、「数日飲み食いし
ていない」という、貧困状態であるならば、
まだ分かるのです。

人間には自己保存の欲求があるので、
仕方ないところがあるように思います。

ただ、この飽食の日本で、このようなことが
起きるのは悔しいことです。

戦前の日本には、高い精神性があったよう
です。

もちろん、日本国民全員が高い精神性を持って
いたわけではないでしょう。

それでも、日本人の気質として、高い精神性
というものがあったように思います。

敗戦によって失われた1番大きなモノは、
この高い精神性だったように思います。

なぜ、この小さな島国が、欧米列強を相手に
何年も戦うことができたのかと言えば、
「高い精神性」があったからでしょう。

だからこそ、高い精神性が育たないように、
日本人弱体化政策が行われていったのです。

精神性に影響を与えるものは、
なんでしょうか?

それは教育だと思うのです。

教育の結果、精神性が高くも低くも
なるのです。

教育業というのは、実に偉大で、責任感の
ある仕事だと思うのです。

わたしも教育業に携わっています。

人生の先輩を相手にすることが多いので、
「教育する」というのも恐縮ですが、
「教育には責任が伴うんだ」ということは、
自覚しておきたいところだなと思います。

受験を通して、精神を高めていけるように、
伝えられることを伝えていきたいと
思います。

自分自身の心を常に磨き、努力を惜しまず、
勤勉であることに喜びを感じる。

そのような自分でいられるように、
厳しく自己点検をしていきます。

何のために勉強をするのか。

何のために受験をするのか。

何のために努力をするのか。

知識を身につけるためなのか、賢くなるため
なのか、合格するためなのか、資格を取る
ためなのか、成功するためなのか。

どれも、その通りだと思いますが、それに先立
つものとしては、それ自体が喜びであり、
それ自体に意味があるということです。

何のために勉強をするのか。

勉強をすること自体に意味があるからです。

何のために受験をするのか。

合格に向けて取り組む、その姿勢自体に
意味があるからです。

何のために努力をするのか。

努力をすること自体に意味があるからです。

結果主義に陥らぬように、自己点検は厳しく
してまいります。

勉強をせずに、難関試験に合格する人が
います。

それはそれで良いでしょう。

才能か運か分かりませんが、そういう人も
いるでしょう。

一生懸命に勉強しても、なかなか受からない
人もいます。

何回受けても受からないということは、
知恵が必要です。

努力の方向性が違う可能性があります。

ただ、その一生懸命に取り組む姿勢に、
美しさがあり、意味があるのだと思います。

結果主義に陥らない教育が、高い精神性を
生むのではないかと思うのです。

教育に携わる身として、強く自戒し、
多くの人の成長に貢献していきたいと
思います。

あまり、まとまりがよくありませんが、
今日はここまでです。

何か感じることがあれば幸いです。

最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。

本日の一転語

~「神仏の目」を意識した教育~

「『神仏の目を意識して、『この世で生きてい
る意味』『勉強する意味』『社会に出て活躍
する意味』などを教えることによって初め
て、子供が『善なるものとは何か』を考える
心を引き出すことができ、”educate”する
(教育する)ことができる』ということを、
私は申し上げたいと思います。」

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